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ch.41
コートを引っ掴んで玄関を飛び出すと、先生はドアを出た数歩先で僕を待っていた。勢い余って突っ込んだ僕を受け止めた彼は、そのまま僕を抱き締めた。
「ウィル、元気そうでよかった」
「…アレック!」
僕も彼に腕を回して、目一杯しがみついた。
彼の体温を感じて、よく知った匂いに包まれるだけで嬉しくて、胸がいっぱいになった。
「…アレック、少し話す時間、ある?」
「あるけど…大丈夫?」
先生はちらりと窓に視線をやって、両親が見てると教えてくれた。
「全然平気」
「じゃ、少しドライブしよう」
「行く」
彼の腕に腕を組んで、彼の車に向かう足は浮かれて、縺(もつ)れそうだった。
たった一週間しか経ってないのに、先生の車が酷く懐かしく感じた。助手席に座れば、ここが僕の場所だと思えて、右を向けばリラックスした先生がいる。思い返せば、僕らはここまで、大切な時間の多くをこうして車の中で作ってきていた。
「…何、ニコニコして」
「だって、会えただけですごく嬉しいーーー」
「キスしよう」
答える代わりに、先生の首にしがみついた。ガチガチと歯をぶつけ合い、鬱憤を晴らすようなキスを交わすと、胸が甘いもので満たされて、生きている実感が湧いた。
そして、先生は伊達眼鏡を外すと、「行こう」と車を出した。
車は、よく知るルートを逆に辿り、ロンドンの中心部へ向かっていた。
「先生、すごく堂々としてたね」
「半分ハッタリ、びくびくしてたら舐められるし、強気に出られる」
「…喧嘩じゃないんだから」
「ただでさえ信用を失くしてる、堂々と主張を言った方が、“正しそう”に聞こえる」
「なんだか詐欺師みたい」と笑うと、彼は「できるかもしれない」と笑って、僕の手を強く握った。
「…それと、堅苦しすぎてた」
「至極真面目な話だからね、堅苦しい方がいいんだ」
「だとしても、慇懃過ぎたと思うよ…」
「大切な子供を奪っといて、ヘラヘラはできない」
「…奪う?」
「そう、奪った」
冗談かと思ったら、その横顔は固かった。
強い覚悟のようなものを感じた僕は、彼の手を強く握り返した。
案の定、行き先はブルームズベリーだった。クリニックの前に駐車して、先生と僕はいつものスタバに向かった。
2月の最終週の夕方、とっくに日は暮れている。夜の冷え込みに肩をすくめると、先生は彼のマフラーを僕に巻いてくれた。
これまで何度も利用したこのラッセル・スクエアの側のスタバも、ふたりでイートインは初めてだった。いつものブラックコーヒーとカフェラテを頼んで、窓際のちょうど空いたテーブルに掛けた。
道行くファミリーやカップルを眺めながら、もう僕らはコソコソしなくてもいいんだと思うと、それが今、問題になっているとしても嬉しかった。
「…ねぇ、アレック」
「ん」
「あれ…本気なの?」
「どれ?」
「結婚ーーー」
「もちろん」
柔らかく微笑む彼に、胸がぎゅっと締め付けられた。
「…知らなかったから、驚いたーーー」
「先週泊まった日、言ったじゃん」
「正式な“結婚しよう”じゃなかったーーー」
「困る?」
「そんなんじゃ、ない」
「ごめん」と呟いた彼は、マグを持つ僕の手に手を重ねた。
「本当は先週、ちゃんと言うつもりだった」
「…」
「でも、前日の風邪引いてた日、そもそもあの日にプレゼントを渡して、泊まりの日に結婚の話をするつもりだったけど…風邪の日にプレゼントを渡しそびれたから、計画が一日後ろにずれた」
「細かい」
「だから買い物した日、計画通りなら指輪買ってもよかったんだけどーーー」
「指輪!?」
「欲しくない?」
「嬉しいけど…何?婚約?結婚?」
「婚約?でもプレゼントをあげる日にしたから、指輪は次の機会でって考えてたんだけど」
「うん」
「君のご両親に結婚の意向を伝えるのも、君が大学決まって、僕らのことを明かしてからのつもりだったけど、こういう展開になったからさ」
「うん」
「さっき言った」
「僕に言う前に…」
「仕方ない、それを言ったほうが、僕が真剣だってご両親には伝わりやすい」
「切り札みたい」
「最大の切り札だけど、本当は、君に伝えてたつもりーーー」
「すごい場面で正式にプロポーズされてた」
「…だから改めて、ウィル…結婚、してほしい」
穏やかに笑いながら、彼はすごく簡単なことみたいな感じで言った。
僕はドキドキして、顔が耳まで赤くなったような気がした。
「…返事は別に今じゃなくてもーーー」
「する、結婚、するよ…」
「…」
「…わかんない、こういう時の返事って…するよでいいの?」
「ノー以外ならなんだっていい」
軽く頷いた先生は、僕の手を引いて指に口付けた。
「…父さんと母さんは…僕らをどうするのかなーーー」
「騒ぎ立てられなければどうだっていい」
彼は僕の指に口づけたまま続けた。
「…もし、そういうことを…したら?」
「ご両親は第一に君を守りたいはずだ、騒ぎ立てれば、君のセンシティブな事柄も明るみに出る」
「…」
「それに君は僕を“愛してる”、君が傷つくようなことをするかな?」
「…」
「君はもう大人だ、彼らが君の意思や選択を尊重してくれることを願うよ」
「…確信ある?」
「もちろん」
「……あの眼鏡、素敵だった」
「今度デートでかけてこうか?」
アレックは僕の指から唇を離すと、不敵に笑ってコーヒーに口をつけた。
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