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「構わない。お前のような価値観を悪いとも思わない。ただ俺は、美しい瞬間を、大切な相手と、最高のシュチュエーションで過ごしたいんだ。人生は短い。手を抜いている暇はない」
「キング……」
(そんな風に考えているなんて、思わなかった。なんだかおれ、騒いでばかりで、悪いことしちゃったな……。キングにはキングの価値観、いや美意識があるんだ)
黙りこくったリスオを見て、彼がふっと笑った。
「少しは俺に申し訳ないと思ったか」
「……ごめん」
「謝るくらいなら、笑え。いくら金に糸目をつけないからと言って、まずい酒はごめんだ」
キングがグラスを持った。金の液体越しに、すみれ色の双眸がすっと細くなる。
「キング……」
「俺はリスオの笑顔が好きだ。お前が笑うと、俺は軽くなる。心が自由になる」
ドキ、と胸が高鳴った。リスオの顔がじょじょに紅く染まっていく。それを隠すように、リスオは自分のグラスを持った。
(『おれの笑顔が好き』って、大げさだよ。おれなんてただの一般人なのに……)
「な、何言ってんだか」
「ふん。相変わらず照れ屋だな。――乾杯」
「乾杯」
チン、とガラスとガラスが触れる、涼やかな音が響いた。冷たいシャンパンを口に含む。アルコールが喉を焼いた。リスオは身体の奥がじんと熱くなるのを感じた。下戸なのだ。
それから二人は豪華なフルコースを堪能した。特に美味だったのは、メインディッシュのS台牛のステーキだ。ジューシーで、今まで食べたどの肉よりも柔らかい。リスオがほうばる食べる姿を見て、キングは楽しそうに笑っていた。デザートも一流の出来で、大変勉強になった。
少し酒が入ったせいか、キングはいつもの尖った性格が、幾分かまろやかになっていた。釣られて、リスオもツンツンした態度が柔らかくなる。
「ねえ、次のWACも出場するんでしょう。キングは完全獣化が出来るの?」
「当たり前だ」
「完全獣化ってどうやるの?」
「基本的に興奮状態になると、変身出来る。子供の頃は喧嘩したりすると、すぐケモノ化してた。けれどそれだと日常生活に困るだろう。訓練して、制御できるようになった。今では、集中力を高めるとライオンになれる」
「すごい。今度見せて」
「いつかな」
「ケチ~」
二人はお互いを見てから、ぷっと吹き出した。笑い声が辺りに響く。
(どうしてだろう。キングと一緒にいると、楽しい。でも、それだけじゃない。あいつの側にいると、おれは落ち着くんだ……)
会話をしながら、リスオはそんなことを考えていた。キングの隣は心地よい。相手は自分とは違う世界に生きている人間なのに、安らぎを覚えてしまう。
彼はリスオより年下だ。しっかりしなくては、と思うのに、気づいたら彼を頼っている。その太い腕に、守られたいと思ってしまう。
さらにいえば、キングはこの土地の人間ではない。クリスマスケーキの約束を果たせば、自分の生活圏に帰ってしまう。そこには別の人間関係があるだろう。もしかしたら、特別親しい相手だっているかもしれない。
(キングは俺様だけど、本当は優しい。それにあんなにお金持ちで、格好良いんだ。恋人くらい、いるよな……)
そう思った瞬間、リスオの胸はナイフで刺されたようにズキッと痛んだ。キングに付き合っている相手がいる。すぐ想像できそうなことなのに、今まで考えたこともなかった。
(あれ、胸が苦しい、心臓が痛い。どうしてだろう……?)
(もしかして、この気持ちって……)
ぐるぐる考えているうちに、食事は終わった。リスオははっとして再び笑顔を作る。
(いけない。今はこの時間を楽しまなくちゃ)
「ごちそうさまでした。美味しかったね」
「ああ。ごちそうさま。――リスオ、同じフロアにバーがあるが、行くか」
「もちろん」
二人は雰囲気の良いバーに移動した。もちろんここも貸し切りだった。
薄暗い店内に、橙色の優しい灯り。ふかふかしたソファに、並んで腰掛ける。肩が触れ合いそうな距離だ。二人のためだけに、アルトサックスがジャズを奏でる。かすれたような、セクシーな音色にうっとり酔いしれた。
完全に日が暮れ、街は夜に沈んでいる。闇のビロードに、色とりどりの宝石をばらまいたような景色は、とても美しかった。
今日一日の疲れが出たのか、二人は静かにジントニックをすすっていた。その沈黙が心地よい。冷たいグラスに注がれた透明な液体は、口に含むと炭酸が弾ける。甘辛くて、すっきりした後味だ。
「今日は来て良かった。キングには驚かされることばかりだけど、楽しかったよ」
リスオのボーイソプラノが響いた。アルコールのせいで、頬は紅潮し、瞳はとろんと潤んでいる。
「それは良かった」
「ありがとう。何かお返しが出来るといいんだけど……」
「そんなもの期待していない。俺の方こそ、楽しかった。こんなにはしゃいだのは久しぶりだった。ありがとう」
キングがリスオをまっすぐに見詰めた。アメジストのように綺麗な瞳が、甘く細められる。その優しげな視線に、胸が切なく震えた。
(聞いてみようかな。付き合っている人がいるのかどうか……。今なら教えてくれるかもしれない)
でも、もし交際している相手がいる、と言われたら、リスオは泣いてしまう気がした。
(今じゃなきゃ、きっと聞けない)
意を決して、口を開く。しかしとても面と向かって訊ける内容ではないので、視線をそらしながら、だ。
「ねえ……キングは、付き合っている人はいるの?」
「……なぜそんなことを聞く」
キングがぴく、と反応するのが分かった。
「なぜって……気になるからだよ。ずっとうちに泊まり込んでいて、大丈夫なのかな、って……」
「そんなこと、お前に心配される覚えはない。俺は平気だ」
「彼女とか、怒ったりしない?」
「付き合っている奴などいない」
キングが言い切った。
「ほ、ほんとっ?」
リスオはぱっと顔を上げ、彼を見詰める。なぜか分からないが、ほっと肩の力が抜けた。
(良かった……っ!)
「嘘をついて俺になんの得がある。今は仕事で忙しい。女に構っている暇などない」
それを聞いて、リスオの心はますます軽くなった。先程感じた胸の痛みがすぅっと消えていく。
「そっか……」
「何を安心しているんだ? まあ、いい。俺も聞きたいことがある」
「なあに?」
リスオが大きな愛らしい瞳を彼に向ける。キングはまっすぐリスオを見返した。獅子耳としっぽがピンと立ち、頬を紅く染めて、唇をきゅっと結んでいた。真剣な表情だ。
「……リスオは、好きな相手はいるのか?」
キングはおもむろに口を開いた。
「す、好きな相手? い、いないよ。今は」
「今? 今ってなんだ。昔はいたのか」
キングがむっとしたように訊き返す。
「そりゃ好きな人くらいいたさ」
「いつ」
「高校生の時」
「初恋というやつか。相手は」
「国語の先生……」
「チッ、教師か。付き合ったのか」
「まさか。振られたよ。卒業してから一度も会ってないし」
ちく、と古傷が痛む。リスオは胸の疼きを堪えるように、視線を落とした。
「……そうか。ふん、お前を振るなんて、大馬鹿者だ」
リスオの返答を聞いて、彼が安堵したような息を吐く。
(あれ、今明らかにほっとした……?)
深く考える間もなく、キングの質問は続く。
「じゃあ、キスはまだなんだな?」
「キス?! ま、まだだよ」
いきなりの際どいクエスチョンにドキッとする。
「その先は?」
「あるわけないっ」
「じゃあ、童貞か」
「どっ……! ……そうだよ。悪かったな」
顔を真っ赤にして、リスオはこくんと頷いた。
「ははは、そうか。よしっ! 俺と同じだ」
キングは小さくガッツポーズする。彼には珍しく、にこにこ笑っている。リスオが童貞と知って余程嬉しいみたいだ。
(全く失礼な奴っ。……でも、キングも経験がみたいで、ちょっとほっとした。恋人もいないみたいだし、良かった)
彼が百戦錬磨のテクニシャンだったら、かなりショックだったところだ。
(あれ、でもなんで、おれは安心しているんだろう……?)
と考え込む前に、キングはさっさと自分のジントニックを飲み干し、リスオを立ち上がらせようと、腕を掴んだ。
「うわっ、なんだよ」
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