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第94話
大きな水溜りと化した路上に両足で着地すると、くるりと体の向きを変え、
「一生、乗れ!」
驚いた顔をしている一生の背中を旭葵は押した。
「旭葵」
バスに一生を収めると旭葵は叫んだ。
「運転手さん! 行ってください!」
ドアが旭葵と一生を隔てる。
ドアの窓に手をついて一生が旭葵に物言いたげな視線を送っている。旭葵は2本の指をピッと額に当て、「じゃあな」とサインを送った。
雨が2人の視界をかき消してしまうまで、一生は旭葵から視線を離さなかった。
バスが見えなくなってしまうと旭葵は雨宿りできそうなところを探した。が、どこにもそんな場所はなかった。
「マジか……」
次のバスは30分以上先だった。
この雨の中、その間ここに突っ立っていれば、間違いなくずぶ濡れだ。服が絞れるほどとか、靴に雨が溜まりそうとかそんなレベルを通り越して、身体が雨でふやけるんじゃないかと思う。
家まで歩けないこともないが、ここからだと1時間以上はかかる。かといって、頭から水をかぶったようなずぶ濡れで次のバスに乗せてもらえるか不安でもある。
旭葵の頭上は気持ちいいほど開けていて、旭葵を雨から遮ってくれるものは何もない。
一生のジャケットの内側で守られていた小さな激カワちゃん。
「女の子って小さいんだな……」
あんな小さな子が陰険ないじめに耐えていたんだ。そりゃ男なら守ってあげなきゃだな。3回も好きって言われたら、そりゃ応えてあげなきゃだな。
「案外ちゃんと、ラブラブなんだな……」
今日の2人はどこから見ても相思相愛のカップルだった。2人のやり取りは、見ているこっちが恥ずかしくなるくらいだった。
「あんなの見せつけられちゃったらな。ここで俺がバスを降りなかったら、男がすたるってもんだろ、なぁ旭葵。何しろ俺は一生の親友だからな。まぁ、忘れられちゃってるけどさ」
『また明日な』激カワちゃんに向けた一生の笑顔。
胸がぎゅっと縮んだ。
あの顔は自分だけのものだと思っていた。
雨が、身体の中にまで降ってくる。
雨が何もかもを洗い流してくれたらいいのに。それができないのなら、このまま雨に流されてどこかへ行ってしまいたい。
「これからどうするもんかな」
自分に投げかけたその問いが、この雨のことを言っているのか、それともやり場のない、この持て余した想いの始末の仕方について言っているのか、旭葵自身にも分からなかった。
なんとかしなければいけないと思いながら、旭葵は動けないでいた。
ここにいても、仕方がないのに。
ここでいったい誰を待つというのか。
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