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第65話
お粥を掬う俺を心配そうに見つめる紀から、俺の命を支えていると言う使命感のようなものが伝わって来て、有り難く思う一方で、申し訳無さも感じた。
紀はきっと俺以上に、俺の命の事を心配している。何とか俺を生かそうと頑張っているんだ。でも俺は、今起こっている現象と闘うだけで精一杯で、周りの人間の気持ちをあまり考えていなかった。
自分はこんなに頑張っているのに、という気持ちで周りに距離を置いていたけれど、周囲は、思っているよりずっと親身になってくれているのかも知れない。
俺自身は死にたくない一心で、辛い抗がん剤治療に耐えてはいるものの、このまま手術も出来なければ、どうせ死んでしまうんだから、と心の何処かで思っていた。死を覚悟する事も出来ず、生きてやるんだ、と生を覚悟することも出来ず、生きる事にも死ぬ事にも中途半端な俺は、自分の事しか見えていなかったんだ。
食べること一つ取ってもこれだ。食べる事を人任せにしてたら、やっぱり駄目なんだ。
こうして食べ始めてみると案外食べる事が出来て、腹は減っているのがよく分かる。でも、焦って食べると良くない事は前回痛いほど経験したので、ゆっくりゆっくり……。時間はかかったが、用意されたお粥を殆ど食べる事が出来た。
傍で見ていた紀も安心したのか、先程までの刺々しさが無くなって、優しい顔をしている。
「紀君、色々迷惑掛けてゴメンね。今日も俺の世話で終わっちゃうね。」
そう謝ると、
「大丈夫ですよ。この時間も時給発生してますから。それに、社長がプラスで特別手当くれるって言ってました。」
と、紀はいたずらっぽい笑顔を見せた。そして、それから洗濯や簡単な掃除を済ませて一時間ほど経った頃、紀は帰り支度を始めた。
「ゼリー飲料は枕元に置いておきます。動けない時はそれ飲んで下さい。あと、ペットボトルのお茶とか水はベッドの下にありますので。それから、ヨーグルトとプリンが冷蔵庫に入ってますから、間食に食べて下さい。それと食べやすいもの、僕も色々探してみますので、佐々木さんも食べたいものあったらメール下さい。直ぐ持ってきますから。」
てきぱきと仕事をこなすように指示する紀が頼もしい。
「ありがと、紀君。」
色々伝えたい気持ちはあるのに言葉が出てこなくて、この一言を言うのがやっとだったけど、紀はその言葉に少しはにかんで、首を小さく横に振った。
それから、「じゃあ。」と小さく手を降って背を向けた。しかし、真面目な顔でもう一度振り返って、
「善処します、で良いんじゃないですか、メールの返事。悩んでも仕方ないですよ。」
と言って、返事も待たずに紀は出て行ってしまった。
ベッドに座ったまま見送った俺は、パタンと閉まったドアに向かって小さく手を振り返す。ナオキからのメールで悩んでいる事に「そんなこと」を連発していたけれど、紀なりに考えてくれていたらしい。苦しい言い訳を全部一言に込めてくれたのだろう。
「善処します、か…」
なるほどな、と一人頷いて、スマホを開いた。ナオキからのメールを開いて、再び読み返し、ゆっくり返信文を打ち込み始めた。
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