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第37話
案の定、会社の前まで行っても渉には会えなかった。渉が出てくることもなければ、ブラインドが降りた窓からは、中をうかがい知る事も出来なかった。当たり前だ。端からそんな期待はしていなかった。
それなのに………こうして会えないことも初めから分かっていたと言うのに……堪らなく胸に沸き上がる落胆。間が悪いというか、何事もちぐはぐと言うか……そして、そういう場面に出くわすと何故か、必要以上に酷く落ち込むのだ。まあ良いかと軽く流せない。一つ一つがずしりずしりと心に蓄積されて、すっかり疲弊しきっている。
自分は果たして、こんなにも弱い人間だっただろうか?こんな、当たり前の出来事に落胆する程、昔は弱くはなかった筈だ。否、昔から打たれ弱かったかも知れない。今まで思い出さなかっただけで、小さな事でくよくよ思い悩む質だったじゃないか。
それを忘れていられたのは、渉のお陰だった。渉と出会って、共に暮らし生きていく内に、渉の存在に救われて、自分が弱い人間だと言うことを思い出さずに居られたのだ。渉に守られ、それに依存して、強くなったつもりでいただけ。それが、渉が出ていったことで表面化しただけだ。そう思うと、渉が悪い訳ではないのに、私を捨てた渉に腹が立つ。でも、分かっているのだ。結局、自分がダメなんだと。
一瞬立ち止まって、もう一度、建物を見上げるが、まるで私の心を撥ね退けるように、相変わらずブラインドは降りていた。
深いため息を吐き出して、俯いて、滲みかけた涙を押し戻す。目を開けて振り返るが、来た道を戻る気にはなれず、次の駅に向かって、進行方向に、そのまま歩き始めた。歩き続けて知らない町に行けたら良いのに。でも、知らない町に行ったところで、自分の本質なんて変わらないのだから、行く意味もない。それに、明日も明後日も仕事は休めない。せめて自分が必要とされている場所で、その小さな役割を果たすしかない。
そうして取り留めもない事をつらつらと考えながら、下ばかり見て歩いていたが、ふと顔をあげると日が傾き始めて、空が茜色にななっていた。随分歩いたらしく日没も近い。しかし、ここまで勘を頼りに歩いていたけれど、予想に反して一向に駅が見えてこなかった。気がつけば、住宅街に迷い込んでいる。
仕方なく地図を確認するためにスマホを取り出して検索すると、近道だと思って入った裏道が緩やかにカーブしていて、駅からかなり離れていた。大幅な軌道修正が必要だ。戻るか、先へ進んで何処かで曲がるか決めかねて、立ち止まってスマホを見ていると、後ろから早足で歩いてくる足音が近づいて来る。見れば細身の可愛らしい顔立ちの学生と思しき青年だった。
私が道を譲る様に歩道の端に寄ると、その青年が会釈をして通り過ぎたあと、「佐々木さん!」と叫んで駆け出した。
その声に思わず顔をあげ、呼ばれた人物に顔を向ける。すると前方に渉によく似た男が歩いてくるのが見えたのだ。辺りは薄暗いし、ニット帽を目深に被って、渉にしては随分痩せているから、きっと違う人間なのだが、背丈といい、歩き方といい、渉にそっくりだった。すると、渉に似た人物がニッコリ笑って片手を上げた。
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