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 店員が固まった。それからたっぷりと時間をかけて、ようやく聞き返す。 「も、申し訳ありませんが、もう一度おっしゃって頂けますでしょうか……」 「だから、ここの絵本を全て欲しいと言っている」 「それは……この棚一列、ということですか……?」 「まさか。俺を誰だと思っている。キングだぞ。そんなケチなことをするものか。いいか、よく聞け。俺が求めているのは、端から端まで、全部だ。ここに置いてある本棚五つ分の中身、全てを買う!」 「えッ!」  店員が白目を剥いた。隣で聞いていたリスオもぶったおれそうだった。 「ななな何を言ってるのっ。正気?!」  リスオも店員もパニクっている。 「お待ちください、いま、ててて店長を呼んで参りますのでっ!」 「リスオは黙っていろ。店長を呼ぶだと? ああ、もう面倒くさい! この本屋ごと買ってやるっ。さっさとオーナーを呼んでこい!」 「えーッ!!」  店員の叫びが響く。  一時店内は騒然となった。  リスオは、大暴れするキングをなんとかなだめ、店ごと買い取るのを思いとどまらせる。最終的には置いてある絵本を全て購入するだけにした。一冊ずつ、すべてラッピングしたのち、クリスマスイブに到着するようにトラックで発送するという。  書店を出た後、キングはこうぼやいた。背後では、店長以下がずらりと並び、「ありがとうございました、キング様!」と叫ぶ声が聞こえている。 「あれだけの絵本を一度にもらっても、困るよな。置く場所もないだろう。……よし、父に言って、妹たちだけの図書館を建てさせよう。すぐ土地を押さえなければ。年内に間に合うか?」 「……お金持ちって、分かんない……」  ぶつぶつ言うキングを横目に、リスオはハアと溜息をついた。  しかし、書店での出来事はまだ序の口だった。次に向かった高級紳士服店で、タキシードをオーダーメイドすることになったのだ。 「えっ?! どういうこと、ちゃんと説明してっ」  フィッティングルームに連行されながら、リスオは、混乱していた。 「お前の持っている服では、俺様御用達のレストランには入れない。かといって、リスオがブランド物のスーツを持っているようにも見えない。だから仕立てることにした。更に、初デートに、ただのスーツというのも味気ないだろう? というわけでタキシードだ。で、この店に連れてきた。――少し考えれば、このくらいすぐ分かるだろう」 「いやいやいや、ちょっと待ってよ。つっこみどころが多すぎるよっ。今夜はそんな高いレストランを予約したわけ? 聞いてないよ! そりゃブランド物のスーツなんて持ってないさ。就活に使ったリクルートスーツくらいしかないよ」 「別に高級でもなんでもない。普通だ。あのくらいのレストランなんて、座敷でお好み焼きを食うくらい気軽だ」 「ぜんっぜん違う! タキシードでお好み焼き食うやついる? ドレスコードがある時点で普通じゃないよっ。ちなみにどこを予約したの」  キングは、とあるホテルにある店の名を告げた。 「超・高・級ホテルじゃん!! 嫌だよ、おれそんなとこ無理だよっ」  リスオは吠える。 「ギャーギャーうるさいやつだな! 奢ってもらうんだから言うことを聞けっ」 「いや、ちょっと待って……キング!」  試着室のカーテンがシャッと締められた。 (一体どうなってるんだよっ。ああもう、これからもっと大変になりそうな予感……!)  数時間後、リスオの勘は的中した。 「か、貸し切り……?」 「はい。今日のご予約は獅子倉様のみでございます」  品の良いウエイターがにっこりと答える。  リスオは高級ホテルのレストランの入り口で、ポカンとしていた。 「キング……」 「なんだ」  リスオはちらっと彼を見上げた。その瞬間、ズドンと心臓を打ち抜かれる。 (うっ……! ずるい、格好良い!)    揃いで誂{あつら}えられた純白のタキシードは、二人によく似合っていた。隣に並ぶと、まるで結婚式を挙げる同性カップルのようだった。  リスオが着ているのは、肌触りのよいミルク色の生地の上下。ジャケットの襟部分と、ベストと、蝶ネクタイは光沢のある淡いゴールドで、艶めいている。ちんまりした姿に、ぴょんと立ったリス耳と、もふもふしたしっぽが、大変可愛らしい。  一方キングが着ているものは、デザインは同じだが、襟と、ベストと、蝶ネクタイの色が異なる。彼のは、瞳と同じバイオレットだ。黄金色のふさふさした髪と獅子耳が、白と紫のタキシードによく映えていて、惚れ惚れするほど素敵だった。二人の胸元には、金の薔薇が飾られている。 (おれにはこんな服似合わないよ……。恥ずかしい。でも、キングはめちゃくちゃ決まってる。こんなにタキシードが似合う人、他にいない)  リスオは無理やりキングから視線を剥がす。心臓がまだドキドキいっていた。 「また文句か? 全く、感謝の欠片もないやつめ。二人きりの初めてディナーだぞ。このくらい当たり前だ」 「貸し切りって……。いくらするの、これ」 「なに、たいしたことはない。コウテイペンギンを一羽飼うくらいだ」  キングは自慢げに答える。 「コウテイペンギン……」  リスオはたっぷりと溜息をついた。 (もう何も言うまい。キングの価値観にはついて行けないよ。食べれば消えてなくなってしまうものや、一晩しか着ないタキシードに、大金を使うなんて……)  しかし、そう思っていられたのもわずかの間だった。  ウエイターに案内されて、レストランの個室に足を踏み入れると、そこは別世界だった。  目に飛び込んでくる、三面に渡る大きな窓。そこから夕焼けに染まるS台の街が見下ろせる。暮れゆく紫色の空。山の端に隠れていく朱色の太陽。西の空に光る、ダイアモンドのように輝く星々。リスオが初めて目にする素晴らしい景色だった。 「うわぁ……」  リスオは、紅茶色の瞳を見開いて、街を眺めた。静かな興奮で頬が赤く染まり、唇が薄く開いている。 (こんなすごい眺め、初めて見た……)  リスオはようやく窓から視線を剥がし、辺りを見回した。  室内は、天井が高く、広々としている。色味を抑えた上品なインテリア。全体が白い薔薇で飾られ、ダークブラウンのテーブルに染み一つ無いナプキンがセットされている。ワイングラスが、小さなシャンデリアの灯りを反射して、キラリと光る。曇り一つ無く磨かれた銀器も、同様に輝いていた。他に客の居ないレストランは、余計な音がせず、落ち着いていた。ソロピアノの美しい旋律がBGMで流れている。  リスオはウエイターに椅子を引かれ、おそるおそるそこに腰掛けた。 「あ、ありがとう」  リスオの声は上擦っていた。一方キングは、ウエイターのサービスに慣れたようすで椅子に座る。 「どうだ?」  キングがにやりと笑う。彼は窓を背にして座っていた。  リスオに景色を見せるためにそうしたのだろうが、しかし夕暮れを背負う姿は、まるで映画のワンシーンのようだった。 (すごいな……。夕陽があんなに似合う人、他にいないよ)  リスオはうっとりと息を吐く。  ウエイターがシャンパンを持ってきて、二人のグラスに注いだ。淡い金の液体がしゅわしゅわ音を立てている。 「う、うん。すごいね……。こんな豪華なレストラン初めて来たよ」 「気に入ったか?」 「うん」  キングは身体を捻り、窓から下を見た。長い金色の睫毛が陽に透けている。 「この景色は、今の時間しか見られない。これから日が暮れて、辺りが暗くなると、街が輝き出す。俺はその移り変わりを見ているのが好きなんだ。紫から闇色に変わる、空のグラデーションも、美しい。遮る物のない景色は、俺を満足させてくれる。王者だと認めてくれる。いくら綺麗でも、障害物の多い都会の夜景では、俺を心から満たせない」 「そうなんだ……」 「いっときしか味わえないものに、たくさんの金を使うなんて、信じられないとでも思ったか」  キングが身体を戻した。強い視線が真っ直ぐリスオを射貫く。 「えっ……。なんで分かったの」  リスオはくりっとした目を更に見開いた。 「ふん。バレバレだ。顔に書いてる」 「……ごめん。正直そう思ってた」  リスオはばつが悪くなって俯いた。

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