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第38話
…………今、確かに「佐々木さん」と言った。辺りが暗くなり始めていて、確信が持てないが、あれは渉ではないだろうか。『佐々木』と呼ばれた渉に似た男の事が気になって、思わず凝視してしまう。会社の近くだから人違いとも言い切れない。
このまま歩いて行けば、すれ違うに時に本物か分かるだろうか。もし本人だったら声を掛けても良いだろうか。否、何と言えばいい?……頭の中を言葉にならない感情だけがぐるぐる巡り、心臓が煩く鳴って周りの音も聞こえないほどだ。
すると、『佐々木』と呼ばれた男が、ふとこちらを見たので、とっさに下を向いて顔を隠す。が、それは自意識過剰と言うものだ。そもそも視界に入っていなかっただろう。それに、渉は、強度の近視で、本人だとしたらこの距離では見えるはずがない。
青年は『佐々木』に駆け寄ると、紙袋を掲げて見せた。その紙袋を『佐々木』が受け取ると、青年がその腕を取ってしなだれかかるようにして、そのまま向こうに歩き始めた。
私は、開いていく距離に焦って、『佐々木』が渉だと言う確信も持てないのに、慌てて追いかけたのだった。
近づき過ぎず、離れ過ぎず、距離を保ってつけていく。やはり、痩せすぎている感じはするが、見れば見るほど渉によく似ている。
前を歩く二人は時折、微笑みながら顔を見合わせ、何やら楽しそうに話している。すると、青年が『佐々木』にこう言った。
「社長が心配してましたよ。ワタルは大丈夫なのかなって」と。
やはり、渉だった。
『ササキワタル』
こんなに似ていて、会社の近くで見つけて、ただの同姓同名と言うことはないだろう。
そう確信すると、二人の距離感がとても気になりだしたのだ。青年はずっと渉の腕に腕を絡めているし、渉は幸せそうに笑いながら彼を見ている。近すぎる距離と渉の笑顔に、胸がざわついた。友達の距離感とは思えない親密な空気が後ろ姿からでも伝わってくる。その空気にズキリと胸が痛くなった。
見たことの事のない男だ。どう言う関係なのだろう。もしかして、付き合っているのだろうか?渉は仕事はどうしたのだろう。まだ終業時間ではないだろうに。もしかして、休んでいるのだろうか。まっすぐ歩いていく二人を追いながら近づき過ぎない様にゆっくり後ろを歩いた。
大の男が物陰に隠れながらコソコソとあとをつけて行くなんて無様だろうが、そんな恥ずかしさよりも、渉がどこに向かっているのかが気になって形振り構っていられなかった。
迷いなく歩いていく二人は、住宅街の道をゆったりと散歩でも楽しむように歩いている。道の両側に家々が建ち並ぶそこは、新しい洒落た外観の住宅と昔ながらのお屋敷が混在しているが、いかにも高級住宅街といった雰囲気だった。渉がこんなところに住んでいるとは思えず、仕事で来ているのかとも思ったが、まさか、男と腕を組みながら仕事場に向かうとは思えなかった。
それから少し、渉の会社からは歩いて10分ちょっとか、突如古い木造アパートが現れる。町並みに似合わないその建物は何処か懐かしく目を引いた。すると、前の二人がその建物へ吸い寄せられて、そのまま鉄の階段を連れ立って上っていったのだ。
カツンカツンと足音を響かせて2階の一番奥の部屋に楽しげに入って行く二人を見届けると、急に足の力が抜けて、私はその場に座り込んでしまった。
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