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第58話
「お、俺、踊り方なんか分かんないし、つか、男同士で変だろ、ダンスはダンスでも後夜祭のダンスって」
あ、でも別にラストダンスじゃなければ、深い意味はないのか? いやいやいや、それでも男同士っていうのは……。
そんなことを考えていると、
「こんな誘い方じゃダメか」
一生は呟くと、旭葵の前にひざまづきその手を取った。
「姫、私と踊ってください」
そして、旭葵の手の甲にそっとキスをした。
一生の、その姿があまりにも様になっているのと、こんなことを一生からされたら女の子達の心臓は一瞬で破裂してしまうんじゃないかとか、そしてなぜ、今、自分は一生の申し出を断る言葉を全く探していないのだろうかとか、そんなことが旭葵の頭を巡っている間に、一生は立ち上がると旭葵をそっと抱き寄せた。
「こうやってステップを踏んでいるだけでいいんだよ」
ダンスというより、小舟の上で揺れるように抱き合っているみたいだった。
切なく溶けるようなメロディーを縫うように、少し掠れた男性ボーカルの声が心地良い。
一生の肩越しから覗く窓にキャンプファイアーの炎が映っていた。今、炎の前で甘いメロディーに重ねた身体をゆだねている2人がどれくらいいるのだろう。
トクンと、旭葵の心臓が鳴った。
するとそれに応えるように一生の心臓がトクンと鳴る。
言葉なく、会話をしているようだった。
薄暗く狭い準備室に一生と2人。
甘い旋律で満たされた2人だけの世界で揺れるように踊る。足元がゆらゆらして本当に水の上にいるようだ。
伝わってくる一生の体温が心地いい。
ずっとこうしていたい。
旭葵は一生の肩に頭を預けた。
と、その時、一生の動きが止まった。
男性ヴォーカルは愛の言葉を囁き続けている。まるで歌において行かれてしまったように感じる。頭を起こすと少し怖い顔をした一生と目が合った。
さっきまで一生が旭葵をリードするように動いていた代わりに、旭葵が踊りを誘おうとするも一生はびくともしない。
静かに熱を帯びた一生の瞳が大きく脈打ったように見えた。一生の漆黒の宇宙に旭葵が映る。その瞳がゆっくりと降りてきた。
唇が、重なる前に一生の息遣いが旭葵の唇をかすめた。慌てて逃れようとするが一生の力で封じ込められる。
最初はついばむように軽く、次に伺うようにゆっくりと、一生は唇を重ねてきた。旭葵が抵抗しないのが分かると、そっとその唇を吸った。
温かい雨に降られているような優しいキスだった。
旭葵の頬を包む一生の大きな手から、キスの間に漏れる吐息から、そして合わさった唇から痛いくらいの優しさが伝わってきた。
花吹雪のようにそれは旭葵の中をぐるぐると旋回し、旭葵をかき乱す。
足元が再び大きく揺れだし、身体にこもっていた熱がキスの雨で発火する。火はあっという間に旭葵の身体をのみ込み、真っ白な渦が意識をさらっていく。
「アサ!」
一生の声が白い靄の向こうから聞こえた。甘いメロディーだけが最後まで旭葵の身体にまとわりついていた。
が、やがてそれも白い渦に巻き込まれ消えた。
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