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第53話
流れてくる音楽に耳を塞ぎたかった。このまま家に帰って自分の部屋のベッドに潜り込み、早く今日を終えてしまいたかった。
「あっー! 姫だ!」
廊下の先で数人の男子生徒が旭葵を指差している。
「そんなとこで1人で何してんの? 暇なら俺達とダンス踊ってよ!」
旭葵はくるりと向きを変え走り出した。
「あ! 逃げるぞ! 追いかけろ!」
旭葵は着物をたくし上げ全速力で廊下を走る。本当は逃げずに殴り倒してもよかったが、そうすると文化祭実行委員の一生に迷惑がかかる。
もう誰もいないと思っていた校内にはまだチラホラ生徒が残っていて、旭葵達の追いかけっこを見た他の男子たちが面白がってそれに加わる。
「姫を捕まえた奴が姫とラストダンスを踊る資格がもらえるそうだぞ」
旭葵の承諾なしに勝手にそんなことを決められ、どんどん旭葵を追いかける男子の数が増えてくる。
畜生、なんでこんなことに。校庭ではロマンチックな音楽がかかっているというのに、こっちは運動会のテーマソング“天国と地獄”だ。
階段は殆ど段を踏まずに飛び降り、旭葵は廊下を猛ダッシュで駆け抜けた。途中で自分が校舎のどこを走っているのか分からなくなる。普段の旭葵ならまだしも着物が走りにくくて仕方がない。今日はなぜかいつもの3倍体が重く感じる。
いっそのこと全部ここで脱いでしまおうか? そうしたらこの馬鹿らしい追いかけっこも終わるのでは?
本気でそう思った。けどパンツ1枚で教室に制服を取りに戻る自分の姿を想像し、なんで自分だけこんな罰ゲームみたいなこになるんだと癪に触る。
とにかく一旦どこかに隠れよう。
追いかけてくる男子たちを巻いた一瞬の隙を狙って近くの教室に飛び込んだ。理科室だった。旭葵はさらにその奥の準備室に入ると扉を閉めた。壁に並んだ棚の中にはさまざまな薬品の瓶が並んでいて、反対側のテーブルの上には顕微鏡やフラスコが置かれていた。
旭葵は壁にもたれるようにして床に座り込んだ。荒い呼吸が少しずつおさまってくる。
廊下でバタバタと足音がした。
「おいどっちに行った?」
「確かこっちに逃げてきたと思ったんだけど」
旭葵は息をひそめた。
どうか教室には入ってきませんように。
やがて足音は遠ざかっていき旭葵はほっと肩を撫で下ろす。
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