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第88話
再び射られたように旭葵から目が離せないでいる一生の前に、旭葵はゆっくりとやって来た。
「よぉ、一生」
「……」
2人は無言で向き合う。
「黙ってないでなんとか言えよ」
絡み合う視線から逃れるように一生は目を伏せた。
「悪い、旭葵」
旭葵は息を漏らして小さく笑った。
「旭葵……か。ほんと忘れられてんだな」
花びらの唇が噛み締められるのを、一生は視界の端で盗み見た。
「勝手だな……、ほんと勝手だよお前」
旭葵が大きく腕を振りかぶる。
「旭葵!」
湊が止める間もなかった。一生は自分に牙を剥く旭葵の拳から逃げなかった。
思いっきり左頬を殴られ、体のバランスを崩した一生は床に手をついた。湊と大輝はそれを見て唖然とする。
「一生が殴られるって、初めてじゃね……?」
大輝がポツリと呟く。
「これは2度目だ」
旭葵は大輝にではなく、一生に吐き捨てるように言うと、教室を走り出ていった。
切れた口端がまだヒリついている。
夕食だった一生の好きな激辛ナポリタンを半分以上残したのは、たっぷりかかったハバネロソースが辛かっただけではない。
食欲がなかった。
昼下がりの美術室、穏やかな光のヴェールに包まれ眠るその唇にキスしたいと思った。
そして、想像を遥かに超えた美しいアーモンドアイは一生の心を鷲掴みにした。
一生は直感した。自分には想いを寄せる女の子なんていなかった。
旭葵と奪い合った? あり得ない。たとえ三角関係なるものがあったとしても、自分の心のベクトルが誰に向いていたか、それは容易に想像できた。
瓶を傾けると缶バッチが手の平に転がり落ちた。大きく赤で“姫”と書かれたバッチ。
『旭葵は一生の姫だったんだよ』
湊の言葉を思い出す。
「バレバレじゃないか……」
一生は掠れた声で小さく笑った。
旭葵。
その名前に心が疼く理由は……。
一生はバッチを握り締めた。
そしてまた、一生は背中に仄暗い視線を感じる。最初は病室で、今日も美術室でその気配を感じていた。
「言われなくても分かってるよ」
一生はそれに向かって低く返事をした。
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