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第84話

 もしかして自分には恋して病まない相手がいたのではないだろうか? それもかなりの長い間。  自分で言うのもなんだが、自分は結構モテてていた。なのに今まで彼女を作ったことがないというのは、それが理由なのでは?   そしてきっとそれは親友の旭葵と関係がある。三角関係?   あり得る。旭葵がどんな奴かは知らないがその線は濃いと思う。  きっと湊も大輝も知らない男2人だけの真剣勝負だったのだ。それに敗北した自分は彼女も彼女を奪った親友も一緒に記憶から消してしまった。  旭葵。  この名前に心が疼くのは、その後ろに自分が想い続けた彼女の存在があるからなのかも知れない。そう考えると全て辻褄が合う気がした。  旭葵、いったいどんな奴なんだろう。  そんなことを考えているうちに美術室までやって来た。中に入ると白い男の頭が目に飛び込んできた。デッサンで使う石膏像だった。  どうもこういうのは苦手だ。窓が開いていて、入ってくる風が教室に染み付いた絵の具の匂いを薄めていた。  石膏像のすぐ近くに1冊のスケッチブックがあった。ざっと美術室を見渡したが他にそらしきものはなかった。  大股で近づくとさっと手に取り、すぐに離れた。念のため中を確認する。  適当に開いたページに現れたのは描きかけの人物画だった。  全体は薄く細い線で描かれているのに、口元のところだけ線が太く乱れ途中でぷっつりと切れていた。強く押し付けた鉛筆の芯が折れたように見えた。  美術の授業で人物画を描いたことは覚えている。だが、誰を描いたのかが思い出せない。  頭の奥でキラキラと何かが光った。記憶の中心に大切なものがある。この時、自分の目の前に座っていたのは、光の中にいたのは誰だった?  描きかけのデッサンはぼんやりしていて、男か女なのかも分からない。  口元で折れた鉛筆。    ドクン。    体の中心からマグマが溶け出したように全身が燃えた。炎はひと吹きで一生を呑み込んだ。    戸惑い、焦燥感、後ろめたさ、それらが追い討ちをかけるように一生にのしかかってくる。  そうだ、この時、自分の目の前にいたのは……。  一生が長い間、大事に大事に守ってきたもの。何ものにも変えられない唯一の存在だった。  強い風が吹いて、カーテンがはためいた。視界に2つの足先が飛び込んできた。よく見ると窓際に1列に並べられた椅子に誰かが寝ている。  近づくとまず目に入ったのは、白いシャツにべったりとついた青い絵の具だった。けれどそれは一瞬で、一生はすぐにシャツから覗く白い首の先に目を奪われた。

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