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第30話

 シャンプー台のある場所は普段利用する床屋とは全く違う、半個室のゆったりした空間で、アロマオイルというものだろうか、柑橘系の香りが漂っている。  こちらへ、と促されて椅子に座ると、背もたれがゆっくり倒れるので、びっくりした私に、 「もしかして、本当に美容院は初めてなんですか?」 とナオキが聞く。普段行っている古めかしい床屋とは全く違っているので、勝手が分からず一々驚いてしまう事に、バツが悪くなって口籠っていると、 「頭皮のマッサージとかもするので、リラックスしててくださいね。」 と優しくナオキが言った。  台に頭を預けると顔に柔らかな布が掛けられる。ナオキがお湯の温度を確かめながら、話し始めた。 「渉くん、僕の事、シャンプーの担当に指名してくれるんですよ。それで仲良くなって。」 急に渉の名前が出てきて、心臓が高鳴り、自分の知らない渉の話をもっと聞きたいと思った。 「シャンプーや、マッサージの間によく話してて、だから、浩介さんのこと、色々聞いてます。チョーイケメンだって言ってましたけど、ホント格好良いですよね。」  渉がどんな写真を見せて、どんなふうに伝えたのかは全くわからないが、何とも照れくさくて居心地が悪い。 「ホント、惚気けてばっかで、妬けちゃうんだよなぁ。僕、結構渉くんの事、好みなのに。あ、ちなみに僕もゲイですけどね。」 ナオキが同類なのは何となく、気が付いていたが、妬けるという言葉が不可解だ。 「だから、浩介さんに実際会って、もし変な奴なら、僕、渉くんに告白しようかと思ってたんですけど、実物に会ったら、イケメンだし、良い人そうだし、放っといたら駄目そうな感じだし。渉くんが別れられないだろうと思って。だから止めときます。  でも、ヘアスタイルはダサ過ぎなので、格好良くしときました。似合ってますよ!」  全く話しについていけない。ナオキは渉が好きなのか?諦めたということなのか。渉はモテるのかな。何だか気持ちが、重くなってきた。それに、渉が別れられないと言うのは大きな間違いだ。現に既に捨てられているんだから。これでナオキが渉の行方を知っていたりしたら、落ち込むのは目に見えている。 「ところで最近、渉くん、来ないんですけど、元気にしてますか?前は月イチかニは必ず来てくれてたから、どうしたのかなって思ってたんですよ。どこかで浮気してるんですかね?」  浮気という言葉にドキッとした。が、よく考えたら、美容院の浮気という事だと分かって、内心汗を拭う。それと同時に、この子も渉の近況は知らないらしいという事が分かって少しホッとした。が一方で手がかりが掴めなかった事にがっかりもした。 しかし、渉が出ていったことも手がかりが欲しい事もナオキには伝えられなかった。だから、ナオキに 「今日、来るのは渉くんには話したんですか?」と聞かれても、「渉くんに僕が寂しがってたって伝えてください。」と言われたのにも、曖昧に返事するしかなかった。  髪を乾かして、仕上げが終わると店長が来て、チェックをしたが、何とか合格点だったらしい。帰りがけ、店長がもし気になるところがあれば何時でも来てくださいと言ってくれて、でも、似合ってますよ、というので少し安心して、家路についたのだった。  ナオキと店長に煽てられて、いい気になって帰ってきたが、自宅に帰り、鏡の前で新しい髪型の自分を見つめると、やはり自分には似合わないと思った。 似合っていないじゃないか………  今更の様に、小さな声でナオキに文句を言う。結局、私は渉の事は何も知らないし、渉には不釣り合いなのだ。この髪型と同じように。そう思うと心がずっしりと重たくなった。

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