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第43話

 暫くして紀が風呂から出て来たが、ダボダボの俺の服を着た様子は、まるで子供だ。Tシャツは肩山がかなり落ちて手は隠れているし、ハーフパンツもウエストが合わないらしく、落ちてふくらはぎが隠れている。 「やっぱり佐々木さん、大きいですよね。なんか悔しい。」 そんなの負けず嫌いを言うのがまた可愛くて、思わず笑ってしまった。  寝る段になると、やはり寝袋だけでは心許ない気がして、毛布を一枚床に敷いてやる。でも、 「寝袋だけで大丈夫です。家主が風引いたら申し訳ないですから。それに、佐々木さん、体調崩せないですよね?」 と言いながら、毛布を返してくる。そして、 「僕は大丈夫ですから。勝手に泊まりたいって言っただけだし。」 と言って聞かない。仕方ないから、一緒に寝るかと聞くと、やはり、それも断られた。 「そんなの無理ですよ。好きな人と一緒の布団に寝て、何もしないなんて辛いです。」 と反論された。俺は、迂闊なことを言ったと反省して、ごめん、と謝るが、紀は何も言わずに背を向けて寝てしまった。  このまま紀と付き合ってしまえば、気持ちも楽かもしれない、と寝袋に包まれた背中を見て思う。結局、自分は弱い人間で、強がって一人で居る事自体、もう辛いんだ。昼間は、体調が良くなって、歩くことが苦にならなくなった事が嬉しかったけど、半月もすれば、また治療は再開する。先週受けた検査で数値が上がって、違う薬に変えると言うが、次はちゃんと効果があるのか、どんな副作用があるのか不安で堪らないんだ。そして、次も週一回を数ヶ月、ちゃんと乗り越えられるんだろうかと、自信が持てないでいる。  それに、仕事だっていつまで続けられるか分からない。いくら古株だからって、仕事もこなせない人間をいつまでも雇ってくれる保証なんてないんだから。  こんな時に、誰かが側にいてくれたら、どんなに心強いか知れない。  でも、今、一人で踏ん張っているのは、他でもない自分自身が選んで決めた事なんだ。あの時、浩介と暮らす家を飛び出したのは、半ば衝動だったかも知れない。でも、浩介にこんなに弱い自分を見せたくなかったし、将来の生きている保証のない俺の人生を共に背負わせずに済んだ事に後悔はない。じゃあ、紀は?紀には…………何故か甘えたくなる。この世で一番愛している人を挙げろと言われたら、間違いなく一番に浩介の名前を挙げるのに、弱い自分を紀になら見られても良いと思う。結局、紀の好意を都合良く利用しているだけなのだろうか。自分自身の事なのに、よく分からないんだ。    そうやって、悶々としながら、なかなか寝付けず寝返りを繰り返していると、眠れないんですか?と紀が聞いてきた。まだ、眠った訳ではなかったらしい。  そうだと答えると、紀が少し飲みませんか?と言って起き上がった。さっきビールを買ってきたんです、と。  紀はいそいそとキッチンに行き、缶ビールとコップを出してきた。ビールグラスの半分程の小さなコップだ。そのコップに紀がビールを注ぐ。初めはトポトポと泡を立てるように、後は泡を壊さない様にゆっくりと細く注ぐと、きめ細やかな、泡の旨そうなグラスビールが出来上がった。若い紀が何故、ビールの注ぎ方に詳しいのか、疑問を口にすると、 「父親がビール好きで。子供の頃から教えられてました。」と笑った。  父親という言葉に少し胸が傷んだ。仲の良さそうな紀親子の話が少し羨ましかったんだ。自分の父親は……実の父と母は、俺が赤ん坊の頃に離婚したんだそうだ。余程酷い別れ方だったのだろう、写真すら見せてくれなかった……今の父親は母の再婚相手で、今も二人で幸せに暮している。でも俺は母と仲違いしてしまったから、二人にはもう何年も会っていない。  だから、自分が病気だと言うことも知らせていない。このまま、連絡を取らずに死んだら、母はどう思うだろう。あの頃のことを許してくれるだろうか。そして父は?実の子の様に大切にしてくれたあの人は、何を思うだろう。一度でもいいから酒を飲み交わしたかったな、と思った。

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