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第8話
「だから殴ってやったんだ」
「うん……」
「だから俺は悪くない」
「うん……」
「悪いのはあいつらだ」
「うん……」
一生のうなずく声がやさしくて、目頭が熱くなった。鼻血が口の中に垂れてきて、鉄の味がする。一生の唇も切れている。一生の口の中も同じ味がしているのだろうか。
「だから、なんて言われたって、また女と間違えられたら、また殴る」
今度は一生はうん、とは言わなかった。
「俺が殴ってやるよ。今度からアサが売られた喧嘩は全部俺がかってやる。だからもう喧嘩はやめろよ」
「何言って……。つかアサって誰だよ」
「旭葵より呼びやすいだろ」
「勝手にあだ名つけんな」
「俺、三河の武将なんだ」
って、ここはスルーなんだ。
「近いうちに天下統一する。今だって三河というと上級生だってビビって逃げ出すんだからな」
きっと今日の一件で、三河、いや、一生の名前はより広まるだろう。
一生はズボンのポケットから何やら取り出した。
「これ、つけとけよ」
500円玉サイズの缶バッチだった。浜辺にあった旗と同じ模様の上に、赤で“姫”と書かれている。
「三河の姫の印だ。これをつけていれば、もう誰もアサに手出しはしない。俺は強いから」
一生は胸を張った。その胸にも同じ缶バッチが付けられていた。が、一生のバッチには“キング”と書かれている。
「ちぇっ、自分はキングかよ。つか姫ときたら殿じゃねぇの? それか武将だろ」
「キングの方がカッコいいだろ。姫じゃいやか? じゃあクイーンにする? それともプリンセス?」
「やめろ、姫でいい」
しまった、これだと姫になることを承諾してしまったことになる。
「ちょっと待て、俺は男だぞ。姫は女がなるもんだろ」
「そのバッチは1つしか作ってないんだ。何人も姫がいる武将もいるけど、俺は姫は1人って決めてるんだ」
「何人も? ハーレムかよって、おい、そうじゃなくて」
「俺にはまだ姫がいないんだ」
「人の話聞いてんのかよ」
一生はニカッと笑った。
「アサ、俺の姫になれよ」
口元の滲んだ血が痛々しい。
浜辺で旭葵の攻撃を軽やかにかわした一生。本当だったら、あんな6年生たちなんて指一本一生に触れることなんてできなかったはずなのに。その傷は旭葵がつけたのも同然だった。
「……なんて言うんだよ」
「ん? 何?」
「合言葉、たぬきって言ったらなんて言うんだよ」
「ああ、合言葉か」
きつねかぁ、それも悪くないな、と一生は笑った。
「だから、なんなんだよ」
「アサ、俺にたぬきって言ってみて」
一生は両手を腰に当てた。旭葵は大きく息を吸い込んだ。
「たぬき!」
「おやじ!」
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