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第53話

「まだ居たんだ。」 私が声を掛けると、谷口が振り返って、 「来ると思ってた。」 と遅刻したことを詫びもしない私に怒りもしないで、自信満々に答える。そして、 「もう一杯飲んだら帰ろうと思ってたけどね。」 と片頬で笑った。が、帰るというのは嘘だろう。カウンターの上に、これ見よがしにルームキーが置かれている。  私がバーテンダーにジンリッキーを注文して、隣に座ると、谷口は、 「久しぶりだな、浩介。」 と昔の呼び方で私を呼んだ。 私が敢えて、 「久しぶり、谷口さん。」 と苗字で呼ぶと 「昔通り、名前で呼んでよ。」と谷口が言った。  谷口陽平。あの頃、数人いたセフレの中の一人だ。その当時、コイツの事を意識していなかったと言えば嘘になる。『セフレ以上恋人未満』な関係で、他の者達とは一線を画した存在だった。かと言って、恋とか愛とかと言うのとも違っていた。谷口も人に愛情を注いだり、求めたりするタイプではなかったから、私と同じ様な人種だったのだと思う。  でも、一緒に居れば居心地が良かったし、嘘っぼい愛の言葉なんて言わないから、その分気が楽だった。ただ、楽しめば良い。そういう関係。  しかし、 年前、谷口にクリスマスを一緒に過ごそうと誘われて、空けておいたのに、当日の、しかも待ち合わせ時間になってドタキャンされたのだ。理由は別な子に誘われたからと言う単純なものだった。ただのセフレ、そう思って割り切ろうとしたが、それでも、やっぱり面白くなかった。クリスマスなんて、私にとっては特に大切なイベントではなかったけど、谷口に一緒に過ごそうと言われて、少しだけ楽しみにしていたのだから。 「びっくりしたよ。陽平が役人なんて。」 私が言うと、谷口は笑いながら、 「こき使われる方は飽きたんだよ。」と答えた。  谷口も同じ業界で、入社したての頃、測量法が変わるとか言うときに、同じセミナーを受けたのが出会いの切っ掛けだった。  その後何度か顔を合わすうちに、何となく馬が合って、飲み友達になったのだが、それから、程なくそういう関係、になった。 だから、以前は私と同じように、役所から入札した仕事をもらっていたのだった。それが、結婚を機に公務員試験を受けて転職したと言う。  「結婚、したんだな。」 左手薬指の指輪が目に入った。何となく、風の便りで知っていたことだったが、本人から直接報告は受けていなかったから、半信半疑だったのだ。あんなに遊び人だった男が、よく家庭に収まることが出来たものだ、と。 「子供もいるよ。」 にやけ顔で谷口が答える。 「へえ、いくつなの?」 「上が16歳。高一だ。身長伸びてさ、奥さんより大きくなったよ。下は10才。女の子でさ。可愛いんだこれが。」 『奥さん』を見たことないからどのくらいかわからないけど。なんとなくデレデレした様子が鼻につく。 「やっぱり自分の子供って可愛いの?」 頬杖をつき、ジンリッキーをチビチビ飲みながら、ぬるい視線を向ける。 「そうだな、可愛いよ。まぁ、上はもう、反抗期だし、生意気だし。それで、高校生ともなるといっちょ前なこと、言って、親に意見したりさ……」 すっかり親バカなオジサンだ。他人のうちの子供の話なんて、大して面白くないと知らない訳では無いだろうに、人類の共通の喜びだとでも言うように、子供自慢をする。谷口もそんな『親』の一人になったらしい。すると、あからさまに退屈そうに相槌を打つ私に、気がついた谷口が話題を変えた。

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