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第5話
巡回の旅程は、予定が狂ったときの調整日を含めて、きっちり組まれていた。事前に宿泊先も宿泊予定日も決まっていた。その予定から何日か経っても現れなければ、道中なんらかの事故があったと予測される。一応、行方の調査もされるが、形だけのものだ。宿泊先は神殿の宿坊か巡回先の村長の家で、獣や夜盗に襲われる可能性を考えれば、野宿はできれば避けたかった。
街道沿いの至るところに、巡礼と商業の守護神ミルクリの神殿がある。旅の一夜目はその宿坊に世話になった。
各地にあるミルクリの神殿は、聖堂なら、誰でも無料で泊まることができた。宿坊は、神殿に対するいくばくかの礼が必要となる。
今夜の宿となる神殿は、王都に近い神殿だけあって大きく、商人や巡礼も多かった。
日暮れ前の神殿には、借りた竈で煮炊きをする湯気や匂いがあたりに漂っていた。他にも手持ちの食料で簡単な夕餉を済ます者や、ふるまいの疲労回復の薬湯だけを飲んで早々と寝てしまおうという貧しい巡礼たちがいて、聖堂は賑やかだった。
厩に馬を繋ぐと、リュソンはぐったりと土場に座り込んだ。遠乗りの経験はあっても、丸一日馬に乗っていたことはなく、疲れきっていた。
アルジェに横からかかえられ、石積みの壁に手をつきながらやっと歩いた。部屋に着くなり、質素なわら布団の寝台に倒れ込み、その後は気づけば朝になっていた。
温かい掛け布団にくるまったまま身を起こすと、アルジェはわら布団の上に外套を着たまま、野宿用に持ってきた毛布を一枚だけ纏って横たわっていた。リュソンの被っている布団は二枚で、アルジェは自分の分の布団をリュソンにかけてくれたに違いなかった。
一瞬、ありがたさと申し訳なさが混じった気持ちがリュソンに生じたが、口から出てきたのは
「護衛たるもの、そのくらいの心意気で主人に仕えねばな」
という憎まれ口だった。
とはいえ、元気なのは口だけで、身体のあちこちは痛み、疲れも完全にとれたとはいえず、食欲もなかった。神殿のふるまいの朝粥もろくに食べられないまま、リュソンは出発することになった。
午前中こそなんとか予定の道程をこなせたものの、午後からは遅れが出てきた。
「今夜はこのあたりで夜営しましょう」
まだ日の暮れぬうちにアルジェが進言した。リュソンが自力で鞍に上がれなくなったからだった。
街道から外れ、少し入った森の中は薄暗く、暮れる前に旅路を急ぐ人の気配も届かない。
手頃な大樹の根本で、アルジェは枯れ葉を敷き詰めて布を敷き、リュソンを横たえ、毛布を掛けた。まだ温もりのある昼間の空気のおかげで寒くはなかった。
「まだ明るいうちですし、賊はまず馬を狙いますから、お一人でここにいても安全でしょう。オオカミの出てくる時刻でもありませんし。私は馬に水を飲ませてきます。あちらのほうに川があるはずなので」
アルジェはそう言うと青鹿毛に乗り、鹿毛を連れて森の奥に消えた。
リュソンに砂糖が白く凍りついたようなカチカチの干しアンズと水筒を握らせていったが、食欲はなかった。
いつの間にか眠っていたようで、梢から見える空はまだ青く輝いていたが、森の中は濃紺に包まれ、しんと冷え始めていた。
アルジェは戻ってこないかもしれない。
ぼんやりとリュソンは思った。馬二頭と荷物を売れば、それなりの金になる。
だが、それでもいい。死んで、この大樹の肥やしになるのも良いかもしれない。
なげやりな気持ちで再び目を閉じたものの、今度は眠れなかった。
冷静になって考えれば、疲れはててはいるが、若くて健康なリュソンが、そう簡単に死ぬわけがないのだ。飲まず食わずでも明朝になれば、それなりに回復しているのは間違いない。
このままここに横たわったままでも、餓死もしくは衰弱死するまでにはしばらくかかるだろう。その前に、オオカミに襲われる可能性もあるが、どの死に方もよく考えればぞっとしない。
どうにか身を起こすと、ふらつきも少しはましになり、集中力も戻ってきていた。これなら、目眩ましの術も行える。近くには自分の荷物も置いてあった。
リュソンは荷物の中から儀式用の短剣を取り出すと、それで地面に小さな魔法円を描き、呪文を詠唱した。
ざあっと風が吹いたような気配がして、周囲の空気が変わったのがわかった。
これでこのあたりの風景は、本当のものとは違うものになった。離れたところから見ても、近寄っても、誰もいない、虚ろな大樹の根本があるだけだ。
人間は簡単に見た目で騙される。見えないものに触れるのは難しい。
目眩ましを打ち破ることができるのは、ここにリュソンがいることに、揺るぎない確信を持つ者だけになる。
術前にアルジェのことが脳裏をよぎったものの、帰りが遅すぎることに腹も立ち、帰ってこなくてもいいと思った。後の事など知らぬ。
寝床に戻ると敷布の上にアンズが二個転がっていて、空腹を覚えたリュソンはそれを一気に口にいれ、リスのように頬を膨らませた。あまりの甘さに水筒から水を一口飲むと、そのまま毛布を被って横になる。
砂糖が溶け、アンズを飲み込んだ頃には、再び眠気に襲われて、リュソンは目を閉じた。
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