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淫らな面接 (1)

 強烈な西日が差し込んでいた。  誰もいなくなった教室のエアコンは、いつの間にか切られている。  今日も暑い一日だった。  ()け放した窓から吹き込む風が、安っぽいベージュのカーテンを揺らす。  ひらひらと舞い踊る布の向こう側に、暑苦しさを(あお)るオレンジ色の夕空と夏っぽい雲が見えた。  机に腰掛けて外を見ていた桜河(おうが)真希人(まきと)は、「ふう」と()め息をついた。  すっきりとした二重瞼(ふたえまぶた)の眼が印象的な美形だ。  まっすぐな細い鼻筋や、きりりと結ばれた品のいい唇が、聡明さと繊細さを漂わせる。  風が吹いて、伸ばしっぱなしの前髪が汗ばんだ(ひたい)にくっついたり、長い睫毛(まつげ)に絡んだりした。  鬱陶(うっとう)しい。  真希人は眼をつぶると、犬みたいにぶるぶると頭を振る。 「何やってんだ、マキ」 「うわっ!」  いきなりの声に、驚いて飛びあがった。  クラスメイトの紘行(ひろゆき)だった。 「なんだ、ヒロかよ。生徒会の用事、もう終わったの?」 「ああ。待たせて悪かった」 「いいよ、別に。急ぐ予定もないし」 「しっかし暑いな、この部屋。もうエアコン、切られちまったのか」  真希人と安藤(あんどう)紘行は幼なじみの高校三年生。  幼稚部(ようちぶ)からの付き合いだ。  高三の夏休み前ともなれば受験勉強で忙しいはずだが、二人の通う開星(かいせい)学院は、ありがたいことに幼稚部から大学までエスカレーター式の私立校だった。  一応進級試験はあるが、よほどのヘタを打たない限り、はじき出されることはない。  けっこうな学費を取るので、世間で言うところの『経済的に豊かな家庭で、きちんと育てられた真面目な生徒』が集まっており、みんな自主的に勉学に励む。  彼ら彼女ら――真希人や紘行もふくめた開星の生徒たちは、むざむざ敷かれたレールを踏みはずしたりはしない。  名門私立校の生徒である特権を存分に使いながら、人生を渡っていくのだ。 「とっととエアコン効いてるとこに行こうぜ。あれ、春菜(はるな)は?」  紘行が()く。  春菜は真希人の彼女だ。 「塾があるんだとさ」 「はあ? 塾? 春菜、俺たちと一緒にうちの大学にあがるんじゃねーの?」 「気が変わったんだと。美大に行くらしい」 「美大? あいつ、絵なんて描けんの? 初めて聞くぞ」 「あー、よくわかんねぇんだけど、画家になるんじゃなくて、デザイナー? 染色家? 洋服とかインテリアなんかに使う布のデザインをしたいんだって言ってた」 「なんでまた急に……今から(あわ)てたって、受験、間にあわねーだろうに。難しいんだろ、美大って」 「本人、浪人する気満々だぜ?」 「なんなんだ? 何が原因で心変わりしたんだ?」 「知るかよ」 「知るかよって……おまえの彼女だろうが」 「もう終わりが近いんだよ、たぶん。受験まで毎日塾(がよ)いらしいから、ほとんど()う時間なんてないだろうし。(てい)よくフラれたんだな、おれ……」  愚痴(ぐち)ると、ますます(みじ)めな気持ちになった。  真希人のほうから好きになったわけじゃない。だから、それほど傷つきはしないけれど、気分はよくない。  フラれた原因は分からなくても、どこかで決定的な失敗したのだろうということだけは分かっている。  いつものことだ。  過去、いい加減な付き合い方をしては別れた女の子たちの間で、『顔だけが取り柄(え)の残念物件』なんて不名誉な呼び方をされていることも、真希人は知っている。 ――桜河(おうが)くんてさ、ほんとはあたしのことなんて、どうだっていいんでしょ? あたしのこと、好きじゃないなら、どうして付き合ったりしたの? ちゃんと振ってくれればよかったのに!  おととい、涙ぐんだ春菜に言われた言葉を思い出す。 (いや、それ無理。(こく)ってきた女の子を振るなんて、おれの選択肢にはないから。それに『ちゃんと振る』って、どうよ? かえって残酷じゃね?) 『とりあえず来る者(こば)まず』のポリシーのおかげで、真希人に彼女が切れたことはなかった。でも、誰かに本気になることもない。  よく言えば博愛(はくあい)主義、悪く言えば女たらしのクズ野郎だ。 「もういいじゃんよ。春菜のこと、たいして好きでもなかったんだろ? 忘れろって」  なんだか嬉しそうに、紘行が真希人の顔をのぞき込んできた。  彼をこうして近くで、まじまじと見ると、地味だけれど端正な顔立ちなのが分かる。  きゅっと(まなじり)のあがった()は、百八十センチを超える長身と(あい)まってきつい印象を与えるが、茶色の虹彩(こうさい)に宿る輝きは柔らかい。  近頃流行(はや)りの、雰囲気イケメンてやつかもしれない。 (こいつ……なんか、おれが女と別れるたびに嬉しそうにしてないか?)  気のせいだろう、とは思う。  それに、紘行の気持ちも分からなくもない。  真希人自身も紘行に彼女ができると、なんとなく心がざわざわしたり、訳もなくイライラすることがある。  たぶん、普段しているように二人で気ままにつるむことができなくなるせいだろう。 「なあ、マキ……まさか、おまえまで春菜に感化されて、外部の大学受けるなんて言い出すんじゃないだろな?」 「まさか」 「だったらいいけどさ」 「ヒロのほうこそ、どうなんだよ? 医学部志望なんだろ? うちの大学も理系はそこそこ偏差値高いけど、おまえの成績ならもっといい大学に入れるんじゃね?」 「ああ、まあ……俺は別にいいんだよ、そんな有名な大学出なくても。うちの病院、継ぐだけだし」  紘行の家は医者の家系だ。 「第一、俺が外部の大学行ったら、マキとつるめなくなるじゃん」 「別に都内の大学なら一緒じゃないか。おれは経営学やるし、このまま開星の大学部に進学したって、おまえとは学部が違うんだし……」 「おまえも医学部、受けろよ、マキ。数学物理得意なのに、なんで文系?」 「ヒロとは得意のレベルが違うよ。おれんち、機械部品作ってる工場だし。男きょうだいはおれ一人だから、義父(オヤジ)の後を継がなきゃならなくなるよ、きっと」 「(ねえ)ちゃんか妹に婿(むこ)養子、取らせろよ。そんで、おまえはおれと一緒に病院経営すりゃいいじゃん。製造業はこれから先、厳しくなると思うぜ?」 「おまえさ、他人事(ひとごと)だからって、思い付きでめちゃくちゃ言うなよ」  真希人は(あき)れて溜め息をつきながら、たしかに紘行の言う通りかもしれないな、と思った。  世の中の流れは速い。  借金をして設備投資をし、やっと利益が出はじめた頃には新しい技術が現れて、また新型の機械を導入しなくてはならなくなる。イタチごっこだ――義父の愚痴(ぐち)が脳裏をよぎる。 「あー、なんか腹減ったな。バーガークィーン、行こうぜ」  紘行の声を合図に、真希人は椅子代わりにしていた机から立ち上がった。

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