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ch.17
30分ほどして戻った先生は、スタバの紙袋を持っていた。僕を店にわざわざ連れて行くのを避けたのだとわかると、本当にこの人が好きだと思った。
「待たせてごめん、混んでてさ…帰ろう、送ってくよ」
先生についてエントランスホールに出ると、今日も既にファロンさんはいなかった。
「先生、検査のお会計してください」と言うと、彼は苦笑いで振り返った。
「ご両親に言ってきた?」
「はい、ちゃんとお金もらってきました」
「…そか、わかった」
先生は受付のカウンターに入ると、プリントアウトした診療明細書と領収書を出した。検査代はともかく、これまで4度、一度も診察代を払ってないことを思い出しながらお金を払った。
「これまでの診察代もーーー」
「じゃ、帰ろう」
先生はお釣りの紙幣と小銭をくれると、そそくさとカウンターを出て僕の背を押した。この人はこうなったら頑としてでも受け取らない。
僕は黙ってレシートとお金を検査結果の封筒にしまい、クリニックの外に出た。
車は、夜の街をゆっくりと僕の地元に向かっていた。
先月、“デート”をした日より冷え込みは厳しく、空には鈍い灰色の雲が厚く垂れ込めていた。
「今にも雪が降りそう…」
僕の独り言に、先生が「うん」と返した。
黙ってラテをもらい、カップを包んで両手を温めた。
先生もコーヒーを取って何度か口をつけると、小さく息をついた。
「…あれから、恋はどう?」
さり気なく切り出したつもりらしい彼の問いは、なんだかよそよそしく聞こえて、そして僕は、前回の話を覚えていたのかと思うと気恥ずかしかった。
「何も…ありません」
「そか」
「…」
「…体を知られるのが、怖い?」
「…その人は、知ってます」
「そうか、言ったのか…」
驚いた声は、純粋に喜んでくれているように聞こえた。
「君が自分の体のこと、受け入れられるようになってて嬉しい」
「…でも、気持ちは伝えません」
「…どうして?」
「…」
「ごめん、踏み込みすぎたーーー」
「言わないのは、お互いのためです」
「…」
「それに、彼は、ストレートだから…」
「…そうか」
僕が黙ると先生も口をつぐんで、僕の家に着くまで、音を絞ったラジオのパーソナリティと歌だけが僕らの沈黙を埋めていた。
車が停まり、気がつくと、フロントガラスに雪がひとつ、またひとつと降り始めていた。
「雪…」
「これから2月が一番冷える」
空を見上げた先生が、ぽつりと言った。
「2月…」
「?」
「…僕、来月18になるんです」
「…知ってるよ」
ステアリングに腕をついた先生は、コーヒーを一口飲むと、なんだか楽しそうに僕を眺めていた。
「法律上は18から成人だけど、誕生日が来たら、いきなり大人になるわけじゃない…」
「ははっ、そうだなーーー」
「子供と大人の境目って、本当はどこなんだろ…」
「…それが曖昧だから、便宜上、18ってルールがあるんだろうねーーー」
「じゃあ、先生…」
「ん?」
「僕が18になったら、僕のこと、一人の大人として見てくれますか…?」
どうして、そんなことを言ったのかわからない。まだ少しぼんやりしていて、言葉通りで、本当に他意はなかった。
「………」
どういうわけか、先生は何か酷く驚いた顔で僕を見つめていた。
「?」
フロントガラスでカサカサと音がして、見ると、大きくなった雪の粒が窓一面を覆い始めていた。
雪が酷くなる前に帰ってもらわなきゃ。そう思って、「おやすみなさい」を言おうと先生に顔を向けると、彼の顔が目と鼻の先にあった。僕のシートに手をかけ、こちらに身を乗り出しているのは、何か、物でも取ろうとしてるんだと思った。
「先生?」と呼んだ声が言葉になる前に、先生の唇が僕の唇を塞いだ。
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