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「アッハッハッ……信じられないな。リスオ、お前それで本当に決着がつくと思っているのか? その教師と温泉入って、酒飲んで、一緒の布団で眠って、『何もありません、ふっきれました、次の恋に進みまーす』って言うつもりかよ。お前……それはないんじゃないの?」 「一緒の布団で眠るなんて言ってないっ」 「同じだろ!」  キングが叫んだ。スミレ色の瞳が、まるで痛みを訴えるように睨んでくる。 「俺にとっては同じだろ! 好きな奴が他の男とひと晩過ごして、平静でいられる程、俺は人間出来てないんだよっ。どうせ、一線越えるに決まってる」  好きな奴、と言われて反応したかけたが、しかしそれよりも、リスオと辰巳がさも肉体関係を結ぶような口のきき方を、放っておけない。 「そんなつもりじゃ……! 旅行に出たって、何もしないで帰ってくるっ。一線を越えるとか……なんでそういう考えになるんだよっ」 「ハッ……どうだか。お前、俺より年上なのになんにも理解してないな。例え、リスオにその気がなくても、相手はどうか分からないだろ。お前は流されやすいから、その教師に口説かれたら、くらっとするかも知れないだろう。実際、今まで引きずってたんなら、その確率は高くなる。未練タラタラってことだからな」 「……っ」 「リスオ、お前、もしその教師にキスされて、それ以上のことも要求されたら、ちゃんと拒否出来るのかよ? 嫌って言えるのか? また好きになるんじゃないのか。だって、ずっとそうして欲しかったんだろ、高校の時から……!」 「……っ……」  リスオは悔しさに唇を噛んだ。何故か涙が浮かんでくる。呼吸が浅く、苦しかった。 (過去の恋に決着をつけることは、おれなりに真剣に考えて出した答えなのに、他人の口から出ると、こんなに薄っぺらく響くのか……) (おれがここ数日悩んでいたことは……無駄だったんだな) 「お前はロマンチストなんだよ、リスオ。俺より余程……。恋愛に夢を見すぎだ。でも現実はそんなに甘くない。その教師に弄ばれて、捨てられるのがオチだ」  キングの声が落ちた。それが口論の終わりだった。二人は目を合わせず、黙ったままだった。  キングは深々と呼吸をすると、立ち上がり、俯くリスオをそっと引き寄せる。 「俺にしろ」  キングがリス耳の側で囁いた。 「そいつを忘れさせてやる。俺だけしか見えないようにしてやる。だから俺に抱かれろ、リスオ」 「……」  リスオはぴくっと尻尾を反応させた。いつもならくすぐったく聞こえる彼の甘い口説き文句が、今はなぜか勘に障った。言葉に出来ない苛立ちが、腹の奥から湧き上がってくる。 (なんだよ……。さっきおれの八年間を鼻で笑ったくせに……。馬鹿にしたくせに。踏みにじったくせに……)  ショックと、怒りと、悲しみが混ざったものが、じわじわと脳裏を血色に染めていく。信頼していた相手に裏切られたような痛みが、リスオの胸を苛んだ。 (俺に抱かれろ、だって……? どの口が言ってんだ) (同じじゃないか。キングだって、先生――いや他の男と一緒だ。ただエッチしたいだけじゃんか、おれの気持ちなんかお構いなしに……っ)  リスオは、ドンッとキングを突き飛ばした。堪えようのない涙が次から次へと溢れてくる。 「キングには、分かんないよ……」  と消えそうな声で呟く。 「リスオ……?」  彼が目を見開いた。胸を衝かれたような顔をしている。 「キングには分かんないよ……。辛い恋愛をしたことのない人間には、おれの気持ちはわからないよ。過去を吹っ切るのが、どれだけ難しいか……。おれより若いキングには、わかんないよ。お前、幼いよ。どんなに社長を気取っても、血筋が良くてお金持ちでも、中身はガキだよ。クソガキだよ。これなら、例え遊ばれても、おれは先生を選ぶ。先生ならきっと、おれの八年間を嗤{わら}ったりしない。踏みにじったりしない。ちゃんと、わかってくれる。理解してくれる。なんでか分かるか? 大人だからだよ。キングより、ずぅっと長く、生きているからだよ!」  リスオは言った。  いつの間にか、ハアハアと肩で呼吸していた。キングはショックを受けたように、呆然とこちらを見ている。 (言ってしまった――……)  しかし、内心衝撃を受けていたのは、リスオの方だった。 (おれは今、とても酷いことをキングに言った……)  すぐに後悔の念に襲われた。がしかし、後の祭りだ。  どちらの訴えが正しいのか、または両方が悪いのか、現在のリスオはもうよく分からなかった。ただ、後から後から涙が流れる。 「帰る」  キングはゆらりと立ち上がり、何も持たずに、部屋を出て行った。バタンと玄関扉が閉まる冷たい音が響く。  引き留める気は起きなかった。もう感情が動作していないのだ。 (おれがおかしいのかな……)  リスオは、急に広くなった部屋で、呆然と立ち尽くしていた。  たかが失恋一つを乗り越えられない自分が、普通ではないのだろうか。 (どうしてだろう。なんでおれは、こんなに過去に拘{こだわ}ってしまうんだろう。他の人はどうなんだろう。彼氏彼女と別れても、引きずらずに、すぐに次の相手が見つかるのかな……) (きっと、おれがおかしいんだろうな……。キングより、よっぽどおれの方が恋愛に夢を見ているんだろう。だから言われるんだ、現実は甘くない、って) 「ははっ……キングの言うとおり、子供なのは、幼いのは……おれの方だな……」  リスオは力なく床に座り込んだ。両膝を抱き、顔を伏せる。虚しい笑い声が響いていた。涙が部屋着のズボンに染みていく。 (おれは――……) (傷つけた。キングを……)  キングが若いのは、彼のせいではない。でもそれを突{つつ}くように、『幼い』とか『先生を選ぶ』だとか、最低なことを言ってしまった。 (おれは大馬鹿者だ。本人の力じゃ変えられないものを、責めるなんて……。キングがおれを好いてくれるのは、分かっていたのに。毛繕いも、キスも、それ以上も、あいつの手は優しさでいっぱいだった。おれの身体だけが目的だと思ったことなんて、一度もないのに……) (本当はキングが子供だなんて、思ってないよ。むしろ、おれよりよっぽど大人だよ)  リスオはここにいない相手に向かって悪態をつく。 「帰るって、どこに行く気だよ、バカネコ……。これからT京の自分ちにでも戻るつもりかよ。終電あるのかよ……。お前の居場所はおれの隣だろ? バカ、早く帰ってこい。それで『温泉なんて行くな』って、言え……っ!」  リスオの叫びは虚しく消えていった。  窓の外には秋雨が降っていた。遠雷も聞こえる。嵐が近いのだろう。 (キングが帰ってきたら謝ろう。ごめん、おれが悪かった、って――……) ☆~☆~☆~☆~☆  しかしリスオの願望は叶わなかった。  出発当日。  辰巳との温泉旅行に出る時になっても、キングは戻ってこなかった。ラインを送っても、既読にならず、返事も来ない。  リスオはギリギリまで、アパートで彼を待っていた。今日は辰巳が車で迎えに来ることになっている。

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