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第32話

 三段ボックスから、夏に持ち帰ったCDを一枚選んでをプレイヤーにセットした。20年以上も前に発売されたCDで、その当時から歌唱力に定評のある女性歌手のデビューアルバムだが、今でもよく耳にする曲が収録されている。丁度、浩介に片思いをしていた頃に聴いていたから、曲を聴いただけで懐かしい記憶が蘇ってくるんだ。  浩介の事を初めて知ったのは専門学校に通っていた頃だ。学校の近くにあるバー『グラン・シャリオ』に通い始めた頃で、結構な頻度で入り浸っていた。行き始めてすぐの頃は未成年だったけど、昔の事だ、平気で飲ませる大人に囲まれて、酒もタバコもすぐに覚えた。マスターや常連のおじさん達の話を聞くのが楽しくて、入り浸っている間にすっかり馴染んでいたと思う。  そんなある日、浩介が店にやって来た。俺は初めてだったけど、マスターやおじさん達の反応から、よく来る客なのだと分かった。  浩介を見たとき、自分でもびっくりするくらい心臓が高鳴ったのは、浩介が俺の初恋の人にそっくりだったからだ。少し長い前髪を邪魔そうに掻き上げる仕草とか、切れ長の二重まぶたとか、たまに見せる笑顔がとても可愛いところとか、本当によく似ていた。だから、直ぐにでも話しかけたいと思ったのに、浩介は皆の輪には加わらなかった。  その日、浩介は体格の良い中年の男と一緒だった。腰を抱かれて少し不機嫌そうに眉を寄せていたのを良く覚えている。  用を足しにトイレに行くと、中から話し声が聞こえて、彼らなのだと分かった。連れの男がしつこく言い寄っている様だったので助けに入ろうとドアノブに手を掛けたが、中から聞こえて来た言葉で入るのを止めた。  「こんなところで盛るなよ。ホテル、行くだろ。」 相手の男が何か言ったみたいだったが、よく聞こえない。その後、浩介らしき上擦った声が聞こえて、濃厚なキスを交わす湿った音がドア越しに聞こえた。そして少し怒った様に、でも誘うように艶のある話し方で、 「いい加減にしろって。後で好きにさせてやるから。」 と浩介は言った。  俺は何だか無性に腹が立って、邪魔してやろうとノブを引いた。すると丁度、浩介が出て来るところだったんだ。浩介はドアの前に俺がいた事に少し驚いた顔をして、訝しむ様にこちらを見たけれど、直ぐに視線を逸して通り過ぎる。それに続いて連れの男も出て来て、ニヤニヤ笑いながら俺を見てそのまま席に戻って行った。  俺はそのやり取りと様子に苛立ちを感じた。浩介が遊び慣れている事や、男を手玉に取って楽しんでいる(さま)がどうにも嫌で堪らなかったんだ。でも、その一方で強烈に魅力を感じた。大人の色気と何処か寂しそうな瞳。全てを諦めているような冷めた表情、時折見せる切なげな笑顔。殆ど一目惚れと言っても良い。俺は、絶対この人を振り向かせたいと思った。  それからは数ヶ月に一度程のペースで浩介を見かける様になった。が、結局二人で話せないまま幾つもの季節が過ぎて行った。浩介は何時も違う男と来て、つまらなそうな顔で並んで座って、少し飲んだら帰って行った。たまに一人で来ても、帰りには客の男と連れ立って帰っていく。  俺はその後ろ姿を見送りながら、浩介が幸せそうじゃない事に、いつもモヤモヤしていた。そして、その事がずっと不満だったんだ。幸せなんて、ちょっとした事でも感じられる筈なのに、どうして自分からそれを手放そうとするのだろう。ちゃんと好きな人を見つけて、愛し合って幸せになれば良いのに、それをしないで男と遊んでいる事が『自傷行為』のように思えたんだ。

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