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第95話

 上着のパーカーが濡れそぼり、中のシャツに雨が浸透してきそうだった。  それでなくても頭はずぶ濡れで、さっきから忙しく前髪から雨雫が滴り落ちている。払うのが面倒でもうそのままにしている。  その時激しい雨音に混じって人の声が聞こえた。  声のする方向に首を傾げると、道の向こうから水飛沫を上げて何かがこちらに向かってきている。  雨で薄暗い路上を一つ目のライトが眩しいそれは、自転車、それもT Tバイクだった。  バイクは着水した水上コースターのように旭葵の前で水を白く泡立たせて止まった。 「旭葵」  乗っていたのは隼人だった。  レインウェアの中に背負っていた隼人のバックパックの中にはさまざまな物が入っていた。  折り畳み傘に、タオルに、厚手のシャツ。  隼人が差しかける傘の下で旭葵は濡れたパーカーを脱いで隼人の持ってきたシャツに袖を通した。濡れた髪をタオルで拭く。 「あいつから電話がかかってきたんだ。旭葵がこのバス停で傘も持たずにいるから、すぐに行ってやってくれって。お前のバイクですっ飛ばしてくれたらすぐだからって」 「そうだったんだ。ありがとう隼人、助かったよ」 「あいつと何かあったのか?」 「別に何もないよ」  旭葵が事情を説明すると、 「そっか、そんなことがあったんだ」  それっきり隼人は黙った。 「今日のお礼に今度何か奢るよ。またラーメンがいい?」  隼人はゆっくりとかぶりを振った。 「奢りじゃなくて、俺の願い事を1つ叶えてほしい」  隼人が真剣に投げてきたボールを旭葵は軽くはぐらかした。 「それって、なんかとんでもなさそうなのを言われそうだからヤダ」 「あいつが旭葵のことを忘れてしまったように、旭葵にもあいつのことを忘れてほしい」  ババッと雨が2人を叩きつけた。  旭葵は隼人の手から傘を取ると、2人の頭上に移動させた。フードをかぶった隼人の顔が雨で濡れている。旭葵はタオルを隼人に差し出す。 「顔拭けよ」  隼人は無言でタオルを受け取ると雨を拭う。  旭葵は隼人においた視線をすっとそらした。 「どうやって? どうやって忘れるんだ? その方法を教えてくれんのか?」  隼人に戻ってきた旭葵の目を見た瞬間、隼人は後悔の念に襲われた。 「ごめん」  隼人はなかなか見つからない次の言葉を濡れた路上に探した。 「悪い、こっちこそ、こんな雨の中わざわざ来てくれたのに」 「そんなことどうでもいいんだ、旭葵」  隼人の腰が軽快なメロディを奏でる。2人の間に割り込んできたのはスマホの着信音だった。このタイミングでそれは妙に間が抜けて聞こえた。

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