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辰巳に襲われた恐ろしさに加え、彼と再会出来た安心感がごちゃまぜになり、リスオは半ばパニック状態だった。気がつくと、堰を切ったように、リスオはずっとため込んでいた想いを吐き出していた。
「ごめん、ごめんね、キング……っ」
「リスオ……」
「おれ……お前のことを、幼いとか、辰巳さんの方が大人だとか、酷いことをたくさん言った……。ずっと謝りたかったんだ。ごめん……っ」
「ふん……。あれくらいで俺が傷ついたとでも思ったのか。馬鹿め。俺は王者だぞ。格下と比べられて、腹の立つ奴がいるか」
一瞬テノールが詰まったが、彼はすぐにいつもの調子で言った。
「でも、おれ、キングを怒らせたと思って、すごく、すごく後悔して……。お前がもう帰ってこないと思ったら、寂しくて、夜眠れなくて……っ」
「……っ、もう黙れ。これ以上可愛いことを言うな。このまま抱き潰してしたいたくなる。お前から一瞬でも目を離した。全ては俺のミスだ。――無事で良かった、リスオ。何もされていないか」
キングが大きな手で、リスオの震える背を撫でた。そうされているうちに、だんだん呼吸が安定し、恐慌状態が落ち着いてくる。
「うん、大丈夫。助けてくれて、ありがとう……」
リスオはすこし平静を持ち直すと、キングを見上げた。
いつも自信に満ちあふれている双眸の中に、わずかに不安が翳{かげ}る。彼を安心させてあげたくて、リスオはしっかりと答えた。辰巳に接吻やキスマークをつけられたが、しかしあんなのは犬に噛まれたようなものだ。それよりも今はようやく戻ってきた腕の温もりをなくしたくない。
「お二人さん熱いねえ。仲直り出来て良かったな。……じゃ、俺はこれで」
リスオとキングがきつく抱擁している脇を、へらへらと辰巳が通り過ぎようとする。キングは優しくリスオを離すと、すっと立ち上がり、辰巳をギロリと睨み付けた。
「待て、変態教師のおっさん。お前に話がある」
「おっさんって~。嫌だなあ。俺まだそんな年じゃないよ。男盛りの三十五歳です」
「ふん。お前のようなゲス野郎に盛りなどない。今日のことは教育委員会に報告させてもらう。お前が嫌がる相手に強制的に性行為をしようとした、とな」
「げっ! それは止めて。俺クビになっちゃうじゃん」
「知らん。変態教師は消えた方が社会のためだ」
「おいおい、お兄さんよ。ちょっと教え子といちゃいちゃしただけでチクられたら、世界中の教師はパクられちゃうよ。こんなのどこにでもあることじゃん。それに証拠がないよ。――ていうか、お兄さんはどうして絶妙なタイミングでここに踏み込んでこれたの? なに、俺と栗田のことを盗聴でもしてた?」
舐めるような視線で辰巳が言った。
リスオもその点が気になっていた。確かに、彼はどうしてこの部屋が分かったのだろう。
「ゲス野郎め! これだから幻獣種は嫌いだ。俺がそんな姑息な真似をすると思うのか。この旅館のオーナーは俺だっ。従業員にお前の素行について見張らせていたのだ。お前はうちの仲居にちょっかいを出していただろう? セクハラの報告を受けたのだ。あと隣の部屋に待機させておいたスタッフが、ここから暴れるような異様な物音を聞いた。だからこれ以上はリスオの身が危険だと判断して踏み込んだんだ。分かったが変態教師」
「お兄さんがこの旅館のオーナー? あり得ない。ここは辰巳家縁の者が経営しているはずだぞ」
「お前達がチェックインしてる間に買い取った」
仁王立ちのキングが言った。
「はあ?!」
辰巳は間抜けな声を上げる。
「本当は前もって買っておきたかったんだが、当日までどこに泊まるのか分からないからな。S台を出てからしばらくつけさせていただいた」
キングのそこ言葉を聞いて、リスオはハッと閃いた。
(あのリムジン――!)
道中ずっと後ろを走っていた、あの高級車に乗っていたのはキングだったのだ。
「待てよ、お兄さん。信じられない……。ここは代々続く老舗だぞ」
「知るか。従業員達は安い賃金に不満があったようだぞ。だから俺が破格の給料で雇ってやる、と言ったら、前の経営者は喜んで売却に同意した。あとはスタッフに、お前がおかしな動きをしたら、すぐ俺に報告しろ、と通達を出しただけだ」
つまり、キングはS台からド派手なリムジンでバレバレの尾行をし、リスオ達の宿泊先が確定した時点で売却交渉を開始。無事に旅館をまるごと買い取ると、全従業員に『辰巳を見張れ』と指令を出し、彼らを自然な密偵にしたてあげ、リスオと辰巳の万が一に備えていたことになる。
(し、信じられない……。どうしてそこまで……)
リスオはキングの計画を知ると、ぽかんと口を開けた。一体今日だけでどれだけのお金が動いたのだろう。リスオの年収では足下にも及ばないことは確かだ。
辰巳も同じ事を思ったのか、驚きに唇を震わせて言う。
「な、なんでそこまでやるんだよ。全部でいくらしたんだよ」
「金の問題ではない。そんなことも分からないのかゲス野郎」
「そんなに栗田が大事かよ」
「当たり前だ! 俺はあいつを愛している」
キングが高らかに言った。
突然の告白にぶったまげたのは、キングと会話している辰巳よりも、床に座り込んだままのリスオだった。顔を上げ、眦{まなじり}が切れそうなくらいに紅茶色の目を開き、食い入るようにキングを見詰める。柔らかな唇は、先程から開いたままで、驚きの連続に閉じる暇がない。
(あ、愛――?!)
(いまあいつ、『おれを愛してる』って言わなかった?)
心臓が遅れて激しく鼓動を刻む。リス耳まで熱くしながら、リスオはやたら堂々としているキングを見詰めた。第三者がいる前で想いを伝えたというのに、照れる素振りすらない。大物だ、とリスオは思った。
「う、嘘……」
リスオはかちかちになっていた声帯をようやく鳴らした。
「ふん。この状況で言うのは不本意だが、仕方がない。お前も、こっちの変態教師も、このくらい言わないと理解しないらしいからな」
ちら、とキングがリスオを見る。しばし二人の視線が絡み合った。アメジストの瞳がまっすぐリスオの目を射貫く。その眼の熱量に、胸が焦げそうになった。
(本当なんだ……)
(キングがおれを愛してくれている――。おれを大切に想ってくれているんだ……)
(嬉しい。おれ、心から嬉しいよ……)
身体中が暖かな想いに満たされていく。
互いのまなざしを通して、熟した感情が交わされそうになったところで、辰巳が面倒くさそうに口を挟む。
「あーもう、分かった、分かった。君らは相思相愛なわけね。これ以上ここにいても出番ないな。ねえ、おじさんもう帰ってもいい?」
「待て。落とし前をつけてやる」
キングが名残惜しそうにリスオから視線を剥がし、辰巳を睨み付ける。
「ひえ~怖い。なんでしょう」
「本当にリスオに手を出していないんだな」
「ふふふ。栗田の肌、スベスベで綺麗だったよ」
にやっと辰巳がいやらしく笑う。その瞬間カッとキングが目を怒らせた。辰巳の挑発に乗ってしまったのだ。
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