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ch.2
その後僕は、精子の検査をするために泌尿器科へ行った。ここで指示された通り、個室でカップに射精をして、それを提出するだけで済んだ。
そしてテイラー先生の元に戻ると、先生は真剣な顔で僕の目を覗いた。
「大丈夫?やっぱり嫌だと思ったなら、今からだってやめられるよ」
「…大丈夫です」
「わかった、じゃあスミスさんについてって」
例の看護師について診察室の奥のドアを抜けると、歯科にあるような椅子が目に飛び込んできてギクリとした。
「ではズボンと下着を脱いで、その検診台に座ってください」
看護師に言われるまま下を脱いで、これは検診台というのかと思いながらその椅子に掛けた。すぐに彼女が僕の腹の上のカーテンを締めて、向こう側がわからなくなった。
そして、余計なことは考えないようにと目を閉じた時、先生がこの部屋に入ってくる音がした。
「シールズさん、楽にしててください」
カーテンの向こうの声は、僕を気遣っているのか、これまでより柔らかい気がした。
「少し、怖いです…痛いですか?」
「少しだけ痛みがあるかもしれない、無理だったらすぐ言うんだよ」
「はい」と答えると、検診台が低い機械音を立てて動き始めた。目を閉じて息を止めているうちに、背もたれが倒れながら高く持ち上がり、脚を載せた台が左右に開いていった。
「…っ!」
検診台が止まった瞬間、向こうでは僕の股間が丸見えなのだと認識できた時、感じたのは、羞恥でもなんでもなく、無、だった。
僕は、何も感じない、人形になろう、そう思った。
「じゃあ、始めるよ」
穏やかな声が聞こえて、息を飲んだ。
股間の真ん中の脇のあたりに何かが触れて、思考が止まった。それは恐らく先生のゴム手袋を被せた指で、女性器のあたりを広げられたのがわかった。
「…っ」
そう都合よく、人形にはなれない。それならこれは、夢と思え。目を閉じていれば、いつか覚める。
指の感触が離れて、息をつく間もなく、ジョセイキに何かひんやりとした固い器具が挿し込まれて、息が詰まった。苦しい痛みがあって、それが中を拡げたのだとわかった。
「い、たーーー」
「やめるかい?」
「…だい、じょうぶ、です」
「わかった、大丈夫だから、力を抜いててね」
「はい…」
体の中で何かが動き、場所を変えるたびに腰や腿が強張ってしまい、力を抜くことなんてできなかった。危険はないと思えば次第に恐怖は薄れていったけど、その代わりに、何か、酷く辛いものが湧き上がった。胸の内がどんどん冷えていって、どうしてこんな目に遭っているんだろうと思うと、泣きたくなった。
もう、逃げ出したい。
そう思った時、体の中から器具が消えて、カーテンの向こうで先生が「終わったよ」と言うのが聞こえた。
寝た体勢から座り姿勢に戻っていく診療台の上で、ようやく深く息を吸えた僕は、「もう安心していいよ」という声を聞いた時、ついに涙がじわりとあふれ出して、息を殺して涙を拭った。
診察室に戻ると、先生は静かな横顔でディスプレイを覗いていた。彼がそうさせたのか、看護師の姿はなかった。
丸椅子に掛けると、先生は「検査結果を話すよ」とこちらに体を向けた。
「はい」と答えたつもりがうまく声にならなくて、彼を見つめて頷いた。
「まずは男性器、精子の数は多少少ないけどそれでも正常値の範囲内だし、活動もしてる、だから問題ない、子供は作れるよ」
「…はい」
それは喜ぶべきことだと思うのに、大きな感動はなかった。それよりも、事実を穏やかに、そして淡々と述べる先生のその様子は、僕に余計な不安を与えまいとしているのだろう、ということばかりが頭を巡っていた。
「次、女性器」
一つ息をついた先生の表情は、特に変わらなかった。
「まずは、先日の出血」
「…はい」
「恐らく、激しい交錯で処女膜が破れて出血したんだと思う、その他に原因になり得る炎症や傷や、悪い部分…例えば腫瘍とかね、そういうものはなかった」
「そう…ですか」
「処女膜は激しい運動で簡単に破れてしまうんだ、それだけじゃなくて、例えば自慰で指や物を入れたり、タンポン…わかるかな?生理用品を入れるだけでも破けてしまったりするから、よくあることなんだ」
「そう…ですか」
「つまり、先日の出血は大きな問題ではないから、安心していいよ」
「…はい」
ショジョマクが自分にあっただなんて未だに信じがたいけど、出血は問題ないという事実に、胸の内の重いものが少しだけ軽くなった。
「そして君には、確かに女性の陰核と尿道と膣と子宮と卵巣があった、けれど、卵子がなかった」
「陰、核…?」
「クリトリスだ、男のペニスにあたるものだよ」
「…尿道って…」
「それは後で、先に君の女性器の中のことを話すよ」
そう言うと先生は、PCのディスプレイに先程のエコー検査の物らしきモノクロの画像を出し、「ここが卵巣で、本来は卵胞があるはずなんだ」とその場所を示した。
けれど僕は、その白黒のよくわからない画像のどこがどうだとかそういうことは、正直どうでもよかった。なんだかぼんやりして、先生が「君の体は、医学的には性分化疾患とされ、君の場合は男性仮性ナントカとされる」と難しい病名を述べ、原因やその性器の状態は人それぞれで、個々に対処が異なるというような説明をしていたけど、頭に全く入ってこない。
「つまり、現時点で女性の生殖能力はない、妊娠はできないということだよ…この疾患は、どちらかの性器やその能力が未発達なことが多いんだ、さっき言った尿道もそうで、これは未発達なものだと思う、実際機能もしていないようだから…」
「…」
「ただ、女性器に関しては、君は17歳で、まだ体が成長しきったとは言えない、これから生理が来たり、なんらかの変化が起きないとも限らない、だから、できれば定期的に今日みたいな検査を勧めたい、もちろん、何か変化に気づけたらすぐにでも」
「…わかりました」
「以上だよ、何か、聞きたいことはあるかな?」
今聞いたことを整理するのに精一杯な僕は、黙って首を横に振った。
先生は「そうか」とデスクに向き直ると、何かをプリントアウトし始めた。
プリンターが紙束をガーガー吐き出すのを見つめながら、頭を回そうとしても、色々なことがうまく飲み込めない。
「ここに、今日の検査結果と疾患についての詳しい説明が書いてあるからね」
そう言って、先生にプリントをまとめたA4の茶封筒を渡された時、僕は、どうしてかわからないけど、また、涙がこぼれてしまった。
涙で滲んだ視界で先生の顔がさっと強張って、こちらが少し驚くほど、彼が大きく動揺したのがわかった。
「シールズさん、大丈夫かい?」
先生は慌ててティッシュボックスを取ると、僕に差し出した。
「だいじょぶ、です…」
僕は、あふれてしまう涙を手の甲で拭った。
白衣の袖をまくり、スマートウォッチを覗いた先生は、困ったような顔で僕を伺った。
「シールズさん、もし時間があるなら、少し待っててもらえるかな?」
「…なんですか?」
「この後、1階の会計や総合受付のあたりにいてくれるかい?」
「?」
「その…少し話をしたいんだ、18時…15分には行けると思う」
スマホを取り出して見ると、17時40分になろうとしていた。
「わかりました」
「よかった」
「じゃあ、失礼しますーーー」
「ああと、僕が行くまで会計はしないでいてくれるかな?」
「?…はい」
「じゃあ、後で」
診察室を出て、閉めるドアの隙間から、先生がまいったなみたいな顔で俯いて、額を押さえたのが見えた。
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