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「コンテストはまたエントリーできるもの。……でも多分、もうしないと思うけど。ねえ、キング。おれ最近新しい道を見つけたんだ」
「新しい道?」
伏し目がちだったキングが視線を上げる。その紫水晶の双眸を見詰め、リスオはにっこりと微笑んだ。
「おれ、このまま小さな街のケーキ屋さんのパティシエでいたいんだ。おれの大事な人達に、おれが焼いたケーキを食べて、笑ってもらいたい。そんなちっぽけな、人並みな生き方が、気に入っているんだ」
「でも、お前ほどの才能があれば、海外の一流パティスリーに入ることも出来るんだぞ」
リスオは首を横に振った。
「いいんだ。おれは頂点を目指さなくていい。世界一は、キングがなって」
「リスオ……」
彼がアメジストの目を見開いた。長い睫毛に覆われた、二つの宝石が、リスオは好きだった。
今までも――そして、これからもずっと。永遠{とわ}に。
「キングはてっぺん。おれは庶民。だからおれ達は出逢ったんだよ。おれは、これからもそうでいたい。一番にならなくていい。おれの世界一は――……王様は、キングだけだから」
リスオは、大きな紅茶色の瞳を糸にして、優しく微笑んだ。
最近キングと共に歩く未来についてを考えると、不思議と、手や足の先がぽかぽかと暖かくなる。胸の奥がトクン、トクンと穏やかな鼓動を刻む。
いつの間にか、彼はリスオの心臓になっていたらしい。
(おれは、おれの愛してる人を、大事な相手を……いつも応援していたい。笑顔にしたい。それがおれの幸せなんだ)
(おれにはキングだけ。キングだけなんだ……)
リスオは、彼の大きな肩に、そっと自身の小さな頭を預ける。癖のある金の髪がふわりと頬を撫でた。リス耳がぴくりと動き、彼のゆっくりとした深い呼吸音を捉える。その速度に合わせて息をすると、不思議と安らぎに包まれていった。触れ合った場所から感じる、暖かな体温。優しく香るムスクの匂い。
(おれの大事なひとはこんなに近くにいたんだね。ようやく巡り逢えた、おれの運命の人……)
「リスオ、俺もお前を愛してる」
キングが優しくリスオを抱きしめた。彼の甘いフェロモンに包まれると、確かな愛情と信頼がじわじわと伝わってきた。胸が詰まりそうだ。自分の生きる場所は、彼の腕の中にしかないと思う。
(おれは今幸せだ……)
リスオはようやく手に入れた幸福を噛みしめる。
だけど、実は一つだけ、気になることがあった。半径五メートルの、小さな世界を大切にする自分は、世界で活躍する彼にとって、つまらない人間なのではないか、ということだ。
「おれも、好き。大好き。でも……ちっぽけな世界に生きてるおれは、王様から見れば、物足りないよね?」
少し不安になって、大きな目で彼を見上げると、キングはいつものように、ふんと鼻を鳴らした。口の両端が天を向き、紫水晶の瞳が、偉そうにこちらを見下ろしている。リスオが最も好きな表情だった。
「心配ない。お前の大事な小さい世の中ごと、俺様は愛してやる。俺は王者だ。だからリスオも、もう世界一だ」
キングがにやりと笑った。
「なに、そのむちゃくちゃな理論……」
その自信に満ちあふれた顔に釣られて、リスオも赤橙色の瞳をじわりと細くする。
(キング……大好き)
愛しい男の顔を見ているうちに、リスオの憂いは、まるで霧が晴れるように消えていく。
(おれの王様は、キングだけだよ)
二人はどちらからともなく顔を寄せ合い、優しいキスを交わした。キングの唇からは幸福の味がした。
外には綺麗な雪が、いつまでもいつまでも降り続け、街を白く染めていく。
おしまい
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