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〈パティスリー・マシェリ〉はまだ知名度が低く、固定客も少ない。だから、『全世界デコレーションケーキコンテスト』に出場することにしたのである。毎年六月にパリで決勝が行われる、超有名な大会だ。世界中の一流パティシエ達が腕を競いあう。
リスオ達はクリスマスケーキ部門を選んだ。テーマは〈大事な人と過ごすクリスマス〉。優勝すれば、テレビや雑誌にひっぱりだこ、なんてものじゃない。世界中の高級ホテルや、セレブの結婚式や、王族のパーティからオファーがくるといわれている。パティシエにとって誉れ高い、憧れの大会だ。
審査の流れは、書類、東北、日本、アジア、そして決勝。ちなみに、日本人で優勝した者はまだいない。
無謀なのは分かっている。でも夢はでっかく、というのが店主親子のモットーなのだ。
馬淵が言っているのはその件だった。
「おい、そろそろ本腰いれないとまずいからな」
「分かってますぅ……」
「なら、さっさとしろ。今更、過去のトラウマがどうとか言うんじゃないだろうな」
「はぁい……」
「しおらしい素振りを見せても駄目。とにかく、来週までにデザインを考えてこい。以上」
馬淵は厨房を出て行った。残されたリスオは、がくっと椅子に座り込んだ。
(そう言われも、描けないものは描けないんだよな。〈大事な人と過ごすクリスマス〉って、一番苦手なテーマだよ)
(あーあ。おれにとって、大事な相手は誰だろう……)
一般的にいえば、家族や、友人や、恋人などだろう。しかし、リスオは、恋人とクリスマスを過ごした経験は一度もない。
(だって、まだ彼氏欲しいって思えないんだもん……)
理由は過去の失恋だ。当時リスオは高校生で、相手は教師。しかも振られた日が、なんとクリスマスイブ。悪夢だ。
(いつまで先生のこと引きずってんだか……。そのせいで、いまだに童貞だし……。清い体のまま、一生を終えたらどうしよう。魔法使いになっちゃうかも、おれ)
「――ああ、んもう辛気臭いっ。こういう湿っぽいの大っ嫌い!」
自問自答した後、リスオはキーッと一人で叫んだ。
その時、来客を告げるチャイムが鳴った。
「おっと。お客さんだ」
リスオははっとして、すぐに厨房の扉を開けてホールに出た。
〈パティスリー・マシェリ〉の室内は、シンプルで清潔感のある、落ち着いた空間である。白い壁紙に、木目調の床。
一番目立つ所に、大きくて華やかなショーケースがあった。磨かれたガラスの向こうに、リスオ達が心を込めて作った、きらめく菓子達が並べられている。
真っ赤な苺のデコレーションケーキや、こっくりと深い茶色のチョコレートケーキや、プリンアラモードなどが、彩(いろどり)豊かに置かれていた。キラキラと光り輝く様は、まるで宝石箱だ。
そして左手と中央の島に、クッキーや、バームクーヘンなどの焼き菓子コーナーがあった。右手にはイートインスペース。テーブルと椅子が設置されている。
リスオはショーケースの裏側に立って、入ってきたばかりの背の高い男を見た。髪が長く、サングラスをかけている。
「いらっしゃいませ」
リスオの声に反応して、男は顔を上げた。サングラスの向こうの鋭い瞳と、目が合った。
(わっ、格好良い。それに……すごい、ふさふさの髪。たてがみみたい)
年は二十代の初めだろうか。整った顔立ちに、すらりとした、堂々とした風格の男だった。背が高く、首が太い。筋肉のついた腕に、がっちりした腿。細マッチョというやつだ。ネコ科の丸い耳に、先にふさふさと毛のついた尻尾をもっている。
服は、薄手の白いロングコートに、細みのボトムを合わせている。襟元には金色のフェイクファー。どれも見るからに上質だ。
長い髪は、ボリュームがあり、肩まで伸びている。くせっ毛のようだ。キラキラ輝く黄金色で、目立っている。
尖った顎に、血色の良い頬。すっと通る鼻筋と、薄い唇。日本人離れした美貌に、サングラスがよく似合っていた。そのレンズの奥に、吊り上がったスミレ色に光る瞳があった。相手を無意識に威圧する、王者の双眸だ。
まちがいない。男は獅子属性の半獣人だった。
(うわぁ……、ライオンさんだ。初めて見た)
(噂通り、すっごい格好良い)
ドキン、と胸が鳴った。血液の温度が上がったような気がする。
(こんな素敵な人、みたことない。海外セレブみたい)
男がそこにいるだけで、見慣れた店内が霞む。
リスオは時が止まったかのように、夢中で彼を見ていた。紅茶色の瞳が大きく開かれている。頬が内側からジンジンと火照り、しっとりと手に汗をかいていた。
(ん……なんかいい匂いまでする)
バターや洋酒などの甘い香りではない。オスの色気としかいえない、魅惑的なフェロモンが、彼から漂っているのだ。
(ライオンさんが、なんでこんな所にいるんだろう)
ライオンの半獣人は稀少だ。ほとんどが上流階級の出身で、庶民は皆憧れている。リスオもその一人だ。
「〈ご当地クッキー〉をくれ」
男が言った。洋画の吹き替えのような美しいテノールが響く。
「……え?」
ぽぅっと見惚れていたリスオは、返事が遅れた。
「〈ご当地クッキー〉」
男が繰り返す。
「あ、〈ご当地クッキー〉ですね。こちらになります」
リスオはショーケースの脇を周って、島に陳列されているそれを掌で示した。有名なネコ耳武将の絵が描かれたアイシングクッキーである。
(いけない、仕事、仕事)
〈ご当地クッキー〉とはM県の菓子組合が主催しているキャンペーンだ。スタンプラリーで、全店分を集めると、ゆるキャラの〈ずんだ侍〉のぬいぐるみがもらえる。その企画に〈パティスリー・マシェリ〉も参加していた。
「二つくれ」
「畏まりました。他にもご覧になられますか?」
「いらん」
リスオは〈ご当地クッキー〉の袋を二つ持ち、ショーケースの隣に設置されたレジに立った。
「ラッピングはどうしますか?」
「してくれ。どんな包装紙とリボンがある? 見せてくれ」
「あ、はい」
リスオは後ろの作業台から、いつもラッピングに使っている素材を男に見せた。なんてことない、赤のリボンと、星柄の包装紙だ。他には足下の収納扉の中に、ピンクのリボンと、英字新聞風の包装紙がしまってある。
「ふん、ださいな。他にないのか」
男はずけずけと言った。
(ん? 今、ださいって言った?)
リスオはピクリと眉を動かした。が、何事も無かったかのように続ける。
「あの、後はピンクのリボンと、英字新聞風の包装紙しかございませが……」
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