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辰巳が顔を上げた。ほおずきのように朱{あか}く光る双眸がリスオを見据える。急に、目の前にいた男が、全く知らない人間に思えた。
「ひっ……」
リスオは短い悲鳴を上げた。
(違う、いつもの辰巳さんじゃない……っ)
「誰にも言っていなかったが、俺の属性は幻獣種の中でも特殊なんだ。龍は龍でも、悪いやつ。日本神話に出てくる、怪物、八岐大蛇{やまたのおろち}だ」
豹変した辰巳が妖しく笑う。
「八岐大蛇……?」
「そうだ。でも安心しな。戦隊モノみたいに、巨大化してモンスターになるわけじゃない。血が薄まりすぎて、もう完全獣化は出来ないんだ。俺の遺伝子に残っているのは、酒と女に目がないことと、妖しい術がいくつか使えることくらいだ」
「じゅ、術……?」
「発動条件は、裸眼の俺と目を合わせること。フフ、既に十秒たったな。――お前はもう俺に捕らわれている」
「えっ」
ぐにゃりと視界が歪んだ。同時に、四肢から力が抜け、リスオは畳にへたりこんだ。
(うそ、なに……? 身体、おかしい)
辰巳は、笑いながらリスオを軽々と横抱きにし、すぐ近くの布団に仰向けに置く。そして脱ぎかけの浴衣を取り去った。
「たつ、みさ……おれに一体、何を」
リスオはろくな抵抗も出来ない。頭がぼんやりし、手脚が痺れている。
「なあに、軽い淫術さ。ちょっとエッチな気分になってもらうだけだよ。大丈夫。そんなに長く効きやしない」
「なんで……」
「知っているだろ? 俺が略奪が好きなこと。他の男のもの程、燃える質{たち}なんだ」
「最、低……っ」
「ふふ。ご先祖様の八岐大蛇の方が、もっと悪いことしてるもん。生け贄の娘を食ったりとか。――大丈夫だって。気持ちよくしてやるから。一緒に不変を味わおう。ブンガクしようぜ」
「正気、ですか……いや、嫌だっ……ぅ、くっ……!」
「大丈夫。だんだん感じてくるから」
辰巳がリスオの唇を塞いだ。押し返そうとするが、手に力が入らない。まるで蛇のような舌使いに、ゾワッと鳥肌が立つ。掌で肌を撫でられると、おぞましくて悲鳴が上がった。
「イヤッ! 止めろ、やめ……っ」
「栗田の肌ってスベスベだな。女よりずっと綺麗だ」
首筋を吸われ、何カ所も痕を残される。逃げ場のない手が泳いだ。指先に辰巳が捨てた徳利が当たる。濃厚な酒精が漂った。
(嫌だ、気持ち悪い)
(違う。キングのキスと、全然違う)
「強情だなあ。あ、そうだ。栗田が望むなら、幻術もかけてやるけど、どうする? 俺の顔を彼氏の面にしてあげよっか? どうせヤられるなら、好きな男の方がいいよね」
優しさのベクトルがおかしい。辰巳はさも名案と上機嫌で、浴衣を脱ぎ、下着姿になった。彼の本気を感じて、リスオはカッと目を見開いた。
(死んでも嫌だ! キングの顔した辰巳さんにヤられるのだけは嫌だっ)
(なんとかしてここから抜け出さなくちゃ、なんとかして……!)
辰巳は再びリスオに馬乗りになる。親指で、リスオの唇をミミズが這うようになぞった。
「さあて、おしゃべりはここまで。俺と天国へ行こう」
にやっと辰巳が笑った。朱い瞳が糸になる。
「絶対に……断るっ! あんたなんかに惚れたおれがバカだったっ。おれの初めてはキングに捧げるんだ!!」
今しかないと思った瞬間、リスオは辰巳の指に噛みついた。硬く鋭い前歯を突き立て、顎に思い切り力を込める。噛みちぎる気だった。
「痛{いて}っ!」
激痛に辰巳が手を引っ込める。その隙になんとか腕に力を入れ空の徳利を掴み、彼の額に投げつけた。ガシャアン! 鋭い音がして陶器が割れた。「うぎゃっ」と辰巳がバランスを崩し、密着していた二人の肌に空間が出来る。それを利用し、身体を捻ってなんとか彼の下から抜け出した。
リスオは寝室を飛び出し、縺{もつ}れる足でどうにか外廊下へ続く扉の前に辿り着いた。
(早く、はやく)
「待てっ」
後ろから辰巳の声が迫ってくる。振り返ると、片手で帯を持ち、血色の瞳を光らせながら笑っている。狩人の目だった。この状況を楽しんでいる。
「っ、来るな……っ」
焦りで手に汗を掻いていた。鍵を開けるのにもたもたしているうちに、辰巳が追いつく。リスオのふさふさの尻尾を掴んだ。グイッと自分の方に引き寄せ、羽交い締めにされる。
「痛{いた}っ!」
再び拘束され、リスオは藻掻いた。拘束され、背後から不気味な声がする。
「ははは、栗田は面白いなあ。征服しがいがあるってもんだ」
「離せっ、あんた、今までもこうして女性に乱暴してたのか」
「まさか。それじゃ犯罪だろ? いつもなら相手の方が勝手に股を開くから、術の出番はなかった。お前だけだよ、リスクを負ってまで欲しいと思ったのは」
「誰か――……っ、ん、むぐぅ!」
「さっきは油断した。次はない」
助けを呼ぼうとしたが、丸めた帯を口に突っ込まれる。じたばた暴れるが、辰巳の腕は一向に緩まない。リスオはこれから自分がどうなってしまうのか分からず、涙が浮かんできた。
(怖い……っ)
自由を奪われたことにより、初めて恐れを感じた。
「可愛いよ、栗田。美味しく食べてやるからな」
生暖かい舌で頬を舐められる。ゾクッと悪寒に震えた。
(嫌だ、いやだ。こいつにヤられるなんて、絶対にいやだ)
(誰か助けて、お願いだ)
(助けて、助けて、キング――……!)
リスオはぎゅっと目をつぶった。濡れて束になった長い睫毛から、透明な雫が伝う。
その時だった。バンッ! と正面のドアが外に開かれる。リスオは驚きにハッと目を開けた。眩しい照明を背に男が立っていた。キングだった。
(キング――……)
(嘘。どうして、どうしてここが……?)
赤橙色の両眼が食い入るように彼を見る。時が止まったかと思った。今心で助けを呼んだ男がすぐそこにいる。
「リスオ――……」
キングは目の前で絡み合うリスオと辰巳を見ると、驚愕したように瞳を見開いた。そして、スミレ色の双眸をじわじわと細めて辰巳を睨んだ。
「リスオを離せ」
「おやおや、騎士様の登場だ。悪戯はここまでだな」
辰巳は手を離した。急に支えを失って崩れ落ちそうになったリスオを、キングが慌てて抱き留める。唾液で濡れた帯を取り、やっと楽に呼吸が出来た。
「……っ、けほ、けほっ」
「おい、大丈夫か? 乱暴されていないか」
「っ……だい、じょうぶ……。でも、なんでここに……?」
「詳しい話は後だ。とにかく無事で良かった……」
キングは裸同然のリスオに自分の白いコートをかけると、強く抱きしめた。暖かい彼の胸に顔を埋めると、安堵の涙が自然と浮かんでくる。
(本物だ……)
(夢じゃない。幻じゃない……。キングが目の前にいる)
リスオは大きな背中にぎゅっとしがみついた。ずっと焦がれていた彼の匂いに心臓が苦しくなる。キングのフェロモンは、官能的なムスク香りに似ている。懐かしくて、胸が詰まった。
「キング……会いたかった……。怖かった、怖かったよ……っ!」
「大丈夫だ。もう、大丈夫だから」
キングがさらにきつく抱きしめる。
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