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第14話 海の王の呪い

 リチェルが魔術師邸で目覚める数刻前、未明。  ナバハイル城では、国王ダーリアン三世が寝所でうなされていた。  王はまた、いつもの悪夢を見ているのだ。  夢の中、恐ろしく美しい男が、冷酷な笑みを浮かべている。水晶のような長い金髪に白磁の肌、青空のような瞳を持つその男は、絢爛な王の衣装をまとっている。  彼――森の王――は、高台からまるで退屈しのぎのように、強制労働の現場を見ている。  森の王の視線の先には、立派な体躯の奴隷がいた。浅黒い肌に、黒曜石のような瞳。万人を惹きつける、雄々しくも端正な顔立ち。  その奴隷は半裸に鞭を打たれながら、大きな石材を肩に乗せ運ばされている。  それはかつてこの「海の国」の王だった者の落ちぶれた姿。  恩を仇で返され、惨めに蹴落とされた姿だ。  だが奴隷に落とされてもなお、男――海の王――は威風堂々としていた。王としての威容は損なわれていなかった。  裏切られた海の王は、裏切った森の王を見上げる。  海の王は、静かに淡々と、かの呪いの言葉を述べた。  呪いを受けた森の王は、憤り、怒鳴り、海の王は強制労働どころか拷問の場へと引きずられていく。  海の王は数年に渡って拷問を受け続け、むごい死に方をした。  場面変わって、一面の血の海が広がる。  血の海に沈んでいるのは、白い肌に金髪碧眼の者達……すなわちナバハイル王家の者、森の王の末裔達だ。  凄惨な血の海を、海の王が見下ろしている。ナバハイルの地の真の支配者が。  海の王は不意に、「こちら」を見る。夢見の主である、ダーリアン三世を。  そして厳かに問いかけた。 『友よ、いつ過ちに気づく』  もう時間は残されていないぞ、と言外に示しながら。 「陛下、陛下!」  王は、はっと目を開ける。上体を起こした王は、全身に寝汗をかき、怯えた瞳を王妃に向ける。  王の褥の傍らにいるのは、後妻である王妃ミランダス。その美貌も金髪も、若い頃と変らぬ輝きを保っている。 「おお、ミランダス。そなたが目覚めさせてくれたのか」  王妃は王の肩を抱き、額を寄せた。 「またあの夢でございますか?」  長く伸ばした明るい金髪の髭をなでつけながら、王はうなずく。額に深い皺が刻まれ、王妃とは反対に、実年齢よりもだいぶ、老いて見えた。 「ああ、海の王の呪いの夢だ」 「お可哀相な我が君。いつまで迷信に囚われていらっしゃるのです。もう呪いを伝える石碑は破棄いたしました」 「本当に、良かったのだろうか。伝承に向き合うべきではないのだろうか」  ミランダスは小さく嘆息し、言い聞かせるように語る。 「陛下にそのようなことをおっしゃったのは、前王妃様でございましょう。それは間違いだったのです。そのせいで陛下は悪夢を見るようになってしまわれた。前王妃様の言葉こそが陛下を苦しめていらっしゃる」  ダーリアン三世は血の気の失せた顔で、既に口癖のようになっているその「呪いの言葉」をつぶやく。 「『最後の王は全ての (とが)を負い、奴隷より悲惨な人生を送り、非業の死を遂げる』……。ナバハイルはもう間もなく約束の日、建国五百年の日を迎える……」 「せっかく破棄したのに、覚えておいででは意味がないではありませんか。どうかお忘れ下さい。我が王家はナバハイルの地に永久に繁栄いたします。五百年たとうと千年たとうと」 「海の王の呪いは、本当にわが身に降りかからないのか?」 「当然でございます」  そのはっきりした物言いに、王はようやく力づけられる。悪夢の余韻も去っていった。 「そうだな、ミランダス。呪いなどあるわけがない」  王妃は微笑んだ。そしてついでのように付け足した。 「それでも……もし。もしどうしてもお気になさるのでしたら、建国五百年を迎える前に、ジルソンに王位を譲ってしまうのはいかがでしょう。そうすればジルソンが『最後の王』となり、陛下は、『最後の王』ではなくなりましょう?」  王はうろたえる。 「確かにそうだが、それは息子に(ごう)を押し付けるようなものではないか」 「だって(ごう)も呪いも存在しないのですよ。ジルソンは賢い子です、そんな呪いなど気に病みません」  ダーリアン三世は複雑な表情を浮かべる。 「確かにジルソンは賢い息子だ。近頃は家臣たちも、余よりジルソンに意見を求める」 「それでよろしいじゃございませんか。陛下は楽になって構わないのですよ」  ふう、と王はため息をつき、苦笑に似た笑みをこぼした。 「優しい王妃と賢い息子に恵まれて、余はまことに幸福な王だな」 「その通りでございます」  王妃は王の胸に擦り寄るように頭をもたれ、美しく微笑んだ。 ◇ ◇ ◇

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