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第60話

 治療2クール目開始から二週間経った。今回は点滴と内服薬の併用療法で、あと一週間薬を飲めば、その後一週間休みになる。点滴と違って朝晩飲めば良いというのはいいけど、薬の副作用は今回の方が強いかもしれない。倦怠感と吐き気が強く、自宅でも横になって居ることが多くなったし、在宅での仕事も余り進んでいない。口内炎や下痢は相変わらず酷く、食事も辛かった。食欲も下がっているし、余り量も食べられないから体重が減っていく。癌で減らなくても治療で減るのだから、身体に良いのか分からなくなる。体が慣れてくれば、症状も軽くなるらしいけど、それはまだ実感出来ていない。  しかし、効果は少し出ているようだ。このまま癌が小さくなれば、切除出来るかも知れないと主治医に言われたのが救いだった。少しずつ良くなっていけばいい。進行するスピードよりも少しでも回復するスピードが早ければ、いつか治るだろう…と自分に言い聞かせながら、現在の状況に向かい合っている。  でも、そんな前向きな気持ちを打ち砕くほど、今日は酷い倦怠感に襲われている。本当に絶望的な気分だ。今朝は薬を飲むために何とか朝食は食べたけど、キッチンに行くのさえ億劫で、まだ昼は食べていなかった。ちゃんと昼を食べないと夕飯もつらくなるのに、ほんの数メートルが遠い。食べないから元気が出ないのかもしれないけど、こうして寝てばかりいると、やはり色々考え過ぎてしまって、このまま一人で死んでしまうんじゃないかって不安になる。それで、病気に勝ってやるぞという前向きな気持ちも、今日みたいな日は持てなくなるんだ。  今はこんな状況だから、最近自分では買い物にもいけなくて、頃合いを見て紀が買い物をしてきてくれている。今日も紀が来てくれるのに、冷蔵庫の中身があまり減ってないのが申し訳ないけど、今更食べ切るのは無理だ。紀はきっと、減っていない食料を見て「ちゃんと食べないと駄目ですよ。」と怒るだろう。  紀は、前に一線を超えそうになってからもまだ、世話係を続けてくれている。週に何回か、社長から言われて様子を見に来てくれているんだ。でも、気不味い状態ではあった。お互いに遠慮があって会話はギクシャクしているし、表面的というか心を開いて話せない。社長は俺達のことに気付いているのかいないのか、紀をうちに越させようとする。紀自身は社長命令だから仕方ないとして、社長は何を考えているのだろう。紀みたいに仕事が出来る奴を寄越さなくても、他にもアルバイトはいるだろう。それこそ新人で戦力にならない奴にやらせれば良いと思うのに。でも、編集社に入っていきなり、病人の世話なんて言われても「こんな事をするためにここで働いているわけじゃない!」となってしまうのかな。やはり、こういう状況なら、事情もよく心得ていて気心が知れた紀は適任なのかも知れなかった。  今日もそろそろ、紀が来る時間だ。そう思うと、そわそわしてしまうのは紀にどう接したら良いか分からないからだ。あの一件で、俺が持っていた紀への気持ちは完全に吹っ切れてしまったけど、紀が今、どう思っているかは全く分からない。自惚れかもしれないけど、まだ吹っ切れずにいるなら嫌な役回りだろう。  すると、枕元のスマホがブブッと振動してメールの着信を知らせた。直ぐにスマホを手に取って通知を見る。いつでも取れるように手の届く距離に置いてあるのは、前に具合が悪かったときに、スマホに手が届かず放置して、翌日紀に酷く怒られたからだ。だから、それ以来、必要なものはみんな、枕元に置いている。  てっきり紀からのメールだと思って、慌てて開こうとしたけれど、見たことのないアドレスからのメールだった。  件名も空欄だし、仕事関係では無さそうだった。開いたところで特に害はないだろうし、知らん振りも出来なくて恐る恐る、通知をタップした。

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