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第99話

 夕食は旭葵が初めて見る赤い色をした鍋だった。 「この前のデートで食べた時すっごく美味しくて、お店の人にレシピ聞いちゃったんです。ね、先輩」  激カワちゃんが作ったというそれは、なんとトマト鍋だった。  トマトに鍋、いや、トマトが鍋。  舌がお婆さんの手料理に慣らされている旭葵には衝撃的だった。旭葵の家ではトマトにはマヨネーズどころか、砂糖がついてくる。  が、トマトと鍋の組み合わせ以上に驚いたのが、一生の徹底したレディファーストぶりだった。  激カワちゃんの器に鍋の具材をよそい、グラスが空になったら次に何が飲みたいかを尋ねる。  公開恋人宣言をしたとはいえ、旭葵は心のどこかで2人は激カワちゃんの片思いの延長線上にいるのだと思っていた。本当は旭葵がそう思いたかっただけなのかも知れないが。  思えば一生とは長い付き合いだが、今まで一生に彼女がいたことがなかったから、恋人といる一生を旭葵が見たことがなかった。  一生が激カワちゃんから大事にされているとばかり思っていたけど一生も激カワちゃんを大事にしているんだ。この前の雨の日もそうだったじゃないか。  一生は優しい。昔から、誰にでも。  ああ、でも、相手が女の子だとこんなにも違うものなんだ。これが本来一生のあるべき姿なのだ。これが本当、これが本物なんだ。  神様は男と女で1つになるように人間を作った。だから一生から旭葵の記憶を消してしまった。そして一生に正しい相手を与えた。完全な形になるように。  じゃあ自分は? 一生との記憶を残したままの自分は不完全なまま、どこへいくことも、何になることもできずに、宙に浮いたまま、ただ苦しいだけ。  苦しい、そう、さっきからずっと苦しい。  糸のように細い隙間から呼吸しているような息苦しさがギリギリと旭葵の胸を締め付ける。  トマト鍋には旭葵の苦手なパクチーが入っていた。 「う〜ん、美味しい! トマトとパクチーって合う〜」  激カワちゃんはアイドルが食レポするように全身でおいしさを表現した。 「鈴はパクチーが好きだよな」  そう言って一生は鍋にパクチーを追加で散らした。  旭葵は鍋から具材をすくう時、そっとパクチーをよけようとしたがその甲斐虚しく、豆腐にパクチーが絡みついてきてしまった。  今やトマト鍋なのかパクチー鍋なのか分からなくなってしまったような鍋から、パクチーだけを器用に無視して他の具材を取り出すのは不可能だった。  お婆さんは旭葵の好き嫌いを許さない。皿からどけようものなら、逆に倍の量を皿に入れられる。家でもそうなのだから、外ではもっと厳しかった。よそ様の家に招かれた食卓で嫌いな物を残すなどもっての他だった。  一生だけだった、旭葵が食事の時に我が儘を言えたのは。

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