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5、本来の姿……!?
夢を見た。
ほの明るい乳白色の世界の中、清らかな泉が湧いている。その泉の中にはやわらかな桃色の蓮の花の蕾が浮かんでいた。
泉のほとりで蓮の蕾を眺めていると、一枚、一枚と蕾がゆっくり開き始める。やがて開ききった蓮の花の中、白い衣を見に纏った小さな鬼が、丸くなって眠っていて——……
「ん……」
夢とうつつの狭間をうとうとと揺蕩いながら、俺は昨日の出来ごとと夢の残像を重ね合わせていた。
生まれ変わりの機会を与えられた鬼・黒波。彼が人間だった頃の記憶は過酷なものだった。
鬼へと変化 してからの記憶が曖昧なのは、おそらく妖の本能によって暴力衝動が優っていたからだろう。暴力と飢餓に脅かされ続けていた恐怖が暴力へと反転し、人を襲うようになったのだろうと俺は考えていた。
——鬼としての本能が、心がけしだいで善へと転ぶものだろうか……。
そう危惧する気持ちもあるが、黒波の無垢な姿を前にすると、信じてやりたいという気持ちが勝るのだ。
食事の後、ほこりっぽい黒波を風呂に入れようと考えた。だけど湯船を怖がったので、シャワーだけにしておくことになったのだった。ちょっと迷ったけど、俺も土蔵のほこりまみれの身体をさっぱりしたくて、俺も一緒に浴びることにした。
いやがる黒波の衣をなんとか脱がせてみると、露わになった身体はひどくやせっぽちで、いたたまれない気持ちになった。だが、服を脱いだ俺の身体を見た黒波に「好きに飯が食えるわりにはほそいんやな」と言われてしまい……違う意味でいたたまれなくなった。
初めは、細いシャワーノズルから勢いよくお湯が出てくるのを見て「どんな術を使っている!?」と恐れ慄いていた黒波だが、シャワーのことはずいぶん気に入ったらしい。ぬるめのお湯をそっとかけてやると、黒波は一瞬ピキーンと全身を硬直させたあと、くったりと全身を俺に預けて「うぅっ……なんやこれぇ……きもちええ……」と泣いた。時折川で行水することはあったようだが、ぬるま湯を浴びるなんて初めての経験だったらしい。
ほかほかになった黒波にサイズアウトした俺のTシャツを着せ、今度は布団に連れていく。すると「や、やわらかい……なんちゅう心地の良さや……うぇっく、うぇぇ……」と、また泣いた。
擦り切れた筵 でもあれば御の字。夜露をしのぐ屋根もなく、ごつごつと冷えた土の上で眠ることもしばしばだったという黒波にとって、現代の叡智が集結したふかふかの羽毛布団は、まさに天にも昇るほどの心地よさだったらしい。
俺の部屋は板張りの床の和室だが、ラグマットを敷いたりカーテンを取り付けたりして洋室っぽい雰囲気にしてある。壁にくっつけてあるベッドの隣に客間から持ってきた布団を敷き、黒波はそこで眠りにつくはずだった。……が、一旦は横になったものの寂しくなったのか、うとうとしながら俺のベットに潜りこんできたのだ。
そして、ぺったりと俺にくっついて寝息を立て始めた。俺が布団に移動しようかとも思ったが、そのまま黒波と一緒に寝た。我が家は夏涼しく冬も涼しい仕様なので、夜はかなり冷え込んでしまう。一緒に寝たほうが俺も暖かいし、黒波もぬくぬくと眠れるだろう。
自らを守るように四肢を縮めて、丸くなって眠る黒波の姿はやっぱりとてもいじらしくて、哀れを誘う。こんな子どもが鬼へと変化してしまうような時代——……華々しい歴史の裏ではきっと、多くの人々が犠牲を強いられてきたに違いない。
そっと黒波の黒髪を撫でながら、俺はこれまで想像したこともないことについてあれこれと考えていた。自分を洗うついでに黒波をシャンプーで洗い、コンディショナーで仕上げた。ツノを触られるのはものすごく嫌がったため、かなり気を使う作業だったが、そのおかげで黒い髪はつるつるサラサラだ。撫ででいると心地が良くて、……いつしか、俺も眠ってしまったようだ。
——朝ご飯も食わしてやりたいな……。けど、問題はじいちゃんだ。なんて説明すればいいんだ?
少しずつ頭が覚醒するにつれ、現実的な問題が俺の前に立ちはだかってくる。じいちゃんは『視えない』人だが、妙に勘がいいところがあって油断がならない。
——みてくれは子どもだけど、明らかにツノ生えてるしなぁ……。
パーカーを着せてフードで隠す? それとも、他のものに変身できないかどうか聞いてみようか……などと考えながら寝返りを打つ。隣には、小さく丸まった温もりがあるものだと予測してのみじろぎだが……。
——ん、ん? なんか、狭い……。
明らかに、ベッドが狭い。慣れないベッドから転げ落ちないようにと、黒波は壁側で寝かせている。シングルサイズのベッドだが、ちびっこと痩せ型の俺だ。多少狭いが眠れないわけではなかった。
だが今は、明らかに半身が寒い。布団が足りない……。
「ん……ん」
いやにセクシーな低音ボイスのうめき声が聞こえてきて、俺はガバッと勢いよく身体を起こした。
そして、刮目する。
「はっ……!? はぁっ!?」
思わずでかい声が出てしまう。
カーテンから朝日が差し込むほの明るいベッドに悠々と横たわっているのは、見たこともない長身の男だった。
「だ、誰だこれ!?」
パニックに陥りでかい独り言を口にしているというのに、相手はまったく起きる気配がない。俺は深呼吸をしてなんとか心を鎮め、男を観察してみた。
艶やかな肌は、褐色に近い小麦色。流れるような黒髪に、長いまつ毛……そして、すらりと伸びた、二本の角。
これらの特徴を見ていれば、はやりこいつは黒波なのだろうと予想はつく。だが、あまりに急激に成長しすぎではないか? 昨日はやせっぽちの子どもだったのに、今朝の黒波は俺よりも余裕で背は高いし筋肉があるし、ものすごく……もの、すごく……。
「……顔がいい……」
彫りが深く、くっきりと端整に整った目鼻立ちだ。つんと高い鼻の造形は美しく、伏せられた長いまつ毛は扇状に広がって、エキゾチックな色香が漂っている。
——え、えええ……? そ、そりゃちびっ子のときも可愛い顔してるなぁとは思ったけど……こ、こんなの反則だ。顔もスタイルも良すぎるだろ……!
見れば見るほど、美しい男だ。下唇がやや厚めの唇はなんだかエロいし、昨日着せただぼだぼのTシャツは今やピチピチ。白いシャツを盛り上げている胸筋は、おそらく俺のそれより何倍も分厚いに違いない。
……そういえば、昨日下は何も履かせなかった。Tシャツがワンピースのようになっていたから、もうこれでいいやと思ったのだ。
ということは今、この布団の下にある大人黒波の下半身は……。
「……ようたろう……?」
「ヒィッ!」
じろじろと観察しながら良からぬことを考えていたところへ、色っぽい掠れ声で名前を呼ばれ……ビクーン!! と飛び上がった拍子にベッドから転がり落ちてしまった。
「……うう、いってぇ……」
「ん……どこいってん、陽太郎……」
「こっ、ここ、ここにいる……」
転げ落ちた床の上で腰をさすりながら起き上がると、黒波も肘で上体を起こし、拳で目を擦っていた。
半分夢の中に意識を置いてきたかのような、ぼんやりとした目をしている。とろんとした表情にサラリと乱れた黒髪が絶妙に色っぽく、俺は黒波から目を逸らすことができなかった。
細く差し込んだ朝日が、金色の瞳をキラキラときらめかせる。俺は生まれてこの方、こんなにも綺麗な色を見たことがない。そう思わされるほどに、光を吸って輝く金眼は美しかった。
「陽太郎……ん? あっ……俺」
自分の声で、黒波自身も身体の変化に気づいたらしい。喉仏の尖った首に触れ、手のひらを見下ろし、腕を伸ばしたり顔をぺたりと触ったりしながら、「ああ……」と感嘆の声を上げている。
「すごい……もどってる。俺の身体……!」
「そ、それが……お前の、本当の姿……?」
「そうや! はぁ……よかった。一生童の姿のままやったらどうしようかと……ん?」
不意に、切れ長の双眸が怪訝そうにこちらを見た。その視線を受けて初めて、俺はぽうっとなって黒波を見上げていたことに気づく。我に返った俺は、パッと慌てて目を逸らした。
「どうした、陽太郎」
「へっ……? あ、いや……こんなにでっかいと思わなくて」
「ああ……お前より大きいもんな」
今にも破れそうな勢いでパツーンとしているTシャツの胸元に触れながら、黒波はやや申し訳なさそうな顔でこっちを見た。きりっとした上がり眉が八の字になり、凛々しい表情が一転、しゅんとした表情だ。……不意打ちで黒波が見せた可愛い表情に、俺の心臓は鷲掴みだ。「うぐぅ」と呻いて胸を押さえた。
「そ、そんなに恐ろしいか? 俺のこと……」
「ち、違う! ……お、おおそろしくはない! ぜんぜん!」
「……ほんまに?」
ぱぁぁと顔を輝かせ、布団から飛び出てきそうになった黒波を、俺は慌ててベッドの上に押し留める。
「だぁーーーー! 待て待て! 布団から出るな!!」
「? なんでやねん」
「し、下……履いてないだろ! Tシャツもそんなだし……!」
「ああ、せやな。服をなんとかせなあかんか」
「うん! そう! ちょ……ちょっと待ってろ、俺のを何か」
とはいえ、見たところ大人黒波の身長は180なんて余裕で超えている。170足らずの俺の服を貸したところで、またパツパツになるだけだろう。
「気にせんでもええ。服なら作れる」
「……はい?」
黒波はニィと笑うと、ベッドの上でTシャツを脱ぎ捨て、全裸になった。逞しくもしなやかな胸筋が露わになり、ただでさえ目のやり場をどうしようかと迷っていた俺の目の前で、黒波がひょいとベッドから出てきてしまった。
「ちょっ……お、おまえ、裸で……っ!!」
「さぁ、よう見とけよ」
「はぁっ!?」
ナニをよく見ておけと!!? と真っ赤になってドギマギしている俺の目の前で、黒波は片手を自らの胸に押し当てた。
そこからスルスルと黒い煙のようなものが湧き上がり、それは見る間に黒波の全身を覆ってゆく。
俺が二、三度瞬きするうちに、なんと、煙は黒い着流しへと変化していて……呆気に取られた俺の目は、点になる。
「どうや、すごいやろ!」
「す、すごい立派……じゃなくて、便利……!!」
ぱちぱちと拍手をすると、黒波は得意満面で俺を見下ろした。その表情は、確かに昨日出会った小鬼のそれだ。姿は変われど昨日のちびっ子で間違いない。昨日、風呂場で目にした痩せた身体が嘘のように、惚れ惚れするほど完璧な肉体美をそなえた黒波である。
へたり込んだままの俺の前に、ひょいと黒波がしゃがみ込んだ。
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