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第90話

 次の日の昼休み、旭葵は一生のクラスを訪ねた。 「昨日はいきなり殴って悪かったな」  開口一番、教室の外に出てきた一生に旭葵は詫びた。 「いや……、普通自分だけ忘れられたらそりゃ怒るよ、悪いのは俺の方だから」 「それは不可抗力だって。って、ことでこれで仲直りだよな」  旭葵は握手を求めて手を差し出した。一生は一瞬ためらったように見えたが、すぐにその手を取った。 「旭葵、俺と旭葵はその……親友だったんだよな」  一生に握られた手がヒクついた。 「そうだよ」  さっと手を引く。 「そっか」  一生は安堵とも失望とも見えるような複雑な表情を浮かべた。一生がなぜそんな顔をしたのか、それを考えるほどの余裕はこの時 の旭葵にはなかった。 「でもさ、あんまりそのことに捉われなくていいと思うんだ。俺たち今は別々のクラスだし、これから先新しい友だちもいっぱいできるだろうしさ、一生は彼女もいるから前みたいにいつも一緒ってわけにはいかないし、だから」  自然とどんどん早口になっていく。 『また新しく親友になればいい』  お婆さんに言われ旭葵もそう思ったはずなのに、それとは反対の言葉がスルスルと出てきてしまう。  こんなことを言ってしまってこのまま一生の記憶が戻らなかったら、旭葵と一生は親友どころか、友人にさえ戻れないかも知れない。  けれど心のどこかで、そうなったらそれでもいいかも知れないと思う自分がいた。だって……。 「旭葵、俺は……」  廊下の向こうから子猫のような鳴き声がした。 「先輩」  ランチバックを持った激カワちゃんが、少し離れたところからこちらの様子を伺っている。 「じゃな、あ、スマホ新しいの買ったら教えろよ」  そう言って旭葵はその場を後にした。しばらく歩いてそっと振り返ると、一生と激カワちゃんが歩いていく後ろ姿が見えた。  激カワちゃんが持っていたランチバックを一生が持ち、さっき旭葵の手を包んだその手は、今は激カワちゃんの手に繋がれていた。  一生と親友に戻れなくたっていい。だって、一生が激カワちゃんに優しくしているところを近くで見ていたくない。 「いっ……せ」  思わず漏れたうわずったような声を旭葵は噛み殺した。  本当は、本当の一生が想う相手は……。  せり上がってくる想いを断ち切るように旭葵は2人に背を向け駆け出した。

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