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第2話 少年剣闘士と少年王子
剣闘士とは、まことに矛盾に満ちた存在である。
剣闘士とは何かと問われれば、「見世物として殺し合いをさせられる奴隷」に過ぎない。
だがその見世物の人気が絶頂を極め、人々の生活にとってなくてはならぬ楽しみとなった時。
奴隷はいつの間にか、賞賛され、憧憬され、英雄視されるようになった。
人々は英雄となった奴隷に惜しみない賛辞を送り、闘技場のへりから贈り物をこぞって渡し、女達は競い合うように股を開いた。貴族の女すら。
ナバハイル王国は、世界一闘技会が盛んな、剣闘士王国として知られる。
このナバハイル王国で、最も人々に愛される最高の剣闘士はアルキバだ。
英雄アルキバの名を世に知らしめた最初の剣闘士大会は、なんといっても九年前の御前試合だろう。
九年前この大会を、齢十七歳の新人アルキバが制した。十七歳の新人が御前試合まで勝ち抜いたことだけでも、史上初の快挙として世を沸かせていた。
だがまさか頂点に立とうとは、誰も予想していなかった。
観客総立ちの熱狂の渦の中、勝者アルキバは栄光の壇上へと歩を進める。
浅黒い肌と漆黒の髪。彫りの深い端正な顔立ちに、黒曜石のように輝く瞳。
アルキバは十七歳にして既に、野性味と官能にあふれた雄の色香を放っていた。
その容貌は、土着の血を色濃く反映している。ここまで純粋な土着的風貌は、混血の進んだ昨今では珍しいくらいだった。
アルキバに祝福の王冠を授ける役は、九歳のリチェル王太子だった。
今は亡き王妃、ユリアーナもこの時は存命で、父王のダーリアン三世は、最愛の妻と一人息子を伴って御前試合を観戦していた。
壇上にのぼったアルキバは、リチェル王太子の前にかしずいた。
真っ直ぐな金髪を肩のあたりで切りそろえたリチェル王太子は、一目で王族と分かる白磁の肌と美貌の持ち主だった。天上こそが本来の居場所ではと思わせる、神々しいまでの愛らしさ。
長い金の睫毛に縁取られた青い瞳は、世の汚いものなど何も映したことはないだろう。
王太子は純朴な熱意を込めて問いかけた。
「素晴らしい試合だった。そなたはなんと強く、そして美しいのだろう。アルキバは人に生まれ変わった戦の神なのか?」
少年剣闘士は、こうべを垂れたままぶっきらぼうに言った。
「俺はただの奴隷です」
王太子は首をかしげて曖昧な笑みを浮かべた。王太子はまだ、剣闘士が実は奴隷であることを理解していなかった。冗談だと思った王太子は、次の質問をする。
「神の生まれ変わりでないならば、なぜアルキバはそれ程強い?」
アルキバはうつむいたまま、しばし考え、口を開く。
「奴隷には奴隷の誇りがあります。俺は剣闘士であることに誇りを持っています」
リチェル王太子はその薄紅色の唇に指をあて、考え込む顔つきをした。
「どうしたら私も、アルキバのように強くなれるだろう」
その質問が意外だったのか、アルキバは目をしばたいた。
そしてそこで初めておもてを上げ、王太子の目を見る。
王太子の小さな心臓が、とくんと鳴った。
初めて正面から見た、英雄の相貌。
力強い光を宿す黒い瞳に、己の全てを見抜かれ、同時に吸い込まれるような心地がした。
王太子の心の揺れを知ってか知らずか、アルキバは少年らしく微笑んで、内緒話のように小声で答えた。
「あんたには王子としての誇りがあるだろう?その誇りを忘れなければいい」
まるで友に語るように答えてくれた。王太子は深く感じ入った。身じろぎもせずアルキバを見つめ、そして大きくうなずく。
「分かった。ゆめゆめ忘れまいぞ」
王太子は背後を振り向き、控えの者から細い黄金の冠を受け取る。
アルキバの頭上に、冠を載せた。
闘技場いっぱいの観客は、天地を揺るがす大歓声を上げた。
空間をうねる拍手の音は、ずっと鳴り止むことはなかった。
この劇的なデビューの年を経て、アルキバは連勝に連勝を重ねた。まだ幼さを残していた容貌も、細かった体も、剣闘士として順当に成長を遂げた。
九年経った今アルキバは、まさに戦の神のごとき押しも押されもせぬ英雄となっていた。
齢二十六歳。人気の理由は強さだけではない。
襟足長めの黒髪に縁取られたその容貌は、どんな男よりも魅惑的だった。
高い鼻梁に、艶めく唇、惹きつける瞳。
あふれる漢気がありながらどこか生来の高貴さすら感じさせる、美男だった。
いわば「王者」の相貌。
言わずもがなの、引き締まった筋肉を持つ完成された肉体は、生きた芸術作品そのものだ。
アルキバに落とせない女などいないだろう、と人は言う。
事実、国中の女達がアルキバに胸を焦がし、こっそりと秘所を濡らした。
ナバハイル王国の誇りと呼ばれ、誰もがアルキバを賞賛し、熱狂した。
ただその実態は、変らず奴隷のままだったが。
他の全ての剣闘士と同じように。
◇ ◇ ◇
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