50 / 71
第50話
午後1時、松井と一緒に川郷市役所に打ち合わせに出かける為に会社を出た。先程の件がまだ気になっていたらしい松井は、車に乗り込むと、また直ぐに話し始めた。今は営業車の中で、二人きりだから遠慮がない。
「別れたって、何でですか?」
少し食って掛かる様な言い方だった。
「別れる理由なんて、色々あるだろう。」
と誤魔化す。仮にも長年連れ添った相手が、若い恋人を作って出ていった、とは言いたくなかったからだ。
「でも、まあ、もう良いんだ。完全に吹っ切れたというか、仕方ない事だからね。」
自分でも驚く程、淡々と話していて、それを話すこともにも全く抵抗がなかった。
「もう、本当に駄目なんですか?」
捨てられてからずっと、渉に対して抱いていた私の気持ちを、今、松井が口にしている。しかしそれは、私も散々考えた事だった。そして、その結果、もうどうしようもないと気が付いたんだ。
「もう、元に戻ることはないだろね。」
そういう私に、
「俺、ショックですよ。お二人は俺達の理想だったから。二人みたいになりたいねって、家で話てたのに。」
と、今にも泣き出しそうな顔をしている。普段、年齢の事を持ち出しては誂っては面白がっている癖に、『理想だった』なんて、初耳だ。それに、別れた当人よりも辛そうにしているなんて、変な奴だ。何でお前が泣きそうなんだよ、と笑えば、そんな私を見て、松井が、
「何で笑うんですか?」
と本気で怒って外方を向いた。
そして、その後暫く、二人もと口を開かず、車内には走行音だけが鳴り続いた。しかし、目的地に着く少し前になると、松井はまだ納得していない顔をしていたが、
「それなら、まぁ……良いんですけど。無理しないでくださいね。」
とぶっきら棒に言った。
川郷市は松井がその担当なので、私はそのサポート役で、資料のチェックと図面の最終確認しかしていない。もう、私のサポートなど要らないはずだし、不安なこともないだろうに。それに、先方の担当者は良識のある人だから、特に心配も問題もなく、此処での松井の評価も高かったから、安心して見守ることができた。そして、予定通り会議を終えた私達は、会議室を出て、出口に向かったのだった。
すると、背後から、
「橋本さん。」
と呼び止められる。先程の担当者かと、声の方に顔を向けると、声の主が
「橋本さん、お久しぶりです。」
と満面の笑みで近付いて来た。それは、予想とは違う人物…………昔の知り合いだった。
その人物は私が驚いているのにもお構いなしに話し続ける。
「橋本さん、奇遇ですね~。こんなところで会うなんて。あれ?私の事、忘れてしまいましたか?」
喋る隙を与えないくせに、そんな質問をする、マイペースな男。
「いいえ、覚えてますよ。奇遇ですね。……谷口さん。」
隣で松井が呆気に取られている。
すると、その目の前で谷口が、自分の名刺を取り出して、その裏に何か書いて寄越しながら、
「良かったら、また此方にいらっしゃるときは連絡下さいね。昔話でもしましょう。」
と一方的に言った。
個人電話の番号を書いたのか、と思いながら名刺を受け取り、裏に書かれたメモを確認する。しかし、そこにあったのは携帯番号ではなかった。
『The Grand View HOTEL 38階ラウンジ 20:00』
それを見た私は、呆気にとられて、おそらく間抜けな顔をしていただろう。その反応を楽しむように、こちらを見て谷口が笑った。それから、返事も待たないで、それでは、と片手を上げて戻って行ってしまった。
後ろに立っていた松井が、名刺を覗き見しようもとするので、不自然な程慌てて背広の内ポケットに隠す。が好奇心を隠しもしないで、松井が前のめりに、私に言った。
「誰ですか、あの人。」
「昔の知り合い。」
「仕事関係?」
「まぁ、そんなところ。」
そう曖昧に答えて駐車場に向かった。そう言ったきり、車に乗るまで、無言だった松井だったが、話したくてうずうずしていたらしい。車に乗り込んだ途端に、
「行くんですか?」
と聞く。メモは既に見られていたようだ。
「仕事次第かな。お前に掛かってる。」
と言うと、松井がぎょっとした顔をした後、窓の外に視線を移した。
ともだちにシェアしよう!