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ch.34

ウェストフィールドから先生のマンションまで、車で約30分。 いつの間にかウトウトしていた僕は、到着して起こされるまで眠り込んでしまっていた。寝起きの頭でスーパーの袋を両脇に抱え、先生の後についていく。3週間前、一晩過ごしただけの部屋のドアの前に立つと目が覚めて、フラットに入ると、ついにふたりきりになれた喜びと期待で胸が昂ぶった。 玄関を抜け、廊下の突き当りにダイニング、左にリビングがあり、リビングの奥に寝室のドアがあった。あの日、リビングもダイニングも通ったはずなのに、間取りも内装もろくに覚えていないのは、彼とファックすることに根こそぎ意識を奪われてたんだろう。改めて見ると、ダイニングもリビングも寝室同様広々として、気持ちがいい。そして同じく、白とグレイがメインの内装とモダンなインテリアはシンプルで、少しだけ無機質に思えた。 「どーした?荷物ここ置いて」 アイランドキッチンの向こうで、先生は買ってきた物を袋から出したり冷蔵庫に入れたりしている。 「ううん、モデルルームみたいだなって」 彼の側のカウンターに行き、袋からデリを取り出した。 「嫌い?」 「ううん…なんていうか、生活感がない」 「…実際、そんなにうちにいないからね」 苦笑した先生は、食器棚から取り出した皿やコップを並べ、デリを温めたりとディナーの準備をてきぱき進めていく。僕が何かしなくてもみるみるディッシュが盛られていって、僕は馬鹿みたいにもじもじしていた。 「なんか…することある?」 「酒、ワインでいい?」 「うん」 「じゃ、これ、グラスに注いで」 受け取った瓶の銘柄は知らなかったけど、安売りされてなかった物なのは覚えているから、それなりにいいモノなんだろう。封を開け、コルク抜きに手間取って、ようやくふたりのグラスにワインを注げた時には、先生はテーブルにディッシュを並べ終えていた。 僕がテーブルにつくと、先生はテーブルに並べたキャンドルに火を灯して、ダイニングの照明を落とした。せっかくロマンティックになったのに、対面に掛けた先生が遠くて少し寂しい。僕らの間には、数種のパスタやピザ、ローストビーフ、ローストチキン、シーザーサラダ、コブサラダ、魚のムニエル、ビーフパイ、スモークサーモン、海老のフライ、ポークチョップ、ベイクドポテト、チーズ盛りからリゾット、春巻き、天心まで、とても食べ切れない量のディッシュがあって、先日の僕の誕生日祝いよりよっぽどパーティー感があった。 「乾杯」「乾杯」 グラスを掲げ、ニコリとする先生を見つめながら、僕もグラスに口をつけた。ワインはとても美味しくて、まだ食べてもいないのに半分飲んでしまった。 「…ねぇアレック、やり過ぎだと思うよ、これ」 「いいじゃん、腹減ってない?」 「ぺこぺこ」 早速、アラビアータを取ってぱくつく僕を、彼は嬉しそうに見ていた。 ディナーの間、僕らは、ぽつぽつと思いつくままに話をした。 僕は、家のことや、学校や勉強のことや、アーセナルのサポーターでどの選手が好きとか、今ハマってるドラマのシリーズとか、今やり込んでるゲームや好きな映画のことなんかを話して、先生は、厳しい両親のことや、だからロンドンに逃げ出すのが夢だったとか、好きな作家の本や、クラシックも聴けばゴリゴリのメタルも聴くとか、付き合いで入ったゴルフクラブは面倒だけど人脈をも必要だから仕方ないということや、学会や研究や論文がどうのというような彼の専門的なことを話した。 昼間そうだったように、少しずつ互いのことを知っていくのが嬉しい反面、彼と僕にはこれといって大きな共通点がないこともわかり始めて、ほんの少しだけ不安になった。 「映画でも観る?」 お腹がいっぱいになった僕を見計らったのか、先生は席を立つと、僕をリビングに連れて行った。促されるままソファに掛けると、彼は「ちょっと待ってて」とどこか、おそらく書斎に行って、何かを持ってすぐに戻った。 そして、僕の側に掛けた先生は、「誕生日おめでとう」と手に下げたショッパーを僕に差し出した。 「え?」 「誕生日プレゼント」 思ってもみないことに、僕は、呆気にとられてしまった。少しも期待がなかったわけじゃないけど、今日ここまで、彼にそんな素振りはなかった。 「サプライズ!?」 「プレゼントくらい普通だろ」と呆れた先生は、「遅くなってゴメン」と気まずく笑うから、僕は慌ててそれをひったくった。 「本当嬉しい…開けていい?」 「もちろん」 震える手で中のボックスを取り出し、ラッピングを剥がす間、先生はこっちのテーブルにワインとグラスを用意していた。 そして、プレゼントの中身はスマートウォッチで、僕はまた、驚いてしまった。 「どうして、こんな、すごい…!」 「ごめん、本当は昨日渡したかったけど、君、風邪でそれどころじゃなかったからーーー」 「そんなのどうだっていい、こんな、すごい、嬉しい…!」 興奮する僕に、先生はほっとしたように笑って、ワインを舐めた。 もしかしてと彼の左手を盗み見ると、やっぱり、同じ黒いモデルで間違いない。あまりに嬉しくて、ドキドキしていた。 「…これって、先生とおそろ?」 「そう…お揃いってベタすぎるかなと思ったけどーーー」 「全然嬉しい!」 「喜んでもらえてよかった、もしかしたら、若い人は必要ないかなと思ったんだけどーーー」 「使うよ!」 「結構悩んだんだ…君が好きな物とか、好みとか、あんま知らないからさ…」 先生がそう言った時、またふいに不安がよぎった僕は、途端にテンションが落ちた。 「…ウィル?」 「ん?」 「どうかした…?」 「…ううん…少し、不安になっただけ…」 「どうして…?」 彼は僕の手からプレゼントを取ってテーブルに置くと、代わりにワインのグラスをくれた。 「…その、アレックはすごく大人で…僕はまだ何もないコドモで…僕はアレックのこと、まだよく知らなかったし…でも知ってくと、共通してるトコとか、そういうのあんまない気がして…なんか、距離、感じちゃって………」 「…ワイン、飲んで」 数口アルコールを飲むと、少し落ち着いた。 「…ウィル」 「…うん」 「…僕達は、どうして惹かれ合ったのか、わかる?」 僕は、首を横に振った。 「僕だってわからない…でもウィル、君に惹かれたんだ、とても…」 頷くと、優しい指に頬を包み込まれて、ため息が漏れた。 「ウィル、僕は君に、側にいてほしい」 僕を覗く瞳は、ただ穏やかで、そして強かった。 「患者としてじゃなくて、朝起きる時からおやすみを言うまで、君に側にいてほしい…」 「…」 「もちろん医者としても…僕は君の体に寄り添って、責任を持っていきたい」 しばらく、先生の言っていることが飲み込めなかった。 まっすぐな眼差しは優しく澄んでいて、ほんの冗談のカケラもなかった。 心臓がバクバクして、彼を呼びたくてもうまく声にならなかった。だから、深呼吸を一つして、喉を振り絞った。 「…アレック…」 「うん」 「…なんか、それ…プロポーズ、っぽいねーーー」 「そうだよ」 彼は、当たり前みたいに笑った。 「………」 気がつくと、視界がぼやけて、僕は泣いていた。体の中で、喜びと苦しいものがぐちゃぐちゃに入り混じって、こみあげるめちゃくちゃな感情を抑えられなかった。 「…先生っ、僕っ…ごめ、ごめんなさいっ…」 先生が僕の手からグラスを取り上げて、僕は必死であふれてしまう涙を拭った。 「…僕が、まだっ…親に言えないから…先生にもコソコソさせてる…っ」 「…いいんだ」 「…先生との、コトがばれたらっ…先生と会えなくさせられるかもとかっ…」 「…」 「…騒ぎにされてっ…先生がまずいことに、なるかもとか…っ」 「…」 「…そういうことを考えたら…すごく怖くてっ……まだ、言えなくてっーーー」 僕を抱き寄せた先生は「わかってる」 と囁いて、嗚咽する背を優しくあやした。 「僕のために、君に苦しい嘘を背負わせてるのはわかってる…」 必死で、涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔を彼の肩になすった。 「…っ……っ…」 「だから謝ったりしないで」 「…僕は、酷いことっ、してるーーー」 「なんとも思ってないし、急かす気もない」 「…僕も、アレックのっ、側にいたい…」 強く強く抱き締められて、胸も息も苦しい。そして、こんな一瞬一瞬も、あまりにも幸せだと思う。 「…僕だって、アレックと手を繋ぎたいしっ、朝から晩まで、側にいたい…っ」 「ウィル」 「…苦し、アレックーーー」 「セックスしよう」 「するっ…」 「不安なんてなくなるくらい、しよう」 「する」 「いっぱいしようーーー」 「早くして」 僕を抱く体がクスクスと笑って、この会話をキスで終えた僕らは、伝えきれない溢れる想いを口付けで交わしながら、寝室に転がり込んだ。

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