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 二次審査からは実際に会場に赴いて、ケーキを作らなければならない。審査員の目の前で、基本的な製菓技術や、盛り付けのセンスを試される。もちろん味も大事になってくる。 (こんなチャンス、きっとそうそうない。よーし、やるぞ!)  情熱を燃やす若人たちを見ていた店主が、にこにこ笑う。 「いやあ、キングさんが来てから、売上げは伸びるし、有名ライターと縁が出来るし、審査は通るし、我が店は良いことづくしだなあ。あの人は幸運の招きライオンだ。彼を連れてきてくれてありがとう、栗田君」 「いえいえ、そんなおれは別に……」  リスオは恥ずかしくなって頬を淡く染めた。隣の馬淵がにやにやしている。 (全部キングのおかげだ) (あいつと出会ってから、おれの人生は楽しくなった……)  彼の存在が自分の中で大きくなってくる。しかしそれがちっとも嫌じゃない。  カランコロン。来客を告げるチャイムが鳴った。リスオは上機嫌で厨房を出る。  そこにいたのは、いかにも面倒くさそうな、おばさん二人組だった。両方とも豚属性。ピンクの服を着た太めのおばさんと、小柄で気の強そうなおばさんだ。顔立ちが似ているので、どうやら姉妹のようだ。 (げっ……)  リスオの第六感が反応する。この手の客は要らぬトラブルを運んでくることが多い、と経験上知っている。 「ふん、ここが雑誌に載ってたお店ぇ? 大人気、って書いてあったけど、全然人がいないわね。あーん、安っぽい内装~。うちの息子の店の方がおしゃれよ」 「そうね~、甥っ子くんのお店の方がずっと素敵よ。ねえ見て、このモンブラン! 一個八百円ですって」 「んまっ!? お高いわね~っ」 「『国内最高級の栗を使用しています』ですって。こんなの嘘よ、嘘。ぼったくり価格だわっ」 「いやね~っ! うちの息子の店の方がず~っとマシよっ」  おばさん達の後に入ってきた何人かの客が、ヒソヒソ話をして、静かに出て行った。他にも、彼女たちがショーケースの前に陣取っているので、他の客が困っている。明らかな嫌がらせに、リスオはむっとした。   (嘘なんかついていない! うちはお客さんに安全で美味しいものを食べて欲しいから、素材にこだわっているんだ)  それでも黙っていると、ショーケースを見ようとした五才くらいの女の子が、おばさんの大きな尻に突き飛ばされた。女の子は尻餅をつき、泣き出す。 「えーんえーん! いたいよう、お母さん」 「す、すみません」 「あらごめんあそばせ~。……フン!順番を守らず前に出ようとするなんて、躾{しつ}けがなってないわ」 「ほんとほんと。そんなことも教えられないなんて、母親は小学生以下の知能しかなんだわ」 「……っ!」  母は顔を真っ赤にした。他の客にも緊張が走る。 (今のはどう見てもおばさん達が悪いだろ。もう我慢できないっ)  とショーケースを回って出て行こうと瞬間、一人の男性客が進み出た。モデルのようにスタイルがよく、白い百合の花束を持っている。 「おやおや。お姉さん達、お怒らないで。せっかくの可愛い顔が台無しだよ」  優しい声がした。その艶めいた声の響きに、リスオはハッと目を見開く。  男は三十代半ばくらいで、背の高い、すらりとした姿をしている。見るからに上質なブラックスーツに、ボタンダウンの青いシャツを纏っていた。髪は漆黒で、後ろに軽く撫でつけている。たるみのない尖った顎を持ち、滑らかな額は知的そうだ。くっきりした眉から続く、彫りの深い鼻梁。口角の上がった唇は、優しげな微笑みを描いている。そして、整った顔のパーツの中で、最も印象的なのは、目尻の垂れた双眸だ。色っぽくて甘い視線は、一度瞳があったら最後、心を絡め取られてしまう。  間違いない。辰巳だった。 「せ、んせい……」  リスオの口は勝手に初恋の男の名を呼んでいた。 「お姉さん達、本当に可愛いね。ここに並んでいるケーキより、貴女たちを食べてしまいたいくらいだなあ。ねえ、もし良かったら、俺にお茶をごちそうさせてもらえない?」 「んまっ、色男……。お姉さんって、わたしたちのことかしら~?」 「もちろん。まるで八十年代のアイドルみたいに素敵だよ」 「……ゴホンッ。仕方ないわねえ~、こんなハンサムに誘われたら、断る方が失礼だわ。頂こうかしら、うふん」 「ありがとう、お姉さん達」  おばさん達は辰巳にぽーっとしながら、イートインスペースへ行ってしまった。彼は、尻餅をついたままの女の子を起こし、持っていた白百合の花束を渡す。 「さあ、天使のように可愛いお嬢さんに、美しいママ。君達も好きなケーキを選んで。俺がごちそうするよ」  辰巳はウインクをした。 「あ、ありがとうどざいます……」  花束を受け取った母娘は、感激したように彼に見とれている。辰巳は、あっという間に不穏な雰囲気だった店内を収めてしまった。 (やっぱりすごいや、先生は……)  辺りが心地よく賑わい出すと、辰巳はショーケースの向こうにいるリスオの前に立った。八年ぶりに二人は見詰め合った。 「久しぶり。栗田」  辰巳が垂れた目でリスオを見詰めた。昔と変わらない声が自分を呼んでいる。青春時代の甘酸っぱい思い出が蘇り、刹那胸が熱くなる。 「辰巳先生……」 「雑誌見たよ。夢を叶えたんだな。おめでとう」  にこっと辰巳が微笑んだ。 「あ、ありがとうございます」 「今日、仕事何時まで?」 「えっと……九時です」 「遅いんだな。夜も暗いし、危ないだろう。迎えに来てやろうか? お祝いしたいんだ」 「えっ。そんな、大丈夫です」 「遠慮するなよ」 「だって、おれはもう子供じゃないし」 「馬鹿だな。いつまで経っても、栗田は大事な教え子だよ」  辰巳は瞳を細めた。この優しくて甘い表情が、過去の自分は大好きだった。 (そうだ。おれはこの笑顔に弱かった……)    リスオは切ない気分に浸りながら、彼の申し出を丁重に断る。 「あはは。でも本当に大丈夫なんです。迎えが来るので」 「迎え? ……もしかして彼氏?」  流石、天性の色事師。こういう勘は誰よりも鋭い。 「えへへ、そういうんじゃないんですけど……。えっと、友人……みたいな奴が、『夜道の一人歩きは危ないから』って」  リスオは頬を紅潮させながら、手を彼の前でぱたぱたと振る。  T京から帰ってきてから、キングは何故か、毎日欠かさずリスオの送り迎えをしてくれるようになった。最初は面倒くさく感じたが、しかし今はその時間が楽しみだった。 (夜道なんて、慣れてるから大したことないのに。あいつ、心配性なんだから……。でも、ちょっと嬉しい)  と、リスオの頬はつい緩んでしまう。 「うわー……思い出し笑いしてるぅ。ふうん、栗田って彼氏いるんだ。彼女じゃなくて。そっかぁ……」  辰巳の目が妖しく光る。 「違いますって。ただの居候です」 「うわっ、もう同棲までしてるんだ」 「せ、ん、せ、い~」  わざと声を低くしてじろっと睨むと、プッと辰巳が吹き出した。

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