88 / 158

第88話

 再び射られたように旭葵から目が離せないでいる一生の前に、旭葵はゆっくりとやって来た。 「よぉ、一生」 「……」  2人は無言で向き合う。 「黙ってないでなんとか言えよ」  絡み合う視線から逃れるように一生は目を伏せた。 「悪い、旭葵」  旭葵は息を漏らして小さく笑った。 「旭葵……か。ほんと忘れられてんだな」  花びらの唇が噛み締められるのを、一生は視界の端で盗み見た。 「勝手だな……、ほんと勝手だよお前」  旭葵が大きく腕を振りかぶる。 「旭葵!」  湊が止める間もなかった。一生は自分に牙を剥く旭葵の拳から逃げなかった。  思いっきり左頬を殴られ、体のバランスを崩した一生は床に手をついた。湊と大輝はそれを見て唖然とする。 「一生が殴られるって、初めてじゃね……?」  大輝がポツリと呟く。 「これは2度目だ」  旭葵は大輝にではなく、一生に吐き捨てるように言うと、教室を走り出ていった。  切れた口端がまだヒリついている。  夕食だった一生の好きな激辛ナポリタンを半分以上残したのは、たっぷりかかったハバネロソースが辛かっただけではない。  食欲がなかった。  昼下がりの美術室、穏やかな光のヴェールに包まれ眠るその唇にキスしたいと思った。  そして、想像を遥かに超えた美しいアーモンドアイは一生の心を鷲掴みにした。  一生は直感した。自分には想いを寄せる女の子なんていなかった。  旭葵と奪い合った? あり得ない。たとえ三角関係なるものがあったとしても、自分の心のベクトルが誰に向いていたか、それは容易に想像できた。  瓶を傾けると缶バッチが手の平に転がり落ちた。大きく赤で“姫”と書かれたバッチ。 『旭葵は一生の姫だったんだよ』  湊の言葉を思い出す。 「バレバレじゃないか……」  一生は掠れた声で小さく笑った。  旭葵。  その名前に心が疼く理由は……。  一生はバッチを握り締めた。  そしてまた、一生は背中に仄暗い視線を感じる。最初は病室で、今日も美術室でその気配を感じていた。 「言われなくても分かってるよ」  一生はそれに向かって低く返事をした。  

ともだちにシェアしよう!