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第13話 誓い

 リチェルは無言で、アルキバの駆る馬に跨っていた。  たった一人の、信じていた臣下を失った。これから敵だらけの城へと戻る。  間違いなく最悪の状況だ。なのに不思議なほど、リチェルの心は今、凪いでいた。  いつかヴィルターに裏切られたら?その不安に怯えたことは一度ならずあった。だがついにその時がやってきてみれば、むしろやっと解放されたような心地さえしていた。  元々、自殺を図ってヴィルターに引き止められた命だった。そのヴィルターに死を望まれた。ならば。 (今度こそ死のう)  どうせただ泡を吐くだけの、なんの存在意義もない汚泥のようなものだったのだから。息を止めて土塊に戻るだけだ。  ただアルキバには、申し訳ないことをしたと心底思う。こんな事態に巻き込まれ、王子殺しの罪を着せられ殺されそうになっただなんて。さぞヴィルターにもリチェルにも憤慨していることだろう。なのにリチェルに恨み言も言わず、謝罪さえしてくれた。 (立派な男だ)  必ずアルキバの冤罪は晴らさねば、と思う。そして父王に事情を話し、ヴィルターの母を助け出してもらおう。それらが済めば、この命を終わらせるだけ。   北の森の木々がまばらになり、視界が明るくなってきた。  やがて草生す丘の上に出た。その眼下に、王都とその中心に座す王城、さらにその向こうの青い大海を望むことができた。  丘の上でアルキバは、馬の脚を止めた。そのままじっと、とどまっている。  リチェルは背後のアルキバに振り向いた。 「どうかしたか?」  アルキバが尋ねる。 「あんた、城に味方はいるのか?」  思いもよらない質問にリチェルは面食らう。 「な、なんだ急に」 「あの護衛のことを唯一の味方と言ってただろ」  リチェルは視線を横に流した。 「そうだな、ヴィルターは私が唯一信じられる臣下だった。頼んで私の護衛騎士になってもらったのに、私のせいで母堂を人質にとられ、申し訳ないことをした」  込み上げて来るのは怒りより哀しみ。裏切りはショックだが、それでもヴィルターを憎むことなど出来るわけもない。  アルキバはなぜか、不快そうに口を曲げた。 「あいつはあんたを殺そうとしたんだ。申し訳ないもクソもない。騎士なら親より主君を選ぶべきだ。俺には親がいないから、親がどれほど大切なものか知らねえが」  リチェルは力なく笑った。 「私には主君としての価値などない。こんな私に最後まで仕えてくれただけで感謝してる。私もなんだか、吹っ切れた」  その時、アルキバの眼光が鋭く光った。アルキバは突然、リチェルのフードを外し、覆面を剥ぎ取った。リチェルの顔が晒される。  リチェルは驚き目を見開いた。 「なにを!」 「大丈夫、この辺りに来る人間なんていない。それより吹っ切れたって、どういう意味だ?」  アルキバは怒った声で詰問してくる。リチェルは目を伏せた。 「……気にするな」  アルキバはリチェルの肩をつかんだ。 「せっかく助けた命、無駄にする気じゃないだろうな」  アルキバの、人の心の機微を読み取る力にリチェルは舌を巻く。リチェルは誤魔化すように笑みを作った。 「大丈夫、そなたの冤罪は必ず晴らす。心配するな」  「話をそらすな!諦めるなって言ってんだよ俺は!九年前、俺はあんたにこう言った。おう……」  リチェルの心臓がどきりと跳ねる。 (覚えていたのか)  思わず口から、続きが出た。 「王子としての誇りを忘れるな」  リチェルの言葉に、アルキバは眉を上げた。 「覚えてるじゃないか」  忘れられるわけもない。ただ、アルキバに憧れアルキバのように強い男になろうと誓った幼い日は、あまりにも遠くに過ぎ去ってしまった。 「言ったであろう、ゆめゆめ忘れぬと。だが私はもはや、王子ではない」 「何言ってんだ、あんたは王位第一継承者だろ」 「それはもう、ジルソン王太子殿下だ」 「法律破りの後妻の蛮行なんて許すな!法に従えば本当はあんたこそが次期国王だろ」 「私には王位への野心などない。なのに兄上たちは私が死ぬまで安心できない」  ちっ、とアルキバは舌打ちをした。 「王位への野心がないだと?だから駄目なんだあんたは」 「だ、駄目とはなんだ」  リチェルはムッとしてアルキバを見上げる。まさか、王位への野心のなさを咎められるとは思わなかった。 「俺はまだガキだったが、あんたが生まれた時の国中のお祭り騒ぎをよく覚えてる。あんたは国中に望まれて生まれてきた存在だ。なのに、国民が知らねえうちに愛人の腹から産み落とされていた連中にあっさり王位を譲るのかよ!なぜ命を狙われるのかって考えてみろ、それが、あんたが今もこの国の第一王子である証拠だ!」  責めるような物言いに、リチェルはかっとして反論した。 「私にどうしろと言うのだ!父上は現王妃の言いなりで、唯一信じていた臣下にも裏切られた!もはや私はたった一人だ!」 「でもあんたは王子だろ」 「もういい、もう沢山だ、私は疲れた!ここが私の死に時なんだ!城に戻って毒をあおる!それで私は楽になれる!」  リチェルは青ざめた顔で言い切った。興奮した胸を押さえて肩で息をした。  アルキバは、はあ、とため息をついた。 「空いた護衛騎士の枠、俺によこせ」 「は……?」  さらりと言われた言葉の意味が理解できなかった。 「ああ、奴隷だから騎士にはなれねえか。じゃあリチェル所有の用心棒奴隷ってことでいい、肩書きなんてなんでもいい」 「な、何の話をしてるんだ」 「俺がヴィルターの代わりに、あんたのたった一人の味方になってやるって言ってる」  リチェルは呆気にとられ、アルキバを見つめた。アルキバはつらつらと言葉を続ける。 「でも俺はヴィルターとは違う、あんたを守るだけのつもりは無い。ジルソンから王位継承第一位を奪還させてやる。俺があんたを王にする」 「ま、待て、何を急に!私の護衛だと?ヴィルターを見ただろう!そなたも大切な人を人質に取られ……いやそれどころか命が危ない!私なんかの味方をしたら、そなたは殺されてしまう!」  アルキバはいたずらっぽい笑みを浮かべた。 「おいおい、誰が殺されるって?俺を誰だと思ってんだ?」  リチェルはぐっと口を噤んだ。  あまりの説得力に、返す言葉がなかった。  胸の内から、形容し難い熱いものが込み上げてくる。 (そなたという男は、なんて)  退廃し堕落した、恥ずべき王子。こんな自分の護衛を、アルキバは買って出るという。  震えるリチェルの唇から、ぽろりと言葉が零れ落ちた。 「アルキバは、優しすぎる」  アルキバはにやりと笑った。 「どうせなら『強すぎる』って言ってくれ」  リチェルは眩しい思いでアルキバを見つめた。 「分かっている、もちろんだ。私に、そなた程の男に守られる価値などないのに……」  すると、 「ある」  とアルキバは即答した。真剣な眼差しで。リチェルが目をしばたくと、アルキバはリチェルの胸に手をそっとのせた。 「ロワに聞いた。リチェルの魂は傷だらけだって。それでもよく、生きながらえたな。あんたは、最強の剣闘士が仕えるに値する強靭さを持っているんだ」  リチェルは口をポカンとする。  顔がにわかに熱くなった。そんなことを言われたことがないのはもちろん、自分で思ったこともない。  褒められることに慣れてないリチェルは、気が動転して視線をさまよわせる。焦りながら次の言葉を探した。 「あ、あり、ありがとう。だが、そうだ、見返りが必要だ。ただ守ってもらうばかりでは申しわけがない。そなたにとっての見返りはなんだ」  リチェルの質問に、アルキバは答えに窮した様子で苦笑する。 「見返りねえ。そんなもん考えちゃいなかったが、ただリチェルを放っておけないだけで……ってこれじゃ、軽薄な口説き文句みたいか?」 「口説き文句……」  その単語を思わず繰り返すと、アルキバは焦った様子で頭をかく。 「いやま、まあ、そうだな、あんたが王になれたあかつきには、褒美の一つくらいもらっておこうか」  リチェルは口に手を当てて、真面目に考えた。 「そなたへの褒美、アルキバが喜ぶもの……」  思考をめぐらせ、そうだ、とあることを思いついた。それは素晴らしい思いつきである気がした。リチェルは瞳を輝かせた。 「こういうのはどうだろう!私が王になったあかつきには、奴隷制度をやめる!この国の全ての奴隷を解放して自由民と同じ権利を与える。もちろん剣闘士も。闘技会は真剣を使った試合である必要はないと常々思っていたんだ。剣闘士を奴隷身分から解放して、闘技会を、殺さない、誰も死なないものに変えたい!」  いいことを思いついた子供のように語るリチェルを、アルキバはひどく驚いた様子で見つめていた。何も言わないアルキバに、リチェルは不安になる。 「嫌だったか?この褒美では」  アルキバは首を横に振った。そして感嘆するように息をついた。 「いや、これ以上ない最高の褒美だ。よく分かったな、俺が最も喜ぶこと」  リチェルはとても嬉しくなった。誇らしげに笑む。 「 信奉者(ファン)は贔屓の剣闘士のことなら、なんでも知っているんだ」  アルキバは吹き出した。 「ははは、参ったよ。いいのかい、そんな国中ひっくり返るようなことを安請け合いしちまって」 「ああ、奴隷解放は母上の願いでもあったんだ。ずっと忘れていたが、そなたが思い出させてくれた。亡き母上と大好きなアルキバの為に、王になって奴隷を解放したい」  言ってしまって、リチェルは慌てて手で口元を隠した。 「す、すまない、大好きというのはつまり、私はアルキバの信奉者(ファン)だから、そういう意味で……」  そんなリチェルに、アルキバは目を細めた。 「抱きしめてもいいか?」 「えっ……」  そっ……と、ふんわりと。アルキバはリチェルの半身をゆるく抱いた。  リチェルはびっくりしながら、無言でアルキバの遠慮がちな抱擁に、包まれた。  アルキバがその耳元に囁く。 「俺はあんたを裏切らない」  リチェルは息を飲んだ。 ——ヴィルターのように裏切ることはない。  そういう意味だろう。  きっと本気ではない。大人の慰め、大人の気遣いだ。   だがたとえ気休めでも、それは今、リチェルを最も揺さぶり、救い上げる言葉だった。 「アル……キバ……」  涙があふれ、こぼれ落ちた。  ヴィルターに刺され、目覚めてから。初めてリチェルはちゃんと泣いた。  生きることを諦め、凪いでいた心に灯りがともる。  泣き出したリチェルの淡い金色の髪を、アルキバの手が優しくなでた。 「たとえ俺に親がいて、親を人質にとられたとしても、俺はあんたを選ぼう」   リチェルは嗚咽した。額をアルキバの胸に寄せ、泣きじゃくりながら途切れ途切れの言葉を繋げる。 「あり……が……。そな……たの心遣い、感……謝す……、なぐ……さめ……」 「慰めなんかじゃねえ、俺は誓って裏切らない」  アルキバはリチェルの(あご)をつかみ、上に向けさせた。  どきりとするほど真摯な眼差しが、リチェルを見ている。まるで本気だと信じてしまいそうな眼差しが。  そこでアルキバが、何かに迷う表情を見せた。やがてためらいがちに、少し照れた様子で申し出る。 「誓いの口づけをしてもいいか?」  リチェルはぎこちなくうなずいた。  アルキバは、リチェルの(ひたい)にそっと唇を落とした。  そしてリチェルの表情を確かめる。リチェルが嫌がっていないか、確認するように。  リチェルはただ、赤面していた。アルキバはほっとした表情になる。  もう一度、今度は(ほお)にキスをしてくれた。  次に(あご)に、次にもう片方の(ほお)に。  唇以外の全ての場所に、アルキバのキスが降って来る。 (これはまだ夢の中……?)  泣き濡れたリチェルはその優しい誓いを、信じられない思いで受け止めた。 ◇ ◇ ◇

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