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第92話

「あの時の桐島君は男らしかったわ〜。私は元から桐島君のファンでもなんでもなかったけど、あの桐島君を見た時は、なんで女子たちがみんな桐島君、桐島君、って夢中になるのかが分かったもん」  彼女は祈るように両手を胸の前で組み、星の出ていない夜空を見上げた。  旭葵はその現場にはいなかったが、後になっていろんな人からその時の話を聞かされた。  その日は前日の雨で寒さが大きく一歩冬に近づいた肌寒い日だった。  女子たちに屋外プールに呼び出された激カワちゃんは、揉み合っているうちに足を滑らせ秋も終わりのプールの中に落ちてしまった。  枯葉の浮いた濁った水を飲みむせる激カワちゃんを女子たちは笑った。プールサイドの外からその様子を見ている生徒たちもいたらしい。  男子生徒にはさほど深くない水深でも女子のそれも小柄な激カワちゃんにとっては深い。  水から出ようともがく激カワちゃんに起こった異変に最初誰も気づかなかった。冷たい水で足をつらせた激カワちゃんは助けを求めた。  が、濁った水の中に入って助けようとする者は誰もいなかった。プールサイドの外には普段激カワちゃんのことを可愛いと言っている男子たちがいたのにもかかわらずだ。  そうする間にも激カワちゃんの体から体温はどんどんと奪われていき、紫色になった唇で助けを求める声も弱々しくなっていく。  そこにプールサイドをものすごい勢いで走ってきたかと思うと、迷いなく汚れた水に飛び込んだ者がいた。  誰が知らせたのか、激カワちゃんを抱きかかえ水から上がって来たのは、その顔に怒りをあらわにした一生だった。 「不満があるなら彼女にではなく俺に言え」  低い声でそうすごむと、そのまま激カワちゃんを保健室へと連れて行った。  それ以来、一生と激カワちゃんの公開恋人宣言は真の意味で皆に受け入れられるようになった。  なんだかんだ言って、最初は皆、激カワちゃんの一方通行の恋だと思っていたが、一生のこの言動で激カワちゃんは正式に一生の彼女として認められるようになった。 「あの時の桐島君はホント王子様みたいだったわ〜。私、男の人が女の子を軽々とお姫様抱っこしてるの初めて見た。桐島君って容姿だけじゃなく中身もイケメンなんだね」  ケーナ女子はキラキラした目でどこか遠くを見つめている。  一生に彼女ができてから、一生の人気は落ちるどころかますます上がった。  それまではただ、すこぶるイケメンの男子、というアイドル的な位置づけだった一生だったが、一生の激カワちゃんを大事にする姿は女子たちの心を完全にさらった。  イケメンと言うだけで騒がれて、と、どこか冷ややかに一生を見ていた一部の女子たちも、すっかり一生の虜になってしまった。  一生と付き合うようになって激カワちゃんは水泳部のマネージャーになった。  2人は学校ではいつも一緒だった。激カワちゃんは一生とは違うバスの路線上に住んでいたが、登下校は一生が激カワちゃんに合わせているようで、旭葵が一生と朝や帰りに会うことはなくなった。  最初こそ、すぐに破局すると言われていた2人だったが、今や誰もが認めるお似合いのカップルになっていた。  ケーナ女子と別れ、旭葵は誰もいないバス停でバスを待つ。夜空には相変わらず月も、星の1つも輝いていなかった。 「これで、良かったんだよな」  やけに白く見える雲が早いスピードで空の低いところを流れていく。

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