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第20話 救出

 アルキバとクラリスは、白蘭邸に到着していた。リチェルの屋敷の三倍はある、白い壁の屋敷だ。  出迎えた白蘭邸の執事は五十がらみの男だった。身長は普通だが胸板は厚く、燕尾服の上からも体を鍛えている節がうかがわれた。  執事はクラリスの顔を見ると、あからさかまに不愉快そうな顔をした。 「第三王子邸の侍女頭殿が、一体なんの御用ですかな?」  クラリスは苦り切った顔で答える。 「地下室を見せていただきたいのです。その、リチェル殿下が、地下室に誰かが囚われている気がする、とおっしゃっておりまして」  執事は口をポカンと開けた後、その顔面いっぱいに、ありえない、という渋面を広げる。 「狂王子の乱心にいちいち付き合ってなどいられるか!そんな下らん理由で通すことなど出来ぬ!」  クラリスはため息をつくと、アルキバを見上げた。 「だ、そうです。中に入れてもらえないようですから、戻りましょう」 「おい、ふざけんなよ。それで仕事したつもりか?」  アルキバの物言いにクラリスがかっとした。 「口を慎みなさいアルキバ、奴隷の分際で!ここはあなたが王者でいられた闘技場ではないのですよ!」  アルキバ、という名前に執事はびくりとする。アルキバの顔を見て、その表情が驚愕に染まる。 「ま、まさか、そんな……。いやしかしその顔、身体つき、確かに!」  アルキバは執事に、色気のある流し目を送る。 「そうだよ、俺があのアルキバだ。リチェル殿下の用心棒に転職したんだ」 「なんと!わ、私、あなたの大ファンでしてっ」  厳しく肩を張っていた執事の姿勢が急に前のめりになる。クラリスは執事の突然の豹変に、はあ?という顔をする。 「そりゃ光栄だ。執事さんも鍛えてるみたいだな」 「分かるのですか!?」 「もちろん分かるさ」  アルキバは執事の上半身を両手で挟んで、確かめる様にあちこち触った。 「うん、いい大胸筋だ。肩もいい」  そんな無遠慮な行為に、執事は怒るどころか顔を緩ませて、恥じらう乙女の様になっている。 「ほわあっ!アルキバさんんんっ!」 「俺はまだ城での仕事は右も左も分からない。執事さん俺に、手取り足取り教えてくれるかい?」  執事の筋肉を触りながら身を屈める。広い襟ぐりからアルキバの分厚い胸板が覗いた。執事はそのたくましい褐色の肌を凝視しながらどもる。 「ももも、もちろんです!」 「じゃあ最初の俺の仕事、させてもらっていいかな?地下室の鍵を貸してくれ。殿下の乱心にとことん付き合ってやりたいんだよ。どんな仕事でも全力でやりたいんだ。アルキバはそう言う男だって、分かるだろう?」 「分かります!」  元気よく即答して、上着の内ポケットから、大量の鍵の束をさっと取り出した。その中の一つを抜き取り、渡す。 「地下室の鍵はこちらです!西の廊下の突き当たりに地下への階段がございます!どうぞごゆっくりご確認下さい!」 「ありがとう執事さん」  アルキバはニコッと微笑み、どうだ、と言う顔でクラリスに視線を送る。クラリスは不機嫌そうに口を山形にしただけだった。 「そうだもう一つ」  とアルキバはさりげなく聞く。 「ジルソン殿下とオルワード殿下は、今どこに?」 「本宮殿でご公務をなさっています!あと三十分ほどで定例会議が始まります!」 「そうか!」  アルキバはよし、と笑みを浮かべた。 ◇ ◇ ◇  鍵とランタンを手に、二人は地下への階段を降っていく。狭く傾斜の急な石の階段は冷たく暗かった。 「あなたもお人好しですね」  一段一段下りながら、クラリスがそんなことを、ぼそりと言う。 「そうかい?」  クラリスはひとりごちるように言った。 「ヴィルター殿が田舎に帰ってしまうと聞いて、殿下はこれからどうなってしまわれるのかと非常に心配でしたが、あなたが殿下のそばにいてくれるなら……」  アルキバは、へえ、と意外に思ってクラリスを見やり、口元を綻ばせる。  階段の突き当たり、地下室の扉前にたどり着いた。 「一番信用してる使用人は誰だって聞いたら、殿下はあんたを指名したぜ、クラリスさん」  えっ、とクラリスはアルキバを見る。  その瞳に様々な感情が去来したように見えたが、間をおいて顔を伏せた。 「そうですか」  とだけ呟く。クラリスは鍵を鍵穴に差し込んだ。扉は音もなく開かれた。  中は、マットがむき出しのベッドと、箪笥が一つ置かれただけの、殺風景な部屋だった。 「ほら、誰もいないでしょう?満足していただけましたか」 「ちゃんと調べようぜ、せっかく来たんだから」  アルキバは中に進み入った。ベッドの下を確認し、部屋の四隅を眺め渡す。 「リチェルはここで兄貴達に犯されたのか?」  クラリスは目を見張る。人目をはばかるように、慌てて今入って来た扉を閉めた。  その様子にアルキバは顔をしかめる。また、リチェルの妄想だと一笑に付されるかと思ったのに。 「『殿下の虚言』と言わないのか?」  クラリスは心苦しそうに言った。 「ええ、それは本当です」 「知ってたのかよ」  なんてことだ。ならば、なぜ。 「当時この館で働いていた者達は皆知っています。密かに『泣き声屋敷』と呼ばれていましたから」 「泣き声屋敷だと?」 「定期的にジルソン殿下とオルワード殿下がこの場所でリチェル殿下を陵辱し、その泣き声は階段の上、一階の廊下にまで聞こえてきました。いつ頃からか泣き声は聞こえなくなりましたが、陵辱は続いていたのだと思います。一年前、リチェル殿下が自殺未遂を起こし、王に白蘭邸を出たいと申し出た日まで……。以来、リチェル殿下は今のお屋敷にお引越しなさったのです」  アルキバはまるで理解できなかった。なぜだ。 「なぜ、誰も助けなかった!」 「もちろん、助けようとした者は何人もいました。でも、ドアを蹴破ってリチェル殿下をお助けした者は数日後に不審死を遂げ、王に訴えた者たちは『虚言によって第一王子と第二王子を貶めようと謀った』という罪状で全員が処刑されました。ミランダス王妃のお口添えがあったのかもしれません。以来、誰もが見て見ぬ振りをしました。……私も」 「最低だ!あんたらは本当に最低な連中だ!」  アルキバは心底からの軽蔑をこめて吐き捨てた。 「分かっております。私たちはリチェル殿下を見捨て、そのせいで殿下はあのようにお心を壊してしまわれた……。せめてもの償いに、私は生涯、リチェル殿下のおそばにお仕えしようと決めたのです」 「償いたいなら信じてやれ!壊れてねえんだよ、それでもリチェルは壊れてねえ!未来の王を見くびるな!」  アルキバはどけ、と言うといきなり箪笥を蹴り倒した。箪笥は轟音を立てて倒れた。もうもうと埃が立つ。 「なっ、何を!」 「探す。絶対にヴィルターの母親が隠されている」 「そんなわけがないでしょう!この狭い部屋のどこにいると言うのです!」  アルキバは箪笥の裏の壁を指の関節で叩いていく。ベッドは年季が入っているのに、箪笥だけ真新しいのが気になった。  鈍い音が、途中、カンカンと高い音になる箇所があった。 「この壁、怪しいな」  縦に並ぶ細長い壁板のうち、数枚だけ音が違う。  アルキバは身をかがめた。音の違う板の下に薄い隙間があった。 (見つけた)  腰から剣を抜き、その隙間に差し込んだ、その時。  地下室の扉が開かれた。  現れたのは、膝丈の脚衣にベスト、刺繍を施した長い上着という貴族然とした装いの男。  男は室内の状況に呆然としていた。 「ペリー様?」  クラリスが呼びかけた。 「そなた、リチェル邸の侍女頭……?」  ルクサル伯爵家の三男坊、ペリー・キヌーズは、アルキバが壁板の下に剣先を差し込んでいることに気がついた。途端に青ざめ、ものすごい形相で叫ぶ。 「貴様、何をしている!そこをどけ!」  アルキバはくっと笑って、てこの要領で剣の柄を押し下げた。  壁板が外れこちらに倒れた。壁の中、奥へ通じる通路が現れた。 「まさか!」  クラリスが手で口を押さえる。アルキバは満足げに腰に手をやりその通路を眺めた。 「出て来たな、秘密の通路か。この向こうにヴィルターの母親が監禁されてると」 「くっ……!」  ペリーが剣を抜き、アルキバの背中に切りかかった。  アルキバはひらりと回転し、後ろに蹴りを放った。まるで背中に目がついているかのごとく、その足先は正確にペリーの右手を捉えた。  うめき声をあげて剣を取り落としたペリーの背後をとると、首の前から右腕を回し、首の後ろに左腕を差し入れ、絞める。ペリーは悶絶しアルキバの腕に爪を立てたが、やがてがくりと身動きしなくなった。 「ひいっ!」  クラリスがおののいている。 「大丈夫、死んでねえよ。ジルソンとオルワードをぶっ倒すための大事な証人だからな。さあヴィルターの母親を救いに行こう」 「ほ、本当に通路の向こうにいるんです!?こんなことをして、勘違いだったらどうするんですか!」 「だから今から確かめるんだろ。あんたも来るんだ。本当にリチェルに償いたいんだったら、リチェルを取り巻いてる状況の真実を、自分の目で見てみろ」 「くっ……」  クラリスは床に倒れるペリーと、剣闘士と、秘密の通路を落ち着きなく見比べた。ぐっと歯をくいしばる。 「分かりました、私も行きます!」 「よし、さすが城で一番、リチェルに信用されてる人間だ」  クラリスは言葉に詰まり、照れたように目を伏せた。  アルキバはにっと笑うと、ランタンを持ち通路の奥に突き進んでいく。侍女頭もその後ろについて来た。  通路の奥に扉があった。とりあえずノックをしてみた。返事は無い。ドアノブを回した。鍵がかかっている。ならば仕方が無い。 「ちょっと後ろ下がってな」  クラリスに声をかけ、アルキバはよっと片足をあげると、ドアを蹴破った。大きな音と共に、真ん中で折れた木の扉の破片が舞う。  真っ暗な部屋に入り、ランタンをかざす。悪臭が鼻腔をついた。  部屋の隅、縛られた女性が転がされていた。ヴィルターと同じこげ茶の髪。後ろ手に縛られ布で猿ぐつわをされ、さらに目隠しをされていた。  女性の下半身は尿で濡れていた。厠にも行かせず物のようにここに閉じ込めていたらしい。  女性はまだ生きている。その証拠に、がくがくと震えていた。  クラリスがひっと息を飲む。アルキバが声をかけた。 「リチェル殿下の命令であんたを助けに来た。ヴィルターの母親だろ?」  女性はうんうんとうなずいた。アルキバは紐と布をほどき、女性を解放してやる。 「ああ、ミセス・ダウネス!なんてことでしょう!」  クラリスは涙を流しながら女性の手を握った。血の気の失せていた女性は、相手がクラリスと分かると、ほっとしたように泣き始めた。 「クラリスさん……!うっ、うっ……」  アルキバは身を屈めて問う。 「ここにあんたを閉じ込めたのは誰だ?」 「め、目隠しで顔は見ていないのですが、あの声は……ペリー様と、ジルソン殿下でした……」  クラリスはごくっと喉を鳴らし、アルキバは真面目な顔つきでうなずいた。 「分かった。さあこんな場所、早く出よう」 ◇ ◇ ◇  メイドにアルキバが呼んでいると言われ、リチェルは正面玄関に急いだ。  場は騒然としていた。  そこには意識を失ったペリーを縛り上げているアルキバと、悪臭を放ち憔悴した様子のミセス・ダウネス。そしてミセス・ダウネスの手を引き、使用人たちに風呂と着替えの用意を指示しているクラリスがいた。  リチェルは自分の目が信じられなかった。  本当に助け出すことができたなんて。  ミセス・ダウネスを見た瞬間、心からの安堵と喜びと同時に、彼女がいま一番必要としているものが何か、リチェルには分かった。  たった一人、あの地下室で苦しみに耐えて生還した女性。  リチェルは走りよるや、尿の匂いを放つミセス・ダウネスを抱きしめた。  えっ、と皆が驚く。ミセス・ダウネスが一番驚いた様子で、おののきながら言った。 「で、殿下!わ、私はとても汚れています!殿下まで汚れてしまいます!」  リチェルは宝石のような涙を流しながら、ミセス・ダウネスをかたく抱きしめた。 「ご無事で良かった……!恐ろしかったでしょう、苦しかったでしょう?かわいそうに、もう大丈夫です。悪夢は終わりました、もう誰にもあなたを傷つけさせない」  それはリチェル自身が、言われたかった言葉だった。リチェル自身が欲しかった抱擁だった。  あの夜も、あの夜も、誰も地下室から帰還した青ざめた自分を抱きしめてはくれなかった。  使用人たちは目をそらし、リチェルを遠巻きに避けた。  リチェルは自分が肥溜めから這い上がってきた動く汚物であるかのように感じ、恥じ入った。  本当は、このように抱きしめて救いの言葉を言って欲しかった。 「リ……チェル殿下……」  ミセス・ダウネスの目から涙が溢れ出す。 「ああああっ……!」  美しい王子の腕の中、ミセス・ダウネスは泣き崩れた。  リチェルは柔和に微笑みながら、その背中をさすり、髪を撫でた。 「もう大丈夫です、よく耐えましたね。あなたは強い女性だ、さすがヴィルターの母君だ」  アルキバは口の端を上げ、髪をかきあげた。  屋敷の者たちは、魅入られたようにものも言えず見つめていた。  それはまるで、地獄から救い出された人間が、天使によって至高の光で癒されているような。  奇跡のように美しい光景だった。 ◇ ◇ ◇  すぐに風呂の準備が出来、ミセス・ダウネスはメイドたちに連れられてそちらに行き、クラリスは執事らに事情の説明をした。  地下室から救出後、白蘭邸の者たちに見つからないよう窓から出て馬車に乗り、リチェル邸まで引き戻してきたのだという。  リチェルはまなじりに涙を浮かべてアルキバを見上げた。 「ミセス・ダウネスを助け出してくれて、本当にありがとう。正直に言う、私は挫けかけていた、諦めかけていた。それなのにそなたは……」  アルキバは優しく微笑み、大きな手でリチェルの頭をなでた。 「礼を言うのは早いぜ、まだ何も終わっちゃいない。人質とペリーを連れて、今すぐ本宮殿に向かおう、王のところに。敵は動きが速い、今度はこっちが先手を取りに行くぞ。王の前で全てを白日の下に晒してやる」  リチェルは緊張の面持ちで、しかし力強くうなずいた。  先ほどまで弱弱しく揺らいでいた自分を恥じた。  アルキバはやり遂げてくれた。今度は自分が自分の足で歩き、戦わねば。 ◇ ◇ ◇

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