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ch.40
翌日。家の中は誰もがよそよそしかった。僕の体のことを家族に伝えて以来、体に関するセンシティブな話はなるべくしないでほしい、話があるなら僕からすると言っていた。今回も、これに付随する件だと認識されているのか、家族が積極的に触れようとしないのは助かった。
そして僕は、いつも通り学校に行き、バイトをして帰った。バイトの日は帰りが遅くなるから、いつも一人で夕食を食べている。夕食を済ませた後、父さんと母さんに呼ばれた。
両親は、僕の話だけでは素直に受け止めづらいから、先生と一度話したいと言った。そして、彼らが“僕らをどうするか”を決められるまで、先生のクリニックには行くなと言った。
僕らをどうするか、だなんて、親に決める権利があるんだろうか?
突沸した怒りと悔しさを必死で押し殺して、了解した。
親のことを先生に伝えると、彼は相変わらず落ち着き払って「わかった」と短く言っただけだった。そして、週末の土曜日、僕の家に来ることを決めた。
『大丈夫?』と僕を案ずる声は、とてもとても優しかった。
「…わかんない、なんで、僕、悔しい……」
話しているうちに涙がこぼれてしまっていた僕を、先生は繰り返し慰めた後で、最後に『愛してる』と囁いてくれた。
こうして、土曜が来るまで毎日ずっと、彼に慰めてもらう夜が続いて、僕は、オナニーなんて少しもする気になれなかった。
* * *
そして土曜日。先生は、16時きっかりに僕の家に現れた。
「こんにちは」と気持ちよく笑い、堂々として、不敵に見える笑みすら浮かべている先生に、父さんも母さんも意表を突かれたのか、怪訝な気色を微塵も隠そうとしなかった。そしてローズは、友達の家に”遊びに行かされていた”からいない。どんな話になるかわからないから、予め両親が彼女に同席しないよう促していた。
リビングに通された先生は、僕の顔を覗くと、作り物じゃない笑顔で「やあ、元気?」と軽く首を傾げた。
今日の先生は、上下紺のセットアップで、ジャケットの下には紺のチェックのシャツにラクダ色のニットベストを重ねていた。髪は綺麗に後ろに流して綺麗にまとめ、ボストン型の眼鏡をかけている。薄茶のフレームは髪と目の色によく似合って素敵で、つい見惚れてしまう。さりげなくインテリを匂わせるコーディネートは非の打ち所がない好青年で、以前うちに来た時とはまるで印象が異なって、そんな彼に、両親は余計に戸惑っているんだろう。
「大丈夫…その眼鏡、何?」
コソコソ話すと、彼は両親に見えない角度で「買った」とニヤリとした。
そして、真面目な顔を繕った先生は、父さんの対面のソファに掛けて、僕は彼の隣に腰を下ろした。
お茶をテーブルに並べ終えた母さんが父さんの横に掛けると、その場がしんと静まった。父さんは不信をあらわにして、母さんは困惑の面持ちで僕らを眺めていて、なんだか裁判でもされているような気持ちになった。
先生はお茶を飲み、改めて居住まいを正すと、僕の両親をまっすぐ見返して口を開いた。
「今日はお時間をいただきありがとうございます、ウィル君とのことについて、僕からもちゃんとお話させていただきたいと考えていますが、まずは、お父様、お母様のお考えやお気持ちを伺ってもよろしいですか?」
先生の毅然とした声に、父さんと母さんは怯んだように見えた。
なんの悪びれも、僅かな申し訳なさも見えない彼の横顔に、僕ですら少し驚いてしまう。
そして、僕らは悪いことなんてしてないんだと強く思えた僕は、萎(しお)れてた気持ちが奮い立つ気がした。
「…私達は、正直なところ、困惑しています」
母さんが言った。
「先生は、ウィルの…主治医でしょう?…こんなことは、以前にも…?」
父さんは、苦虫を噛み潰したような顔と口ぶりで言葉を並べた。
「はい、いかにも主治医です、そして、僕はこれまで、彼を除いて患者と関係を持ったことは一度だってありませんーーー」
「…葛藤したり、思い止まろうとかは、なかったんですか…?」
「もちろん、主治医という立場としてはありました、でも、その立場のために自分の気持ちを無視することはできませんでした」
「…先生は…」
父さんは難しい顔をして、続けた。
「先生は…同性愛者ですか?」
思わず、馬鹿げた質問だと言いかけた僕は、唇を噛んだ。
先生は、顔色ひとつ変えずに答えた。
「それが何か、重要ですか?」
父さんは息を飲んで、黙り込んだ。
「僕は今でも、基本的には異性愛者だろうと考えています、同性愛者という意識はあまりありません」
「…」
「僕は、ウィル君に対して、男だから、女の体があるからというのではなく、彼という人に惹かれました」
「…」
「側(はた)から見れば僕は同性愛者かもしれません、そう捉えていただいても自由ですが、僕にとってはどうでもいいことです」
「…ウィルとは…1ヶ月ほど前からと聞きました」
母さんが、恐る恐るという風に口を開いた。
「先生は、いつからこの子のことを…そういう風に見ていたんですか…?」
先生は、母さんに体を向けて答えた。
「ウィル君は、彼から僕にアプローチしたと言ったかもしれませんが、それは嘘です」
あっさり嘘をバラされた僕は、バツが悪くて俯いた。
「僕らは去年の6月に出会ってから、互いに少しずつ惹かれていったと僕は考えています、どちらがどうではなく…」
「…」
「彼が僕のクリニックに来るのは月に一度程度で、主に精神的なケアをしていました、彼が抱えているのは簡単な問題ではありませんから、僕も通常よりは親身になりました」
「………」
「そうしたやり取りを交わすうちに、僕は、彼という一人の人間を大切に思うようになりました、そして彼も…僕に頼ることで得られる安心感があったと思います」
「…でもあの子は、子供でしたーーー」
「それもわかっていましたから、強く自制していました……でも、互いに惹かれているのに、いつまでも目を背けるのは困難です」
「…」
「…僕の落ち度は、関係を持つ前に、一言ご両親に報告をして断りを入れるべきでした…その時点で了承を得られたか否かはわかりませんが…」
「………」
「ですが僕は、嘘をついて彼と関係を持ち、そのせいで彼は僕のために嘘を重ねることになりました」
「…」
「信用を失って当然だと思います、申し訳ございません…」
先生は、深く頭を垂れた。
僕は、怖くてドキドキしていた。
父さんは唸り、母さんは辛そうに僕らを見つめている。
そして、再び顔を上げた先生は、堂々と言葉を続けた。
「今後、彼の主治医を拒否され、一切診るなと仰られるなら甘んじて受け入れますーーー」
「先生!?」
先生は、僕の肩にそっと触れて制した。
「しかし僕は、彼の医師でなくなったとしても、僕は彼との関係を終わらせるつもりも、彼の体に対する責任を放棄するつもりもありません」
両親の顔が、みるみる驚きに塗られていった。
「…僕は、ウィル君を愛しています」
はっとした両親は、先生を凝視した。
「いずれは、彼がいいタイミングで、彼との結婚を考えています」
今度は僕が、度肝を抜かれた。
「…結婚」
父さんはぽかんとしていた。
「結婚?」
母さんは、突然のことに理解が及ばないみたいだった。
「はい、僕がお話ししたいことは以上です、僕らをどうするか判断されるようですが、僕のウィル君を想う気持ちが真摯なものであると少しでもご理解いただけていればと思います」
「………」
父さんは、腕を組んだまま固まっていた。
「…わかり、ました…」
母さんは、まだ動揺してるみたいだった。
「それでは、失礼します」
先生は、最後にとびきりの笑顔を作ると、無駄のない動作でスタスタと出ていった。
「…僕、送ってくる」
慌てて後を追う僕に、父さんも母さんも何も言わなかった。
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