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第68話

「今日は店長に練習したいって伝えてあるんです。他にお客様も来ないし、時間も気にしなくて大丈夫なんで。それに、外じゃ話しにくいこともあるじゃないですか。」  ナオキなりに気を使ってくれたらしい。こういう気遣いが出来るのに、メールでのやり取りを思い出すとギャップを感じて、何だか面白い奴だなと思った。  カットはあまり気乗りはしなかったが、促されるまま鏡の前に座ると、鏡越しにナオキと目が合った。念のためもう一度、断ってみる。 「ホントはこのまんまで良いんだけど。床屋のオヤジに「他所に行ったんだね」って言われるのも地味に気不味いしさ。」 しかし、ナオキは私の話を軽く聞き流して、 「床屋も良いですけど、美容院もおすすめですよ。それに、何度か来てみないと、僕の魅力もわからないと思います。今日はちゃんとご希望通りにしますので、次もカットしに来てください。」 と言う。前回も感じたが、どこまでもポジティブで強気だ。だが、私も負けずに、 「出来次第。」 と一言答えた。  大して切るところもない頭をしげしげと眺め、ハサミと櫛を構えた格好で、ナオキが口を開いた。 「いきなり本題ですけど、なんで別れちゃったんですか?っていうか、渉くん、この前メールしたけど、何も言ってなかったですよ。」 「メールに返事、来たの?なんて書いてあった?」 あの頃、私がいくら連絡をしても返事をくれなかったのに、ナオキには返事を返すのか、と何処か詰まらない気持ちになった。 「善処しますって。」 「………?何を?」 「よく意味がわからないですけど、飲み会の予定を浩介さんと二人で相談して欲しいって頼んだら、善処しますって。どういう意味ですか?」 眉を寄せて困り顔でナオキが言うから、素っ気なく返す。 「俺が知るわけない。」 大方本当の事を言えなくて、苦し紛れに送ったのだろう。嘘がつけない渉らしい答えだ。しかし、そんな風に逃げないで、私の事を捨てたのだとはっきり言えばいいものを。そんな回りくどい言い方をするなんて、まるで私のことを思い遣っているみたいじゃないか。渉が本当の事を言えないなら、私が言えば良い。   「俺が捨てられたんだ。渉にはもう新しい彼氏も居るみたいだよ。」 私が言うと、ナオキは驚いた顔をした。 「信じられない。あんなに浩介さん一筋だったのに?」 「それはどうか知らないけど、実際何も言わずに居なくなって、荷物も全部処分してくれって言うし。それに…………」 話し出すと止まらなくなった。気がついたら、堰を切ったように思っていたことを全部ナオキにぶち撒けていた。  鏡に映る自分は、必死の形相で、ナオキに渉が酷いやつだと言う事を力説している。そんな自分の顔を見たくなくて鏡から目をそらすけど、チラチラと視界に入る私は、醜くて嫌な奴に見えた。  何を必死になって、自分の失恋話を語っているんだろう。しかも、ナオキは渉の友人なのに。自分の友達の悪口なんて聞きたくないだろう。そう思い始めると、話すことが段々虚しくなって、溜め息を吐いて、それから喋るのをやめた。  すると、急に黙り込んだ私にナオキが笑いかける。 「今まで誰にも言わなかったんじゃないですか?辛かったでしょ。」 知らないうちに涙が溢れていた。肩にそっと置かれたナオキの手が温かい。 「自分だけで抱えてちゃだめですよ。」 そう言って、ナオキがタオルを手渡してくれる。私はそれを受け取ると顔に押し付けて、次から次に溢れる涙をそのタオルに流し込んで、声を殺しながら泣いた。 それから暫くナオキは無言で髪を整えていた。

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