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第26話
自分がどんなに落ち込んでいても、寂しくても、時間は等しく過ぎていく。
7月、梅雨が明けたと同時にやって来た殺人級の酷暑も、8月に入りお盆を過ぎると少し収まった。今年は台風が多く、東京にも上陸し、各地で水害が起きた。巷では大きな花火大会が毎週のように催され、浴衣姿の花火客を見かけることもしばしばだった。そしてそれが終わる頃には、残暑は厳しいものの、日差しが真夏ほどの攻撃性もなくして、朝晩は少し過ごしやすくなってきた。季節は確実に秋へと向かっているんだ。
渉が出て行って二月半経った。
そんな9月1日、私は10時過ぎに、やっと目が覚めて布団から這い出し、まだ、ぼんやりしたままの覚醒しきれていない身体を引きずりながらキッチンに向かった。
湯を沸かしコーヒーを淹れる。コーヒーが特別好きな訳でも、どうしても飲みたい訳でも無い。昔からの習慣を変えられないという、只々惰性だなのだ。それでも…?それだからこそ?飲まないと落ち着かない。
渉は豆にもこだわっていて淹れ方も上手かったから、いつも美味しいコーヒーを入れてくれた。でも、私が淹れても同じ味にならない。同じようにやっているつもりでも、何かが違うらしい。
淹れたてというだけの、大して美味くもないコーヒーをマグカップに注ぐ。自分のと、渉のと。渉が帰ってきて、カレーを作って出ていったあの日以来、マグカップを棚にしまうのをやめた。本人が出したまま居なくなったんだ、というのは勿論言い訳だ。単に、寂しさを紛らす為、棚の中に入ったままのカップを見るのが辛かっだけだ。だから、そのカップにも朝の一杯を注いで、自分が飲み終わると一緒に洗う。
未練がましいとか、女々しいとか、そんな事は自分でも嫌になる程よく承知している。でも、やっぱり渉への思いは断ち切れないまま、気持ちを引きずっているのだ。
コーヒーを飲んで、煙草に火をつけて、今日、これから何をしようか考える。渉がいたらドライブに行くなり、食事に出るなり、心が浮き立つ様な事もそれなりにあったが、一人では何をやっても味気なくて、何もする気が起きなかった。会社に行っていれば、仕事の事だけ考えれば済むし、こんな風に一日ダラダラ過ごすなら、仕事をしていたほうがマシだと思うが、休暇を社員に取らせないと会社的にはまずいのだろう。夏休みを取りそびれた私は、今日、強制的に休みを取らされている。
仕事もそろそろ忙しくなり始める今頃になって、一日目を消化しようとしていると言うのに、全部で4日もある休みを9月末迄にどう消化すれば良いのだろう。まとめて長い休みにして旅行に行く予定もないし、何かやりたい事があるわけでもないのだから。
しかし、いくらやること語ないからと言っても家に一日いるのは辛かった。捨ててほしいと渉に頼まれた不用品の山は、まだ手つかずだし、その不用品の中に、二人の思い出のあるものも多くあって、それがゴミとして家の中にあるというのも頂けなかった。
最初にそれを見たときは、私との思い出もある、と言うよりは、私にとっても大切な物も沢山あったから、何で勝手に捨てるのか、と腹を立てた。
でも、自分にとっては大切な物だからと言って、他人のゴミ袋の中からそれを抜き取るのは嫌だったし、かと言ってそれがゴミだと言われたのだからと、あっさり捨てることも、勿論出来なかった。
きっと渉は、今まで大切にしていた物や思い出と一緒に、私の事も一緒に捨てたのだ。それに気が付くまでは、渉の部屋を覗いて、ゴミをどう処分したものかと思案していたが、気付いてからは、そんな受け入れ難い現実に背を向けるようなって、渉の部屋に入るのをやめた。
でも、それが、そこにあるという事を忘れることは出来ない。だから休暇なんて取りたくないのだ。
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