43 / 49
43
キングが目を逸らしたまま言った。その悲しげな声色に、リスオの胸はキリキリと締めつけられた。
(まさか、そんな――……)
脚から力が抜けていく。このまま床にへたり込みそうだった。彼の離別の言葉に、リスオは唇を震わせた。
(あんなにおれを好きだって言ってくれたのに……。愛してるって告白してくれたのに……。キングにとって、おれは手軽にサヨナラ出来る相手だったの……?)
肺が縛り付けられたように苦しくなった。やっと見つけた次の恋。それがいま、自分の手の届かないところで終わろうとしている。キングが一人でピリオドを打とうとしている。
(いやだ、行かないで)
(おれを置いてかないで、キング……!)
リスオの身体が勝手に動いていた。ドサッとニューヨーク土産を床に落とし、ソファに座るキングに抱きつく。柔らかな癖のある金の髪ごと、太い首に手を回した。ぎゅっと力を込める。ずっと恋しかったムスクの香りが鼻をくすぐった。甘くて癖になる官能な匂い。この魅惑的なフェロモンを放つ男を離したくない。もう相手のいない世界には戻れないのは、自分だって同じだ。
リスオは彼と出会って、初めて運命というものを感じた。人と人とを引き合わせる強い力。神様の意思としか思えない巡り会い。
(失いたくない――……!)
「お願い。どこにも行かないで、キング」
リスオの赤橙色の瞳から、透明な雫が溢れる。鼻をすすりながら、愛らしい顔をくしゃくしゃにして、リスオは懇願した。
「リスオ……」
キングが息を呑む。いつも生意気なテノールが戸惑いにかすれる。その声にさらに心臓を揺さぶられ、リスオはますますキングにすがりついた。
「行っちゃやだ。もう二度と会わないなんて、言わないで……!」
「おい、離れろよ……」
キングがリスオの腕を解こうとする。しかし彼の手は優しく、全然力がこもっていなかった。
「……っ、ひっく……嫌だ、やだ……っ。ぜ、絶対に……はな、離さないからっ。どこにも、行かせない。キングはおれの、ものなんだか、ら……っ。ひっく、ひくっ……こ、こんなに……好きに、させといて……っく、今さら放り出すなんて、ひ、ひどいよ……っ」
しゃくりあげ、鼻水を垂らしながら、リスオは言った。
「リスオ……」
「ばか、ばか……ひ、くっ……ひっく、キングのばかぁ……! おれのこと、好きだって、言ったく、せに……ひっく……。っく、ひくっ……愛してるって、言っ、た……! 嘘つき、うそつきっ」
「ごめん。泣くなって」
我慢できなくなったのか、キングが大粒の涙を流すリスオを抱きしめ返した。背中をゆっくりとさすり、ピンと張り詰めたリスの尻尾をあやすように撫でる。
「ひっく……そ、んな簡単に……さ、さよなら言うなんて、最低だよ……! おれの気持ち、全然考えてない……ひくっ、ひっく……。入院してる間も、い、一回もお見舞いに来てくれないし、ラインだって……既読無視、されて……おれどんだけ傷ついたか……っ」
「……悪い」
「嫌われたかと、おも、思ったん、だぞ……! ひっく……もう会いに来てくれないって、考えたら、ど、どんな手を使っても……れ、連絡とんなきゃって……」
「だからいきなり、あんなおかしなメッセージを送ってきたのか……」
こくこく、とリスオは首を縦に振った。大きな瞳を潤ませてキングを睨むと、彼はしばらくその目を見詰め返した。
「俺が好きか、リスオ」
「うん……」
「俺と逢えなくて、寂しかったか?」
「うん、うん……っ」
「連絡が来なくて、嫌われたと思ったのか……」
「そうだよ……。おれのことなんか、もうどうでもいいんじゃないか、って……思ったよ……」
「そうか……。そうか、リスオ……」
今まで迷いにぐらついていたキングのまなざしが、ふいに揺らがなくなる。それからもう、彼は目を逸らさなかった。ふっと薄い唇を綻ばせる。紫水晶に似た美しい双眸がじわりと細くなった。
「……なんだよぅ」
リスオが頬を膨らませる。キングは何故微笑んでいるのだろう。しかも、とても嬉しそうに。
「いや……。どうしてだろうな。泣かれているのに、熱烈な愛の告白をされている気分だ」
「う、うるさいな」
顔が恥ずかしさでじんわりと熱くなる。自分でも途中からそんな気がしていた。
「なぜだろう。今とてもリスオに優しくしたい」
キングが節ばった掌で、リスオの滑らかな頬を包んだ。親指の腹で流れ落ちる水滴をそっと拭う。
(え……?)
どきんと心臓が跳ねた。彼はとても暖かい瞳をしている。慈愛に満ちた、といってもいい。
「どうやら、俺は拳だけじゃなく、決意も弱いらしい。お前が泣いているのを見て、正直ほだされた。置いていけるわけがない」
「ってことは……」
「ああ。もうどこにも行かない」
「本当?」
「ったく、いつも強気なくせに、こういう時だけ可愛く縋ってくるなんてな……。勝てるわけないだろ」
「キング……」
「好きだ、リスオ。一生俺の側にいろ」
キングが言った。アメジストの瞳に射貫かれる。
「……っ、偉そうに……」
リスオは喜びと恥ずかしさで胸が熱くなった。心臓が高鳴り、血液を体中に送り出している。指先までじんじん痺れてきた。
「答えは? もう決まっているだろうが」
自信満々に問われる。キングの長い人差し指が、栗色の毛先をくるりと巻いた。普段はしない甘い仕草に、リスオはますます顔が赤くなる。リスオは彼から目を離さずに囁いた。
「……おれも、キングが好きだよ。新しい恋をするなら、お前とがいい」
「やっと伝えてくれたな。そう言ってくれるのをずっと待っていたぞ」
キングが歯を見せて笑った。
「ばか……っ」
リスオはにっこりと微笑む。長い睫毛の間から暖かい涙が流れ落ちた。それを見たキングが、リスオの唇に自分のものを落とす。柔らかな粘膜同士が触れ合った。小鳥がするようについばむだけのキスを繰り返す。
(やっと、やっと……両想いになれた)
(好き、大好き……キング……)
リスオは彼の膝に乗り上げ、ぎゅっとしがみつく。服越しに互いの鼓動を感じる。
(おれだけじゃない、キングもドキドキしてる……)
キングはリスオのふっくらした唇を割り、自身の厚い舌を差し入れる。そのまま歯列をなぞり、丹念に舌を吸われると、背筋がぞくぞくと痺れる。
「んっ」
不意に嬌声が漏れた。キングが、リスオの尻尾の付け根を、爪で掻いているのだ。くすぐったいような甘い疼きに、リスオは華奢な身体をよじる。
(やばい、そこダメ……)
「やっ、んっ……」
「ここ、好きだったよな。少しだけ、触ってもいいだろ……? 大丈夫だ、すぐ止めるから」
「えっ、終わりにするの?」
「当たり前だろ。怪我人にこれ以上出来るかよ」
「やだ、止めないで。今ここで、おれをキングのものにして」
リスオは言った。零れそうに大きな瞳が、期待と欲情で、うるうると潤んでいる。
「しかし……」
「お願い。抱いて……。キングが、欲しいんだ……」
リスオはじんじんと頬を熱くして、囁いた。
「……っ」
キングはリスオの紅潮した顔を見て、ゴクリと唾を飲み、「うぅ……」と呻いた。それから頭を左右に振る。豊かな金の髪が乱れた。
(ここで終わるなんて、嫌だ。早くキングと一つになりたい……)
ともだちにシェアしよう!