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第54話
「そういえばさ。」
私が視線を上げると、こちらを真っ直ぐ見つめる谷口と目が合った。
「昔、居ただろ、ワタルって目つきの悪い奴。噂で浩介がそいつと付き合い始めたって、あの頃聞いたんだけど、嘘だよね?」
コイツの耳にも入っていたのか、と内心舌打ちする。
「いや、付き合ってたよ。」
「……へぇ、意外だな。浩介が一人に絞るなんて。」
「だろうね。でもそれは、お互い様だろ。」
そんな嫌味を、ははは、と笑い飛ばして谷口は続ける。
「で、決め手は何だったの?俺とワタルの違い。」
馬鹿な質問をする奴だ。あの渉と軽薄な谷口を比べるまでも無いじゃないか。
「昔の話だろ。もう、その話はしたくない。」
そんな私の言葉を、笑って聞き流して、
「で、今は?どんな奴と付き合ってるの?やっぱり浩介は一人と添い遂げるとか似合わないしね。まだ、前みたいに遊んでるわけ?」
ニヤニヤと面白そうに下品な好奇心を隠さない。
「誰とも付き合ってない。渉とは最近別れたし。」
言わなくても良いことだったのに、つい、口をついて出た。予想通り、それを聞いた谷口が目を見開いて驚いている。
「あの頃から最近まで付き合ってたの?え?って、ワタルだけだったって事?」
驚きすぎだろうと思うが、そう思われるだけの事を私はしていたのだ。
「それって本気じゃん。」
そうだよ、本気だったよ。と言いかけて、何も言わなかった。その代わりに、口元だけに笑みを浮かべながら言う。
「だから、今はフリーって事。」
昔の、嫌いだった自分が顔を覗かせた。
あの日、コイツに振られなければ渉と付き合っていなかっただろう。渉が何か特別な感情を私に向けていることに、全く気が付かなかった訳ではなかったが、それに向き合えば本気になってしまう気がして、ずっと距離を置いていた。だから、あんな風に付き合う事にならなければ、その後もその距離を保っていたと思う。
しかし谷口に振られた私は、あのクリスマスの晩に酔って渉に電話をしてしまった。
「渉じゃなくても、誰でも良かったんだけど。」
素直じゃない私は、そう言って渉を誘ったのだ。案の定、渉は怒った。俺を何だと思っているんだ、と今まで見た事も無いくらい、凄い剣幕で、私に怒鳴った。そして、怒りながら今まで抑えていた気持ちを全て私にぶち撒けた。そうやって渉は私の隣に来たのだ。本当の愛なんて要らないと思っていた私を、渉の愛だけで縛り付けたのだ。
「じゃあ、時間は気にしなくて良い訳だ。」
谷口が言う。
「いや、もう帰るよ。明日早いんだ。」
そう言いながら、帰る気はなかった。相手の出方を見るための言葉遊び。
「何?デート?」
こいつの頭にはそれしかないのだろうかと疑いたくなるが、この言葉も同じく遊びだ。
「マンションの内覧。」
また言わなくていい事を言ってしまった。最近、遊び慣れていない所為で、言葉選びが上手く行かない。…がその言葉を谷口が拾う。
「マンション、買うの?」
「そう。」
「へぇ。その話、詳しく聞きたい。部屋で飲み直そうよ。」
「飲み直すだけ?」
「勿論。」
私はその返事を鼻で笑うと、カクテルの残りを飲み干した。
久しぶりに飲んだアルコールの所為か、喋りすぎているし、自制心も働いていない。でも、それで良かった。自分には、やはりこういう関係が似合っている。渉の様に真っ直ぐな人間には不釣り合いなのだ。
谷口は伝票にサインだけして会計を済ませると、私をエレベーターまでエスコートした。昔から気障な奴だった。そう言う所が好きじゃなかったのに、こうされることに何の疑問も抱いていなかった。結局、私も同じ人種なのだ。でも、冷え切った心は、もう何も感じなかった。
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