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ch.25
先生の連絡先をゲットしたこの夜、彼に連絡もオナニーもしなかったのは、当然、セックスをしたばかりで満たされていたからだ。
翌日土曜日も、先週みたいに色惚けでフワフワしていたから、連絡もオナニーもしなかった。それに、昨日の今日で連絡したら、ガツガツしてると思われるかもしれないと思ったからだ。
そして日曜日。夕方、街に出て買い物を済ませ、少し勉強をして、夕食後に部屋でゴロゴロしながら、ふと先生に思いを馳せていた。
これまで、先生からの連絡は何もない。彼が言っていた通り、本当に、僕の邪魔になることを自らする気がないらしいことがわかった。
そしてふと、先生は今、何をしているんだろうと思った時、僕は彼のプライヴェートについてほとんど何も知らないことに気がついた。家には行ったけど、寝室と浴室しかろくに見てなくて、リビングや他の部屋でどんな風にくつろいでいるのか想像できない。それ以前に、車が好きなことを除けば、趣味や、どんな本や映画が好きとか嫌いとか、そういったこともよく知らない。そんな事実に気づけば寂しい気がして、何より彼恋しさが募って切なくなった。
そして、22時を過ぎた頃。僕は思い切って、通話アプリの先生のアイコンをタップした。3回目のコール音が終わる前にオンラインになった時、その意外な早さに、まだ心の準備ができていなかった僕は焦った。
「……あっ…アレック?」
『うん、ウィル?』
音声はイヤホンで聞いているから、頭にダイレクトに響く声が嬉しい。そして、僕を確かめる声は、なんだか笑みを含んでいるように聞こえた。
『何?どうしたの?』
彼の声は普段より少し低く、喋り方はのんびりと落ち着いていて、いかにもプライヴェートっぽかった。
「なんでも…声、聞きたくて」
『ウン』
微かに聞こえるクスクスと笑う吐息を聞くだけで、さっきまで胸を締め付けていたモヤモヤがすっと消えていく。
『家?何してるの?』
「そう、自分の部屋…そろそろ寝ようかなって思ってたとこ」
『いつも寝るの、これくらい?』
「ううん、もっと遅い…1時くらいとか」
『遅くない?』
「やること多くてーーー」
『オナニーして?』
「…それもそう」
ふふっと笑った声も嬉しくて、僕はベッドに寝転んだ。
「アレックは?今、家…?」
『そうだよ』
「いつも何時くらいに寝るの?」
『僕も、1時くらいまでには寝てる』
「そうなんだ…今日は、何してたの?」
『今日?大学時代のツレと昼から飲んで、本屋行って、また夜少し飲んでさっき帰ってきたとこ…君は?』
「少し買い物行って、勉強して…アレックのこと考えてた」
『うん』
「…これくらいの時間なら、電話しても平気?」
『そんなこと気にする?』
彼はたびたびクスクスと笑っていて、それが耳に心地よくて、なんだか眠くなってしまう。
「…するよ」
『…そうだな、夜、話すなら…0時くらいがいいんじゃない?寝る前くらいとか』
「わかった」
『出れなかったら折り返すし、メッセージだって送れる』
「うん」
『…意外だった』
「…何が?」
『昨日とか、なんかメッセージ送ってくるのかと思ってたから』
「…あんまり、意味がないのも迷惑かなってーーー」
『そういうの気にする?』
「…一応ね」
『“おやすみ”とか、それだけだっていいじゃん?』
「そうだけど…」
『前の彼女とは、メッセージとかしなかったの?』
「してたよ…必要な時と、そうでもないおしゃべりは日に数度くらい」
『男っぽい』
「そうだよ、僕、男だし…」
『そうだった』
「だったって…僕のこと、女だと思ってる…?」
『そうじゃなくて、まぁ男だけど、なんていうか男でも女でもなくて…君は君、ウィルだと思ってる』
「…」
『…いや?』
「ううん…なんか、嬉しいかも…」
『…君は、特別』
「…なんかそう言われると、照れる」
『うん』
「ねぇ、アレック…大人も、メッセージでいちゃついたりする?」
『いきなり何、そりゃ全然するよ、変わんない』
ぷっと吹き出した彼が、少し新鮮だった。少しずつでも素の彼の気配を感じるほど、通話じゃなくて側にいられたらと強く思う。
『ウィルはさ…』
「うん」
『すごく大人だね』
「…どうして?」
『ヘンなとこ、気使ってさ』
「…僕のこと、ずっとコドモ扱いしてたじゃん」
『…大人だと思ってたよ』
思いがけない言葉に、ちょっとびっくりした。
「…そう、なんだ」
『うん』
「…いつから?」
『内緒』
「…気を使うの、よくない?」
『そんなこと言ってない、ただ…』
「ただ…?」
『もっと、甘えていいよ』
「…甘え?」
『うん』
「これでも十分、甘えてるつもり…」
『どっちかっていうと、遠慮してる』
「…難しいよ」
『どうして?』
「アレックは…僕の、先生だしーーー」
『セックスの時、そんなこと考えてる…?』
「多少は…」
『そか』
「…特に初めての時は、ヘンタイ先生って感じだったし…」
『ごめん、あれはちょっと意地悪だったーーー』
「酷いよ、初めてってわかってて…」
『ごめん…どうしたら許してくれる?』
「アレックって、ほんと意地悪」
『ごめんーーー』
「それに、ねちねちしててすごくエッチだーーー」
『いや?』
「…驚いただけ、大人ってこうなんだって」
『人によるよ』
「それと、医者のくせにナマで中射しするなんて最低」
『…ごめん、やめる』
「……いいよ、して」
『…うん』
「アレック」
『うん』
「会いたい…」
『僕も』
「なんか、フツーのカップルみたいにデートとかしたいし、いっぱいファックしたい」
『しよう』
「本当に?」
『うん、少しずつ…』
「近くに…いられたらいいのに」
『いずれ、ね』
「…」
『どうしたの…?』
「なんでもない、甘えただけ…」
『…君のそういうとこ、好きだよ』
見えていなくても、目を細めて微笑んでる彼が見えて、幸せになる。
「僕…」
『ん?』
「…すごく、幸せ…」
『…ウィル』
「うん」
『愛してるよ』
「…っ」
これまで、誰かからの“愛してる”が、こんなに嬉しくて幸せだと思えたことはなかった。
「…僕、今だに…アレックの愛してるが…嘘みたいに思える」
『…信じられない?』
「そうじゃなくて…とんでもなくヤバくて…僕、こんなに幸せでいいの?って、思う…」
『今すぐ飛んでっていくらでも言ってやりたい』
「…アレック」
『ん』
「僕も、愛してる…」
アレックにそう伝えるたびに、これまで誰かに言った“愛してる”は形だけだったんだと思い知る。そして、彼に“愛してる”と伝えるたびに、体から溢れてこぼれ落ちてしまいそうな想いで胸が詰まった。
『…うん』
「じゃあ、そろそろーーー」
『オナニーするの?』
「……しない」
『そっか』
「声、聞けただけで胸いっぱい」
『僕も嬉しい』
「金曜日…」
『うん』
「金曜日、行ったら…先生のフリしないで、すぐキスしてほしいーーー」
『フリじゃなくて、僕は医者だよ』
「…うん」
『わかった』
「じゃあ、そろそろ…切るね」
『うん……長くなるの気にしてる?』
「…うん」
『いいよ…わかった、おやすみしよう』
「うん…おやすみ、アレック」
『おやすみ、ウィル』
「うん」
『……じゃあ』
「…愛してるって言おうとした?」
『うん』
「…愛してる、アレック…」
『愛してるよ、ウィル』
「うん…じゃあ、切るよ」
『うん』
「…切るね」
『うん』
「おやすみ」
『おやすみ』
「…」
会話を終えるのが名残惜しくて、こんなに通話を切るのをためらったことなんてなかった。終了ボタンをタップすると、寂しさと切なさと、それを上回る多幸感でため息が漏れた。そのまま、耳に残る温かな声を忘れないように胸にしまい込んで、この夜は自慰もせず、眠る前に先生に「おやすみ」とだけメッセージを送ったけど、寝落ちるまで返信はなかった。
翌朝スマホを見ると、1時くらいに彼から「おやすみ」が届いていて、嬉しくなった。そしてその午後、クリニックに電話をした。予約は、次の金曜日に取れた。
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