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 キングがふっと笑った。彼の猫目が糸のように細くなる。その優しげな表情に、頬が一気に熱くなった。ドキン、ドキンと胸も高鳴っている。 「い、行ってらっしゃい……」  リスオはつぶやいた。 (まただ、なんでおれ、あいつにドキドキしちゃうんだろう……)  いつまでも収まらない鼓動を、リスオは感じていた。キングのせいで調子が狂っている。生活リズムだけではなく、心の方もだった。  翌日、リスオが試作したゾンビの出てくるブッシュドノエル――通称ゾンビケーキ――は、馬淵店主と息子の進から、無事にオッケーが出た。今までのクリスマスのイメージからかけ離れているから、却下されるのではと思っていたが、しかし説明を聞いた彼らの反応は上々だった。 ――良いじゃないか。ちょっと変わったコンセプトだけど、栗田が考えてきた他のどのブッシュドノエルよりいいよ。ホラーなのに楽しそうな雰囲気が溢れてる。コンテストに出すだけじゃもったいない。ショーケースに『私たちの大事な人はあなたです』ってポップを貼って、売り出そうぜ。  と馬淵は微笑んだ。その笑みを見て心の底からほっとした。  ところが帰り際、馬淵に驚くべきことを言われたのだ。 ――お前、彼氏出来たな。 ――なっ……! そんな人いませんよ。 ――隠さなくたっていいだろう、顔が真っ赤だぞ。ふふん、今日栗田が作ったレアチーズケーキはいつもより優しい味がしたぜ。ケーキは嘘をつかないな。  何も言い返すことが出来ず口をぱくぱくさせてしばらく固まっていた。そのくらい、恥ずかしかった。 (ケーキは嘘をつかない、か。進君、鋭い……)  馬淵の言う通り、あの朝を機に心境が変化した。  キングの大きな背中を目で追ってしまったり、不意に後ろに立たれると心臓が跳ねたり、脱ぎっぱなしにしたマフラーを片付けるふりをして、そっと手に取り残った体温を味わっていたりする。 (まずい。何かがまずいよ)  店を出て、欅通りを早足で歩きながら、リスオは頭を抱えたくなった。  いつも偉そうにしているが、相手は四つも年下なのだ。自分もまだ二十代半ばとはいえ、キングは更に若い。その彼に、好意を持ち始めているとは認めたくない。 (これは友情だ、友情。ゾンビケーキのアドバイスをもらって感謝してるだけ) (それだけだよ……)  自分に言い聞かせて、アパートへ戻った。 「ただいま」  扉を開けると、キングが顔を上げた。眼鏡をかけてノートパソコンで仕事をしている。髪もゴムでひとつに纏めていた。普段のセレブっぽい感じではなく、熱心に講義を受ける大学生のようだった。 (うわっ、眼鏡!)  リスオはなぜか怯んだ。顔が薔薇色に染まっていく。 (いつもと雰囲気違う……! 知的で、真面目そう。くそう、格好良い……) 「お帰り」  キングが言った。 「不意打ちで、ギャップはずるい……」 「?」 「な、なんでもない。ただいま」 「どうだった、ゾンビケーキ」 「オッケー出たよ。ありがと」  ちらっと顔を見て、リスオはすぐ目を逸らした。とてもじゃないが、正面から眺められない。キングの美貌はもはや芸術品だ。 「当然だ。やったな」  おずおずと視線を戻すと、キングが微笑んでいた。蕩けるような甘い笑みに、くらっとしそうだ。 (しっかりしろ、おれ。年上なんだから) 「お礼に約束通りキングの好きなものを作るから。本当にカレーなんかでいいんだね」 「ああ。カレーがいい」  キングのリクエストは、市販のルーを使ったカレーライスだった。 (しっかりしろ、おれ。飯作るぞ、飯) (お坊ちゃまらしいからな。キングは、こういう普通の食べ物に興味があるんだろう)  手洗いうがいと、着替えをしてキッチンに入る。愛用の茶色のエプロンをしていると、なぜかカフェエプロンを腰に巻いたキングがやってきた。参加するつもりらしい。 「今日は俺もやる」 「えーっ。足手まといになりそう」 「ふん。どっちがだ。……いちどでいいから、誰かと一緒に料理を作ってやみたかったんだ」  キングが笑った。その顔が、一瞬何故か寂しそうに見えた。 (……? なんだろう) 「やるぞ。さっさと指示を出せ」 「命令すんなよ。ああ、弱ったなぁ」  一人で作った方が圧倒的に早いし、息の合わない助手はいない方がましだとも思うが、しかし今夜はお礼も兼ねているから好きにやらせてあげよう、と思った。それに子供のようにはしゃいでいるキングは、少し可愛い。 (おれって本当に、気に入った相手には甘いんだから) 「分かった、じゃあ一緒にやろう。まずは冷蔵庫から人参とじゃが芋と玉葱を出して。あと付け合わせにサラダを作るからレタスも取って」 「了解」  キングは楽しそうに返事をすると大きな体を窮屈そうに曲げて、冷蔵庫から指示された野菜を取り出した。しっぽが楽しげに揺れている。 「キングってさ、普通と違うよね」  皮を剥いた人参を包丁で切りながら、リスオは言った。 「例えば?」  キングは鍋に油をしいて待機している。 「セレブ丸出しっていうか、おれみたいな庶民の生活を知らなそう。料理も片付けも出来ないし。あ、洗濯もしたことないでしょう?」  リスオは刻んだ野菜を鍋に放り込んだ。 「当たり前だ」  キングは意外に慣れた手つきで、木べらを使いかき混ぜる。 「それでよく海外に行けたよね。どこにいたの」 「ニューヨーク」 「一人で?」 「いや、父と」 「お父さんと二人だけ? お母さんと妹さん達は?」 「いない。母は俺が十歳の時、離婚して出て行った。妹達は三年前に再婚した相手の子供だ。だからニューヨークは父と二人だけで行った。しかし、父はほとんど仕事で家にはいなかった。だから、一人で暮らしていたようなものだ。ハウスキーパーがいたから、不自由はなかったがな」  鍋に視線を落としたまま、キングは淡々と言った。  今まで何故一回り以上も年の離れた妹達がいるのか不思議だったが、謎が解けた。キングの妹達は父親の後妻の子で、つまり腹違いの兄妹なのだ。 「そ、そうなんだ……」  リスオは平静を装うとしたが、しかし上手く出来ずに声が上擦ってしまう。不自然な沈黙が訪れ、鍋の音がジュウジュウと響いていた。 「おい、気を遣うな。親の離婚も再婚も、もうなんとも思てはいない。今は妹達を溺愛する、ただのシスコンだ」  キングは、横目でリスオをちらりと見た。 「でも寂しかったんじゃないの? 知り合いが誰もいない土地で一人きりで、お父さんも帰ってこなくて」 「フン、寂しくなどない。でも、まあ当時の子供の頃は少しはそう感じていたかもな……。本当は、料理も何回か挑戦したことがある。俺様にかかれば、とびっきり美味いものが出来た。でも、なんだか物足りなくてな。ひとりで作って、食べて、片付けして……。それで生活としては十分成り立つはずなのに、いつもつまらなかった。結局、自炊は止めた。だからかな、俺には一家団欒というものがいまいちよく分からない」

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