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ch.15

「ウィンター・ワンダーランド!」 「クリスマス!」 地上に出ると、目の前に広がるまさにワンダーランドな光景に、僕らのテンションは一気に上がった。 ハイド・パークのホリデイ・シーズンの名物、クリスマス・マーケットと仮設遊園地を組み合わせたこのイベントは、このクリスマス目前の週末、まさにピークとばかりにたくさんの人でごった返していた。すっかり暮れた夜空に、きらびやかなイルミネーションで飾られた観覧車やジェットコースターが輝き、人の波の向こうにはサンタ小屋やお化け屋敷、サーカスのテント、大小様々なライド型のアトラクションがあちこちに見えている。 「来たことある?」 「もちろん、初めて…」 どこもかしこも幻想的な電飾が光り、ワイワイと賑やかな人混みに圧倒されていると、先生が「端から見てこう」と僕の腕を掴んだ。一旦メイン・エントランスまで行き、順路通りに回るつもりで人の流れの後ろについた僕らは、キョロキョロしながらのろのろと歩いた。 「先に食べる?遊ぶ?」と僕を覗く先生は、まるで子供みたいにはしゃいでいて、僕も、つい、甘えてもいいかという気持ちになった。 「マシュマロ!食べる」 「よし」 右手に見えたヒュッテ(小屋)を覗くと、大きな平たい丸い鍋に炭がくべられ、マシュマロを炙れるようになっている。炙ったマシュマロを片手に人の列に戻った僕らは、次々と現れるアトラクションにいちいち「すごい」とか「やばい」とか言いながら歩いた。 次に現れたのは、射的とぬいぐるみのヒュッテで、僕は「射的したい」と言った。「サンタのベアはいらない?」と聞く先生に「子供じゃないし」とむくれた僕は、いつもの僕を装えていたと思う。 射的で僕は、最新のゲーム機を落とそうと一生懸命になって、先生はお菓子やクリスマス雑貨や文具なんかを確実に狙った。結局、2ゲームしても僕の戦果はゼロで、先生は両手に溢れるくらいの戦利品を抱えていた。「これ、持ってて」と取ったものをざーっと僕のリュックに入れた先生は、そのまま僕にくれるつもりなんだろう。 その後、隣のバーのヒュッテを覗いた先生は「ホットチョコレート飲む?」と笑った。 「先生は?」 「グリューワイン」 「僕も」 「うーん」 アルコールはとっくに飲める歳でも、18になるまでは親が同伴じゃないと許されない。 店員に「ノンアルのワインありますか?」と聞いた先生は、「ある」と聞いて、それと普通のグリューワインを頼み、クリスプを1袋買った。 子供用のグリューワインは、ぶどうジュースとオレンジジュースにスパイスを入れたものらしく、りんごとシナモンスティックが浮いていて、デザートみたいだった。アルコールはないけど、飲むと冷えた体の芯がじんわり温まった。 「スネてる?」 「全然」 「そか、一口だけなら許す」 「ほら」とワインのカップを差し出す先生の無邪気さが、少しむかつく。 「ご両親には内緒だよ」なんて、いたずらっぽく笑われて、僕の気も知らないでと思いながら受け取った。口をつけたワインは甘酸っぱくて、アルコールが少しほろ苦い気がする。二口、三口と飲むと、「だめ」ってカップを取り上げた先生は、「僕のがなくなる」と半分ほどを一気に飲むと、「温かくて沁みる」と笑った。 それから数軒ヒュッテを巡り、先生は木細工の店で白木のかわいらしいオーナメントを幾つか買った。 「…そういうの、好きなの?」 「好きっていうか、思い出になるじゃん?」 「その発想、女子っぽい」 「思い出いらない?」 「ほしい」と言うと、先生は「ほら」みたいな顔をして、丸い木の板にトナカイともみの木とフクロウを切り抜いたオーナメントを僕にくれた。 「ありがとう…ございます」 満足気に笑った先生は、「パイある、パイ食べよう」とフードのヒュッテの方へ僕の腕を引っぱった。そして、ステーキパイを買ったけど、イートインできる場所が周りにない。どこかで立ち食いするしかなく、別にそれでも構わなかったけど、なんとなくアトラクションの方へぶらぶらと歩いていると、お化け屋敷が現れた。 「お化け屋敷、入る?」と僕を見た先生は、結構ハードな緩急があるトロッコを見て顔をしかめた。 「パイ持って?」 「…だよな、観覧車に乗るか」 なんだか消去法的に選んだ観覧車に向かいながら、僕は、本当にデートみたいだなと思って、ドキドキした。 待機列に20分ほど並んで、観覧車に乗った。初めての夜の観覧車は、上昇していくにつれ、キラキラと光が迸るワンダーランドの全貌を少しずつ見せてくれた。 「すごい、見て先生、めちゃくちゃ綺麗…!」 「ほんとに、でかいな」 「でかい?」 「いや、この規模がさ、すごいなって」 「見てあそこ、スケートリンクがある」 「やってく?」 「後で考える…すごい、光の洪水みたい」 スマホのカメラで動画を撮り始めると、先生が覗きこんだ。 「何に上げるの?」 「ストーリー」 「ふうん」 「…見て、向こうに見えてるの!ケンジントン宮殿かな?」 「たぶんそう、高いな!」 「高いの苦手?」 「そんな得意じゃない…」 ゴンドラが頂上に到達するまで、先生と僕は、窓に張り付いて外を眺めていた。時々先生を見ると、彼は外よりも僕ばかり見ているようで、目が合うと「子供みたいにはしゃいでる」と小さく笑った。 「先生だってはしゃいでるくせに」と睨んでやると、「うん」と認めた彼は、「冷める前にパイ食おう」と僕の分のパックをくれた。薄暗がりの中では、グレービーソースがたっぷりかかったミートパイとマッシュポテトは、あまり美味しそうに見えなかった。 「この中、暗くて食べづらい」 「観覧車ってこういうもんだよ、明るかったら夜景が綺麗に見えない」 「そっか」 「だから、カップル向け」 「…パイ、ちゃんと美味しい!」 「うん、イベント補正あるよな…こういうお祭りだとすごく美味く感じるみたいなーーー」 「そういう現実的な視点、デートにはいらないんじゃないの?」 「気をつける」 と言いながらも、ぱくぱくパイを食べている先生は、ゴンドラが地上に着く頃には、ポテトでソースを残らずすくって綺麗に完食した。 その後僕らは、できる限りのアトラクションに乗ろうと決めて、ジェットコースターやトナカイのライド、高速に回るタイプのティーカップや振り回されるタイプのブランコ、メリーゴーランド、お化け屋敷なんかに片っ端から乗って行った。 途中、小腹が空いたからでっかいソーセージを1本ずつ食べて、またグリューワインを飲んで、おやつ用にコーラといろんなフルーツ味のハリボーを袋一杯パンパンに買って、やっぱりホットチョコレートも買って、サンタ小屋に辿り着いた時にはすっかり満喫していた。 「サンタ小屋、入る?」 ニコニコしてる先生は、意地悪だなと思う。 「サンタ小屋でプレゼントもらえるのは子供限定でしょ、たぶん16歳までじゃない?…ほら」 「大人も入りたいよな、プレゼントほしいじゃん」 「先生、なんかほしい物あるの?」 「って言われるとすぐに思いつかない……君は?」 「…なんだろ、ホンモノのデート相手」 「…それはさすがにサンタもくれない」 スンと鼻を鳴らした先生が、「じゃ、スケートしてく?」と白い息を弾ませた時、僕らの間にちらりと白いものが舞った。 「あっ」「?」 曇天の夜空から、細かな雪が後から後から舞い落ちてくるのが見えた。 「雪だ」「雪だ」 気がつけば夜も更けて、夜気がしんと冷え込み始めていた。 スマートウォッチを覗いた先生が、「帰ろうか」と呟いた。 スマホを見ると、もう22時を過ぎていた。子供じゃなければ、もっと遊んでいられるのに。そう思いながら、「はい」と従った。 まだまだ賑やかな人混みを縫いながら、僕らはのろのろと駐車場に向かった。 「もっと早く降ってくれればよかったのに」とボヤく僕に、先生は「あんまり寒すぎるのはよくないよ」と静かに答えた。 「?」 「お腹、冷やさないようにね」 「…はい」 「寒くない?」 「平気です」 「うん」 見上げた先生は、本当に柔らかく笑っている。 その優しさは主治医としてのものだとわかっていても、僕にとっては特別で、胸を締め付ける慕情に気づかれないよう、俯いてため息をついた。 僕の町に向かう道中、雪は少しずつ勢いを増し、ワイパーがウィンドウを覆う雪を忙しなく拭っていた。 先生は「凍結する前に帰りたいな」と独り言を言っていたけど、特に焦ったり急ぐわけでもなく、いつも通りリラックスして車を走らせている。 ほんの少しでもこの想いを吐き出してしまいたい。苦しい胸に耐えかねた僕は、思い切って口を開いた。 「…先生?」 「ん?」 「話、聞いてくれますか?」 「何、かしこまっちゃって」 「……僕、好きな人が、いるんです」 「そーか」と僕を見た先生は、なんだか嬉しそうに笑っている。 「なんですか?」 「いや、随分、雰囲気が変わったからさ」 「…」 「急に大人っぽくなったから、なんかあったんだろうって…」 「…お陰で、悩みも、あるから」 「…」 「自分が男なのか女なのかよくわかんなくなってるし…どうしたらいいのか…どうしようもないけどーーー」 「相手は男?」 頷くと、先生の横顔が少し固くなったのは、気のせいじゃないと思う。 「…男でも女でも、誰か、君をちゃんと理解して、受け入れて、愛してくれる人だといい…」 「…先生みたいに…」 先生が僕に顔を向けたのが視界の端に見えたけど、その表情を見る勇気はなかった。 「そのっ、違う、そういう意味じゃなくてーーー」 「その彼に、気持ちを伝える…?」 「…わからない」 「その彼がだめだったとしても、さっき言ったような誰かに、いつかきっと会えるよ」 「……そう思う?」 「もちろん、僕は、君をよく知ってる」 「…」 「体がどうとか、性別がどうこうなんて、関係ないんだ」 慰めるような笑顔の瞳は、強い自信に溢れていた。 そして僕は、僕の主治医は彼じゃなきゃだめで、この関係は今が最善なんだと思う。 「きっと、サンタが連れてきてくれる」 そう言って、先生が無邪気なウィンクをくれた時、車は僕の家に着いた。 「…先生、今日もありがとうございました」 「楽しかったね」 「とっても……じゃあ、おやすみなさい」 「メリー・クリスマス」 「…メリー・クリスマス」 車を降りて、閉じたドアのウィンドウの奥で、先生は今日も左手をひらひらと振って、粒が大きくなり始めた雪の中を帰っていった。 今のままが最善。わかっていても、先生を諦められるわけじゃなかった。だから、僕は、彼を想って耽る虚しいオナニーをやめられなかった。

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