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第72話

「それで一生君は……」  ピンと張り詰めていた隼人の表情が緩み、胸を撫で下ろす。 「そっか、よかった」  隼人にシンクロするように湊と大輝の緊張もにわかにほぐれる。旭葵だけが白い頬をこわばらせたままだった。 「え、旭葵君? えっと」  逃げるように隼人から視線を逸らした旭葵を目で追いかけながら、隼人は言葉を濁す。 「ちょっと今、手が離せない感じなんで、はい、分かりました」  電話を切ると隼人は詳しい話を聞きたくてうずうずしている大輝や湊ではなく、旭葵に語りかけた。 「命に別状はないみたいだよ。怪我も見たところ大きな外傷はないみたいだ」  大輝は大袈裟なほどの安堵のため息を漏らし、湊はじんわり目に喜びの涙を滲ませた。 「数日間検査入院することになりそうだけど、面会はできるみたい。今日にでも来てくれて大丈夫だって。あ、でもあんまり大勢も困るから、本当に仲のいい俺たちにだけ教えてくれたみたいだった」 「仲のいい俺たちって隼人は違うだろ」  すっかり安心したのか、大輝は意地悪な笑みを浮かべ隼人に憎まれ口を叩く。 「あ、やっぱ俺は行かない方がいいかな。俺が行ったらあいつ体調悪くなってりして」  一生とはそりが合わない隼人だったが、やはり一生が無事だったことが嬉しくてならないようで、ニヤニヤしながらそんな冗談を返す。 「だってさ、旭葵。何も心配することはないから、学校が終わったらみんなで一生のところに行こう」  湊はさっきから俯いている旭葵の顔を覗き込む。 「俺は……、婆さんが昨日から具合が悪くて寝込んでるからいいや」  本当はカラオケ大会で飲み過ぎた、ただの二日酔いだった。旭葵はさらに言葉を重ねる。 「一生は俺が見舞ってあげなくてもみんながいるけど、婆さんには俺しかいないから」  これも嘘だった。お婆さんの友人は多い。去年庭で転んで骨折した時は、毎日ひっきりなしにいろんな人がお見舞いにやって来た。茶飲み友達の老人からどこで知り合ったのか中国人の留学生までと、お婆さんの交友関係の広さがそこから窺えた。  大輝と湊は昔から旭葵のお婆さんと付き合いがあるだけに、旭葵の言葉に納得しかねているようだったが、お婆さんの具合が悪いというところは信じたようだった。  一生が事故を起こしたのは、昨日自分とあんなことがあったからだ。『おまえとは絶交だ!』 と言い渡した昨日の今日で一生に合わせる顔がなかった。一生も一生で自分がお見舞いに行ったら気まずいだろう。  2人の間に起きたのが普通の喧嘩だったら、これが仲直りのきっかけになったかも知れない。けれど今回のことは今までの喧嘩とは質が違う。  これは、喧嘩なのだろうか? 喧嘩と仲直りは隣り合わせだ。仲直りとは元通りという意味も含まれる。旭葵と一生の関係が元に戻ることがあり得るのか?   答えは簡単、否だ。  今後2度と2人が元の友人関係に戻ることはない。友情という白い絵の具に恋愛感情という色を混ぜてしまったのだ。それに肉体的な欲情という色まで加わったのならなおさらだ。  これから先、他の色を混ぜて混ぜてどんどん濁っていくことはあっても、元の純粋な白に戻ることは決してない。この先、2人の色はどんな色になってしまうのだろうか。

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