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 〈にょろふぉと〉はモフスタグラムと似たような、写真共有アプリを提供する会社だった。業績好調だった〈にょろふぉと〉は、一年前モフスタグラムに追い抜かされ、とうとう首位陥落した。ある日を境に一気に売上げが落ちたのだ。 「ふん。絶好調じゃないか。これがどうかしたか」  獅子倉は顔を上げ、狼と宇佐見を見た。 「もう一枚を見てくれ」  狼に言われて、獅子倉はメール文書を読んだ。その内容に思わず目を見開く。 〈獅子倉。オ前ヲ許サナイ。死以上ノ苦シミヲ、味ワワセテヤル。〉  喉元に冷たいナイフを当てられたような、ゾクッとした感覚が、獅子倉の背筋を駆け抜けた。思わず息を飲み込む。それから何度も内容を読み返し、友人達に気づかれないように、かすかにハッと呼吸をする。 (なんなんだ、このメール……)  送信アドレスは国内のものではない。海外を経由して、身元を辿れないようにしている。 (俺を脅しているのか)  ドキドキと心臓が嫌な音を立てている。しかし怯えていることを知られるのは癪だったので、いつもの通りの自分を装った。 「……ふん。一体なんだ、これは」  獅子倉は動揺を隠して、友人達に視線を向けた。狼と宇佐見は、じっと自分の反応を見ていた。その目にどこか探るようなものがある。  ややあって、宇佐見が不愉快そうに顔を歪めた。 「見りゃ分かるだろ? 脅迫メールだぜ。キング宛ての」 「くだらん。俺にこんなものを送るなんて、余程の暇人だ」  獅子倉はパサッと書類を机に放る。それを狼が拾った。 「キングはどう思う?」 「どうって、どこぞのバカのお遊びにしか思えんが。星也は違うのか?」 「気になるんだ」 「どこがだ」 「〈にょろふぉと〉の元社長、蛇田の事件と……」  狼が表情を曇らせる。隣の宇佐見も視線を落とした。獅子倉は二人の様子を見て、大きな溜息をついた。 「奴が俺を恨んでいる、か。星也と真咲は、このメールの差出人が蛇田だと思っているのだな」 「根拠はない。勘だ」  狼が呟いた。 「星也の勘は良く当たる。フン、蛇田め……」  蛇田太郎、三十七歳。〈にょろふぉと〉の元社長だ。ネットで顔を見たことがある。メディアに出るときは、明るい笑顔を貼り付けているが、しかし目だけは爬虫類のように暗く陰湿な男だった。  結論からいうと、キングは直接会ったこともない蛇田に、一方的に恨まれている。  ことの発端は去年に遡る。  ある夜、獅子倉は仕事で、某大物芸能人と繁華街で食事をし、ツーショットを撮った。コラボ写真は宣伝も兼ね、それぞれモフスタにアップする予定だった。  しかし、問題はその中に、当時愛妻家キャラで売っていた蛇田が、不倫している姿が映り込んでいたことだった。相手はアイドルの女子高生。二人は、通行人に混じって、路上でキスをしていたのだ。  獅子倉はSNSにアップする前に、一般人の姿や、車のナンバープレートをモザイクで隠すなど、個人が特定されないように注意している。その日もいつものように、蛇田が映り込んでいた――当時はそうとは知らなかったけれど――雑踏をぼかして、アップした。しかしネットに不慣れな某大物芸能人は、そうした加工をせず、そのままモフスタに投稿してしまった。  かなり拡大しなければ分からない、不倫中の蛇田の姿は、〈特定班〉と呼ばれる一部の利用者によって、顔をつきとめられる。蛇田とアイドルの女子高生は、住所を晒され、炎上し、謝罪会見まで開いた。記者を前に土下座して大泣きする蛇田の姿は、当時かなり話題になった。  蛇田自身が世間から干されると同時に、〈にょろふぉと〉も一気にユーザー離れを起こし、赤字に転落した。もともとサービスが良くなかったのもあるらしい。そしてとうとう、蛇田は離婚して、会社をクビになった。  全て奴の自業自得だと、獅子倉は思っている。  しかしやっかいな事柄はここからだった。蛇田は、自分を不幸にしたのは獅子倉だ、と思い込んでいるのだ。  プライドをズタズタにされた蛇田は、狂ってしまった。自身のSNSに、 〈獅子倉にはめられた〉 〈これは自分と『にょろふぉと』を陥れ、ダウンロード数一位になるための、モフスタの陰謀だ〉 〈許せない〉  など書き込みをしている。もちろん事実無根だ。獅子倉への一方的な恨みである。モフスタグラムは弁護士を通し、抗議した。蛇田側は謝罪。それで事件は終結したはずだった。 (まさか、奴が?)  この一連の流れを知る狼と宇佐見は、この脅迫メールの差出人が、蛇田ではないかと疑っているのだ。 (『死以上ノ苦シミヲ、味ワワセテヤル』……)  獅子倉の胸がざわっと騒いだ。死以上の苦しみとは、なんだろう。 (一体俺に何をするつもりなんだ……) 「くだらない。クズの戯言だ。放っておけ、星也」  不安を悟られないように、わざと乱暴な口調で、獅子倉は言った。 「そういう訳にはいかない。この一通だけじゃないんだ。ここ十日間で、同じような内容が三百通は来ている。……嫌な予感がするんだ」 「オレもそう思うぜ。蛇田はいま行方不明なんだ。絶対におかしい」 「何が言いたい」 「ボディガードをつけよう」  狼が言った。 「断る!」  獅子倉は二人を睨み付けた。 (身辺警護だと? この百獣の王と呼ばれるこの俺に。……有り得ん!)  獅子倉は生まれついての王だった。弱者を守り、敵に噛みつく。太古から流れるライオンの血が、誰かに守ってもらうのは恥である、と獅子倉の心に訴えてくる。 「念のためだ。キング」 「そうだぜ。何かあってからじゃ遅いんだ。ここは星也の意見を聞けよ」 「うるさいっ。もし奴が何かしてきたとしても、俺は負けん」 「そうゆう問題じゃねえだろ! お前の命がかかってんだ」 「ふん! 奴が何かしてきたら、返り討ちにしてやる。俺はWACの最年少チャンピオンだぞっ」 「キング、宇佐見。二人とも落ち着け」 「話はそれだけか? なら俺は帰る! 時間の無駄だった」  派手な音を立てて獅子倉は立ち上がり、部屋を出ようとする。プライドを傷つけられた気分だった。 (俺が負けると思っているのか。あの爬虫類のようなカス男に……) 「待て、キング! 俺も宇佐見もお前が心配なんだ」 「弱者にされる心配などいらんっ」 「気にならないのか? 『死以上ノ苦シミヲ、味ワワセテヤル』という文言が」 「……!」  獅子倉はハッとして、立ち止まった。 「奴は――蛇田は、キング以外の誰かに、危害を加えるつもりなんじゃないだろうか。キングの大事な人を傷つけて、自分が死ぬよりも辛い思いをさせるつもりなんじゃ……」  狼が真剣な表情で呟いた。 「俺の大事な人……」 (――……リスオ)  真っ先に恋しい彼の顔が浮かんだ。いつも獅子倉に向ける、あどけない笑み。優しいまなざし。あの爽やかなボーイソプラノで名前を呼ばれると、胸に甘酸っぱい物が溢れてくる。 (リスオを傷つける、だと……?)  キングの脳裏に一瞬暗い妄想がよぎる。

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