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最終オーディション (1)

 いい加減くよくよと迷ったあげく、結局、真希人(まきと)は翌日の最終面接に(のぞ)んでいた。  もちろん、紘行(ひろゆき)も一緒に。  今日は直接、南青山ヒルズ・タワーの一階ロビーで二人は落ち合った。 「よう! いよいよ今日が最後らしいな。頑張ろうぜ」  いつもの調子で声をかけてきた紘行に、真希人は少しばかりほっとする。  それでも、彼の眼をまともに見ることができなかった。  紘行はたぶん、同性とのセックスを経験しているらしい……だけではなく、その経験が豊富なのではないか――というもやもやした疑惑が、相変わらず腹の底に溜まっている。 (あんなことまでさせられたのに……ヒロって、平気なんだな……)  紘行の神経が図太いことは理解していたつもりだったが、これほどとは思わなかった。  さすが医者の家系だな、と思う。これならオペ中心の外科医でも大病院の経営でも、そつなくこなしていけるだろう。  おまけに、昨日とは着ているものも違う。  今日は薄いグレーのスーツに紺のシャツ、ネクタイはシルバーと黒のストライプだった。 (どうでもいいけどさ、何をされるかも分かんないのに、のこのこ出てくるおれたちって……どんだけ好き者なんだよ……?)  真希人は自分で自分に突っ込みを入れながら、昨日と同じスーツ姿で4815号室のインターホンを押した。 「――やあ。ちゃんと来てくれたんだね。ありがとう」  今日も二人を迎え入れたのはカオルだった。  カジュアルだった昨日と違い、黒い麻の上下に、瞳と同じ色のグリーンのネクタイを締めている。長めの髪は軽くオールバックに撫でつけていて、涼しそうな()()ちだ。  アッシュグレーの髪と緑色の眼に、黒いスーツがよく()えていた。 「悪いけど、今日は別の場所に移動するんだ。駐車場に車を待たせてあるから一緒に行こう」 「……別の場所って?」  真希人は不安になった。 「ここからだと四十分くらいかな。都内のちゃんとした場所だから、心配しなくていいよ。食事もそこに用意されてるんだ」  心配しなくていいと言われても、昨日の出来事を思うと信用はできない。 「……どうする? 付いて行っても大丈夫なのかな……?」  紘行の耳元で、真希人は小声で尋ねてみる。 「そんなの分かるもんか。でも、行くしかないだろ」  予想通りの答えが返ってくる。  不安ではあったが、怖いもの見たさと好奇心がそれを上回った。  開き直った真希人は、カオルと紘行の後を追ってエレベーターに乗り、地下の駐車場へと降りる。  駐車場で待機していたのはシルバーのベントレーだった。 「すげ! ミュルザンヌだ!」  紘行が口笛を吹く。  ダークスーツ姿の運転手が後部座席のドアをあけると、真新しい(かわ)の匂いがした。 「どうぞ、乗って」  カオルはそう言うと、自分でドアをあけて助手席に座る。  紘行に続いて後部座席に乗り込んだ真希人の背中を、硬くなく柔らかすぎないベージュのシートがしっかりと包み込んだ。        ◆◆◆     ◆◆◆  首都高速を降りたベントレーは国道をしばらく走り、住宅地に入った。  大邸宅ばかりが建ち並ぶ高級住宅街は、(にぎ)やかな国道沿いの喧噪(けんそう)が嘘のように静かだ。  何度か角を曲がり、(ゆる)やかな坂道を登り切る。  道の突き当たりに、鬱蒼(うっそう)とした雑木林(ぞうきばやし)をぐるりと囲んだ白い(へい)が見えてきた。 「さあ、着いた。あそこだよ」  助手席のカオルは言うが、建物の姿がない。  やがて三人を乗せたベントレーは、部外者を拒絶するような鉄製の門扉(もんぴ)の前に静かに()まった。  上から小さなガーゴイル像がこちらを見おろしている、ヨーロッパ貴族のお屋敷にあるような門だった。  運転手がスマホを操作する。  画面に番号を打ち込んで送信すると、鉄の門扉が重たそうな音を立てて開いた。  文字通り関門を抜けたベントレーは、雑木林の中をゆっくりと走っていく。  くねくねと蛇行(だこう)する道の先が徐々に開け、やがて古めかしい洋館が姿を現した。  煉瓦(れんが)造りの外観を見た真希人は、いつだったか校外学習で訪れた旧前田侯爵邸を思い出していた。  確かチューダー様式と呼ばれる建築様式だったか。  イギリス中世後期のゴシック・スタイルを住宅用に簡略化したものだ。 「……殺人事件が起こりそうなお屋敷だな」  紘行が冗談めかして言う。  ちょうど真希人も、孤立した洋館を舞台にしたゴシック・ミステリを連想していたところだ。 (まさか……いきなり死体が転がってるなんてことは……ないよな?)  車を降りて玄関前のアプローチに立ってみると、建物に圧倒され、つい、あらぬ事を考えてしまう。  中世の城を思わせる(おもむき)のある玄関扉には、ブロンズ製の装飾的な取っ手が付いていた。  カオルが呼び鈴を鳴らし、しばらくすると、その重厚な扉が(きし)みながら内側に開く。 「ようこそ」  現れたのは燕尾服(えんびふく)姿の執事(しつじ)――ならぬ、タキシードを端正に着こなしたアキラだった。  昨日とは別人だ。 (うわ。神出鬼没(しんしゅつきぼつ)って言うと大げさだけど……この人、何でもやるんだな……)  紘行に(また)がって腰を振っていたときの乱れようを知っているだけに、妙な感じがする。 「お待ちしておりました。どうぞ、奥へ」  アキラは、うやうやしく真希人たちを邸内へ招き入れる。  一歩ホールに足を踏み入れた真希人は、息を呑んだ。  とんでもなく広い。天井が高い。  家具などの調度品は、ひと目で本物のアンティークだと分かった。  海外の迎賓館(げいひんかん)や貴族の住まいを思わせる、豪華だが上品な雰囲気が漂っている。 「ここって……日本だったよな……?」  紘行がつぶやく。  まるでテレビのドキュメンタリーか歴史ものの映画を見ているようだ。一個人が所有している建物だとは思えない。 (どうやって管理してるんだろ? 固定資産税だけでも、かなりの額になるはずだよな……)  そんな世知辛(せちがら)いことを考えてしまう時点で、『おまえはしょせん貧乏人なのだ』と烙印(らくいん)を押されたも同然だ。  真希人は小さく溜め息をついた。  アキラに先導され、三人はダイニングルームに入った。 「ようこそいらっしゃいました。お会いできるのを楽しみにお待ちしておりましたのよ」  低めの、(つや)のある声が響く。  真希人は息を呑んだ。  眼の前の椅子に座っているのは、あのスマホの写真で見た黒いドレスの美女だった。  ハシバミ色の双眸(そうぼう)が、射るようにこちらを見ていた。  瀟洒(しょうしゃ)なレースをあしらった黒いドレスが、薄い色の瞳と燃え立つ赤毛を引き立てている。中世からタイムスリップしてきたような印象の女性だった。 「待たせてごめん、タケル兄さん」  カオルが素早く黒衣の美女に近づき、彼女の手を取ってキスを落とす。 「「え? 兄さん……?」」  真希人と紘行は、同時に同じ台詞(せりふ)を口にした。何かの間違いだろうと思いながら。 『タケル兄さん』と呼ばれた美女はこちらに顔を向け、艶然(えんぜん)微笑(ほほえ)む。 「カオルから聞いてない? 双子の兄弟なのよ、私たち」 「きょうだい……」  ということは――。 「……あ、それじゃあ……本当にカオルさんの……お兄さん? いや、でも……」  でも、どう見ても女性だ。  女性にしては肩幅が広く、骨格がしっかりしているが、大きな胸もある。不自然な様子はどこにもない。 (……まさか……まさかとは思うけど……)  ふとあらぬ疑問が湧いて、真希人は、ごくりと唾液を嚥下(えんげ)して尋ねた。 「あの、失礼なことをお尋ねしますけど……まさか……おれたちが相手をする女性って……女装した男性、とか……?」 (だとしたら、とんでもない詐欺(さぎ)じゃないか。おれたちはセレブなマダムたちのホストを務めるために面接を受けにきたのに……)  真希人の脳裏に、ことさらにを強調するファッションで身を飾った男たち――いわゆるドラァグ・クィーンと呼ばれる存在に蹂躙(じゅうりん)される自分と紘行の姿がよぎった。  紘行も、不安そうにこちらを見ている。  タケルとカオルの強い視線にひるむことなく、 「個人の性的な嗜好(しこう)を差別するつもりはありません。けど、募集要項にはセレブなマダムの……『女性』のお相手をする仕事だとありましたよね? 女装した男性だとは、おれたち、ひと(こと)も聞いてないんだけど」  真希人は言いつのった。 (だから言わんこっちゃない。嫌な予感を無視するから、こんなことになるんだ!)  なんだか、手酷い裏切りに文字()遭ったみたいな気分だった。  後悔しても(あと)の祭りだ。 「あら、今、そんなことを心配してどうするの? あなたたちはまだ、最終オーディションに合格したわけじゃないのよ。エレガント・パートナーズで仕事ができるかどうかも分からないのに」  ぴくりとも表情を変えずに、タケルは返してくる。  真希人は眉根(まゆね)を寄せた。 「オーディション……?」  面接とオーディション。  どちらも同じようなものかもしれない。  が、いまの状況から考えると、後者にはどこか不穏(ふおん)な響きがある。 (飯を食いながら面接をするんじゃなかったのか? 今度は……何をさせられるんだ……?)  真希人は心のなかで呟きながら、不敵な微笑を浮かべるタケルを見据えた。

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