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第83話
一生は廊下で美術部の顧問に呼び止められる。
「昨日スケッチブックを忘れて行ってるぞ。さっさと取りに行かないと桐島のは盗まれるぞ」
教師の目は真剣だったが口元がにやけていた。
一生はよく物を失くす。失くすと言うより多分、誰かに盗まれている。
多いのは筆記用具でダントツがシャープペン。大輝や湊は一生のことを好きな女子が盗んでいると言うが、多分それは本当だと思う。
時計を見ると鈴との待ち合わせにはまだ少し時間があった。教師に礼を言って美術室のある方向に足を向ける。
激カワちゃんと男子から人気の鈴の3度目の告白を一生は受け入れた。
鈴の記憶ははっきりとある。最初に告白された時と後夜祭でラストダンスを踊ってほしいと頼まれた時、一生は彼女の申し出を断った。
その時の自分には明白な理由があった。けど、その理由がどうしても思い出せない。覚えているのは、何度鈴に好きだと言われても自分の気持ちが変わることは決してない、と自分は思っていた、ということだけだ。
なぜ、そんなに頑なに鈴を拒絶したのだろう。鈴を好きかと聞かれると、正直今はまだ好きだとは言えない。けれど嫌う理由もなかった。
ほぼ押し切られる形で公開恋人宣言をすることになってしまった。断る理由が思い出せない今、それはないに等しかった。
鈴は今まで自分に告白してきた女の子たちとは違った。それまでは皆、1度断られると諦めてしまっていたが、鈴はへこたれなかった。鈴は小さくて弱々しく見えるが、芯の強い女の子なのだと思った。
強い女の子……。
ふと、傷だらけで男の子に飛び蹴りを食らわしている女の子の姿が頭に浮かんだ。
心臓がドキンと応ずる。自分は乱暴な女の子が好きなんだろうか? 我ながら変わった趣味だと思う。
実はこれは湊や大輝には言っていないことだが、自分は親友の旭葵を思い出せないだけではなく、過去に自分が好きになった女の子も全く思い出せないでいた。
自分は誰も好きになったことがないのだろうか? それとも理想が高すぎて、もしくは好みのタイプがレア過ぎて、自分は現実的な恋ができない男だったのだろうか?
そして一生にずっと付き纏っている飄々たる喪失感。何かとても大事なことを自分は忘れている。本能とも思えるものが警告音を鳴らしていた。
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